八匹
また土曜日に、一葉と一緒に『藍沢』へ行った。働いているうめとゆずにプレゼントを渡すと、大声で喜んでくれた。
「こんなもの、買ってこなくてよかったのに」
たつきが苦笑いし、二人で手を振った。
「別に大したものじゃないし」
「これからも頑張ってねっていう、ちょっとした贈り物だよ」
「嬉しい。ゆず、一生懸命お手伝いしようね」
「そうだね」
樹里と一葉もつられて笑顔になった。明るい気持ちで、おいしいお茶とお菓子をいただいた。
五時の鐘が鳴り、『藍沢』から出た。すぐに一葉とは別れ、駅前のペットショップに寄った。可愛い子犬たちに癒される。とんとんと後ろから肩を叩かれた。
「え? うわあっ。金森先生?」
「お前、犬が好きなんだよな?」
「好きですよ。それがどうかしたんですか?」
「犬を飼いたいって思ったりしてないか?」
「犬を? そりゃあ、飼いたいですよ。そばにいてほしいですよ」
「よしよし。それならいいんだ」
謎の言葉を残し、金森はペットショップから出て行った。一体どういう意味なのか、この時の樹里には全くわかっていなかった。
翌日の日曜日は、一葉が入院している母の見舞いに行く用事があり、一人で行くあてもなく歩いた。コンビニからたつきが出てきたので、すぐに呼び止める。
「たつきくん。こんにちは」
「あれ? 赤城さん」
「もしかして一人? よかったらおしゃべりしない?」
「いいよ。俺もやることなくて。赤城さんは、そばにいるだけで気分が明るくなるもんね」
「幸せビームってやつ?」
「そうそう。みんなにビームを発して、癒してあげられるんだよ。赤城さんは」
「たつきくんも、すごく癒されるよ。にこにこしてて、一葉は恋愛相談してもらいたいって言ってた」
「お、俺が? 相談されても困っちゃうな」
「まだ彼氏は現れてないんだけど。あたしも一葉も、男運がないのかな」
「たまたまじゃない? 俺も好きな子いないよ。もうちょっと大人になったらできるかもしれないって期待してる」
「たつきくんと付き合った子は、毎日楽しいだろうね。そうやって笑ってくれると、ほっと安心するよ。あんみつも食べられる」
「ただし、否応なく店の仕事をするけどね。これは茶屋家の決まり。母さんも、結婚してすぐに藍沢で働いてるよ。子供がお腹にいる時も仕事してたらしいし」
「大変だね。でも藍沢は和気あいあいとしてて、居心地いいじゃない」
「そうだね。俺も茶屋の家に産まれて、本当に恵まれてるなって嬉しいんだ」
赤ちゃんは、親を選んで生まれてくると聞いたことがある。実際はどうなのか不明だが、樹里も直樹と里美の娘になれてよかった。
「ところで、赤城さんは一人暮らししてるの?」
「え? してるよ」
「最近、このあたりに不良がうろついてるみたいだよ。一人で出かける時は、襲われないように注意してね」
「不良? 見たことないけど」
「名前は知らないけど、ヤクザや不良の溜まり場として有名な高校があるんだ。目を合わせると恐喝。近づくと喧嘩。他人が傷ついている姿が何よりも嬉しいんだって」
「ええ……。確かに危ないね。一葉にも教えておく」
「俺も、うめとゆずが友だちの家に遊びに行く時は、必ずついて行くよ。まだ小学生だから、襲われたら大怪我だもんな」
「優しいお兄ちゃんだね。素晴らしいよ。たつきくん」
ぽっと頬が赤くなった。褒められて感動したみたいだ。
「いやいや。これは兄としてやるべきことなんだ。妹を護る。大人になっても見張ってあげる。うめとゆずが産まれた時、父さんと母さんからそうお願いされたから、しっかりと使命を果たさないとな」
「そっか。頑張って。あたしも優しいお兄ちゃんがいたら、もっと楽しい日々が送れたよ」
妹や弟ではなく、兄や姉なら面倒を見れなくても大丈夫。自分が見てもらう方なら、心配する必要はない。
「それにしても、どうして不良なんているんだろう?」
樹里が聞くと、たつきは目を丸くした。
「え?」
「真面目に生きていれば、不良になんかならないでしょ。もし学校に不良がいても、自分はこんなふうにはならないって考えれば、普通の人間のままだよ」
「まあね。警察に捕まるかもしれないし、自分より相手が強かったら喧嘩に負けて酷い目に遭うし。俺は絶対に不良になんかならないね」
