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第5章 駆け引き[1]

 旧ラッセル辺境伯邸に移り住んで数日。カーテンから射し込む陽の光を目覚ましに、爽やかな朝を堪能するためベッドの上で伸びをする。今日も良い一日に――なんて感慨を味わおうとしたところで、私は思わず絶句した。

 なんとか綺麗に整えたはずの部屋が、またぼろぼろになっている。伸びをしたことで埃を一気に吸い込み、私は大きく咳をした。あまりに埃っぽい。私が窓を開けるためにベッドを降りると、アンネッタがのんびりと起き上がる。カーテンを開け放つと、目を細めたくなるほど眩しい光が眠気眼を突き刺した。

「お嬢様~……? どうなさったん……」

 目をこすったアンネッタは、瞬時に状況を飲み込んで言葉を失う。この異様な事態に、眠気は一瞬にして覚めていた。

「ど、どういうことですか……?」

「随分と大暴れしたみたいね」

「何のん気なこと仰ってるんですか! せっかく整えたのに、また掃除と修繕をし直さないといけないんですか!?」

 旧ラッセル辺境伯邸はそれなりに広い。素人の集まりである私たちに、完璧な修繕をすることはできない。それでも、寝室だけはなんとか整えたけれど、またいちからやり直さないといけないみたいだわ。

「どうしたって屋敷を綺麗に保ちたくないみたいね」

「もしかして、また夢の中に閉じ込められているんじゃないですか?」

 アンネッタは顔面を青くする。私は申し訳ないと思いつつ、軽く肩をすくめた。

「残念ながら現実よ。ここにはなんの魔力も感じられないわ」

「そんなあ……」

「とにかくロランにも聞いてみましょ」

「はい……」

 こうなってくると、もしかしたらダイニングも酷いことになっているかもしれないわ。これが続くようなら、いたちごっこになってしまう可能性はあるわね。

 私の心配をよそに、ダイニングは昨日と同じ状態が保持されている。すでにロランが朝食の準備をしていた。怪異の塩梅はよくわからないけど、すべてをやり直させるような残酷さは持ち合わせていないみたいね。

 私の話を聞いたロランは、なるほど、と険しい表情になる。

「実は、私の部屋もそうなっているんだ。私の部屋だけならと思っていたが……。私たちに恐怖を与えて追い出したいのかもしれないな」

「やっぱり、怪異にとって人間がいるのは居心地が悪いなでしょうか」

「怪異にとって、人間を脅かすのは生き甲斐のようなものよ」

「生きてないですよ」

 怪異は人間を脅かすもの、という関係性が頭に刻み込まれているけれど、実際のところ、怪異が人間に対してどう思っているかは確かめようがない。この屋敷の怪異が私たちを脅かして楽しんでいるということはなんとなくわかる。それでも、人間が怪異にとってどういった存在であるかは判然としないわ。

「まだ侯爵家に帰るつもりはないのだろう?」

「もちろん。この屋敷を堪能し尽くしたわけではないわ」

「これ以上、まだ堪能することがあるんですか?」

 信じられない、といった表情でアンネッタが言う。ホラー耐性のないアンネッタは、もう充分に堪能したと言えるかもしれないわ。

「何度も言うけれど、アンネッタは先に帰ってもいいのよ?」

「何を仰います。あたしはお嬢様に生涯を捧げると決めていますから」

「手が震えているぞ」

「武者震いですよ」

 アンネッタも以前ほどは怯えなくなったけれど、怖いと思うことはきっと変わりない。それでもついて来てくれるアンネッタを、私は大事にしなければならないわ。



 朝食後、私たちはエントランスで立ち尽くしていた。寝室のみならず、エントランスも修復したはずの箇所が元通りになっている。これまでかけた時間も資材も、すべてが無駄に終わったようだわ。

「ひと晩でぼろぼろになってしまうのでは、修理しても意味がないようね」

「建築魔法を持っている人が来てくれるといいのですが……」

 アンネッタの言う「建築魔法」というのは、その名の通り、建築に関する魔法だ。その魔法を用いて作った建造物は、丈夫で壊れにくくなるらしい。魔法によって保護されているため、怪異が元通りにしようとしてもそう簡単には壊れなくなるはずだわ。

 私には、建築魔法を使える人物に心当たりがあった。それは攻略対象のノエル・ファルーン伯爵令息。人懐っこい小型犬のような見た目ながら、その実、かなりの腹黒だ。ラヴァンドは違ったようだけれど、きっとノエルもアスタに夢中のはず。きっと私には協力しないでしょうね。

「数日しかもたないとしても、汚い部屋で過ごすわけにはいかないわ。とりあえず、もう一度だけ修繕してみましょ」

「そうだな。怪異相手に何もしないわけにもいかない」

 そのとき、ドアのノッカーが重い音を立て、来客を告げた。私は何か嫌な予感がしつつ、ロランに目配せをする。ロランは小さく頷き、ドアの隙間から外を覗き込んだ。それから、おや、と呟いてドアを開く。

「ノエルお坊ちゃま。いかがなさいましたか」

 私の嫌な予感は的中していた。招き入れられたのは、先ほど話題に上がった建築魔法を使える攻略対象ノエル・ファルーン伯爵令息だった。短い銀髪に空色の瞳が映える童顔の少年で、乙女たちに「ノエルきゅん」と呼ばれる攻略対象だ。

「ごきげんよう、ノエル様」

「やあ。貴族の令嬢が本当にこんな汚いところで暮らしているなんて驚きだよ」

 ノエルは素直な性格かつ腹黒だ。主人公(ヒロイン)に対しては可愛ぶりっ子をして、そのギャップは乙女たちの心を鷲掴みにする。私は特に興味なかったけれど、魅力的なキャラクターであることは確かだわ。

「与えられた環境を受け入れているだけですわ。ところで、なんのご用で?」

「その与えられた環境を受け入れている令嬢を見に来たのさ」

 ノエルはあくまで楽しむような笑みを浮かべている。憐れみや嘲笑のために来たわけではない。率直にただ興味があっただけ、ということね。

「申し訳ありませんが、お客様にお茶をご提供できる場所がありませんの」

「いいよ、いいよ。それより、訊きたいことがあるんだ」

 ノエルの空色の瞳が怪しく光る。悪戯っぽい笑みに、また嫌な予感がした。

「きみは卒業パーティを抜けるとき、この国は魔物の襲来を受けると言っていたね。どうしてきみがそれを知っていたんだい?」

「…………」

 私はあのとき、浮かれていた。異世界転生したこと、本物の幽霊屋敷で暮らせること。その勢いで口走ってしまったけれど、現時点でその情報は出ていない。私は失態を犯したと言わざるを得ないわ。

「僕の周囲に、本物の聖女はきみなんじゃないかって噂が流れ始めてるんだ」

「……それでしたら、つまらないお話しで申し訳ありませんが、私は聖女ではありません。アスタ嬢が本物の聖女ですわ」

「どうしてそう言い切れるんだい?」

「私が聖女ではないからですわ」

「ふうん?」

 ノエルは楽しむように微笑んでいる。私がノエルに興味がなかったのは、こういう駆け引きが必要なキャラクターが苦手だからだわ。

「僕と取引をしない?」

「取引、ですか」

「きみが持ってる情報が欲しいんだ。その代わり、きみが領地に戻れるように取り計らうよ」

 私の後ろから、ふたつの黒い空気が漂っている。警戒心が強いロランはもとより、アンネッタもノエルが発する不穏な空気を感じ取っているみたいだわ。ロランはきっと、ノエルが攻略対象と知っているから警戒しているのね。追放された悪役令嬢が攻略対象から溺愛される、という物語の展開を思い描いているのかしら。

「せっかくのお申し出ですけれど、私はまだしばらくこの生活を堪能するつもりです。領地に戻るつもりはありませんわ」

「えー、つまらないな。まあ、お茶を飲む場所がなくても、喋るくらいならできるよね」

 つまり、大人しく帰るつもりはない、ということね。私が魔物の襲来の情報を持っているなら欲しいと思っているのは本当のことなのだわ。

「私たちはこれから寝室を修繕するところです。お相手している時間はありませんわ」

「寝室?」

 こうなっては仕方がない。私はノエルに、これまでの出来事を話して聞かせた。私としても、ノエルの建築魔法に期待せざるを得ない。

「そういうことなら僕に手伝えることがあるんじゃない? 僕は建築魔法を使えるよ」

「そうですわね」

「でもまあ、ただというわけにはいかないよね」

 正直なところ、ちょっとめんどくさい。けれど、この屋敷を修繕するためには、建築魔法が不可欠になるかもしれないわ。

「例えアスタ嬢が本物の聖女だとしても、魔物の襲来に備えないわけにはいかないよね。それを回避できる情報を持っているなら教えてほしい」

 ノエルが不意に、真剣な表情になる。魔物の襲来から民を守りたいと思っているのは、いくら腹黒キャラでも変わらないみたいね。

「そんなの、取引する必要なんてありませんわ。民を守れるなら、私の持つ情報なんて安いものです。けれど、それこそただというわけにはいかないですわね?」

 片目を瞬かせる私に、一瞬だけきょとんとしたあと、ノエルは初めて無邪気な笑みを浮かべた。

「楽しい時間になりそうだよ」

 一方で、ロランは依然として鋭い空気を纏っている。きっとパパの思っている通りにはならないと思うのだけれど。




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