「ちょっと気に障っただけで怒る人の頭の中は、どうなってるのかな? お父さんとお母さんに、こういうことはしちゃいけないんだよって育てられなかったの? それとも、親も不良だったり?」
「もしかしたら、親と住んでないのかもしれない」
「親と住んでない?」
「教えてくれる人がいなければ、不良になっちゃうのかも」
「住んでないって……。病気や事故で死んじゃったってこと?」
「それもあるけど、育児放棄の場合っていうのもあるよ。始めは仲良くそばにいたのに、急に捨てられた。お前なんかいらないって、置き去りにされた」
お前なんかいらない。なんて冷たく悲しい言葉。樹里には耐えられない。
「捨てられる……。辛さ……」
「まあ、不良に会わなければ問題はないからね。赤城さんも、自分の身をしっかりと護ってね」
「うん。ありがとう」
にっこりと微笑み、たつきと別れた。
我が子を育てず、見捨ててしまう。とても信じられない行為。血が繋がっている子供を愛せないのなら、始めから産まなければよかったのに。
「あたしもペットほしいけど、途中で飼えなくなったら可哀想だから見るだけで我慢してるんだよ。育てるなら、必ず最後まで育ててあげなきゃだめなんだから」
そっと呟いて、アパートに帰った。
事件が起きたのは、それから二週間が経った金曜日だった。その日は珍しく学校に残っていた。普段はすぐに帰るのに、なぜか外が真っ暗になるまで教室にいた。苦手な数学の宿題を、学校にいる間に終わらせようと考えたのだ。クラスメイトが次々と消えていったが、宿題のことで頭がいっぱいだった。うーんと首を傾げながら、頑張って解いていく。
「どうしてこんなに難しいのよ。ていうか、宿題多すぎるんだよ。あのナルシスト野郎。マジで性格悪い……」
愚痴を吐くと、後ろから肩を叩かれた。
「すみませんね。宿題が多くて。ついでに性格も悪くて。ナルシストで」
腕を組み、薄笑いしている。完全に聞かれてしまったようだ。
「い、いえ……」
答えると、金森はとなりの席に座った。どきりとし、無意識に身構えた。
「あの……。何でしょうか?」
「俺が手伝ってやろうか?」
「はい?」
言葉の意味がわからなかった。緊張しながら、もう一度聞く。
「手伝う? 金森先生が?」
「そうだ。これほどありがたいこと言ってもらえるなんて、奇跡と一緒だからな」
「え? どうしてですか?」
「ほら。早くやるぞ」
時計の針は、ちょうど六時半だった。慌てて樹里もペンを持った。金森に教えてもらいながら宿題をすると、たった十分で終わった。さすが教師だと、樹里もほんの僅かだが金森の印象をよくした。
「助かりました。一人だったら、まだ終わってなかったと思います」
「俺に感謝しろよ」
またいつものナルシストな顔つき。やはり性格は悪いなと睨みたかったが、しっかりとお辞儀をした。
「はい。感謝してます。どうもありがとうございました」
そして、くるりと振り返り、足早に教室から出た。
この驚きは、すぐに一葉に連絡した。
「ええ? あの金森先生が、宿題の手伝いする?」
「そうなの。あたしもびっくりしちゃったよ」
「本気で樹里に惚れてるね」
衝撃を受けた。だらだらと冷や汗が流れる。
「ちょっと待ってよ。あたし、あんなナルシスト男と付き合うなんて、お断りだよ」
「ナルシストだけど、イケメンじゃん。おまけに金持ちだし。彼女になったら、急に優しい態度に変わるんじゃないの?」
だが、樹里は恋人を作りたくなかった。今はまだ女の子たちと気楽に過ごしていたい。
「とにかく、あたしは金森の彼女になる気はサラサラないよ」
「そっか。おっと、そろそろ塾の迎えに行かないと。もう切るね」
「うん。お疲れさま」
樹里も答えて、携帯を鞄にしまった。
さらにその後も、樹里が勉強で困っていると、金森が声をかけてきた。数学だけではなく、別の教科でも手伝ってくれた。ちらりと金森の顔を見ると、教えている時の表情は確かにかっこよかった。まさか、一葉の話していた通り樹里を愛しているのか。授業で何度も当ててくるのは相変わらずだが、放課後「さっきの問題の解き方は……」と気にかけてくれる。意外にも愛情があるのだろうか。
「今日もありがとうございました。先生のおかげで、テストの点も上がっていきそうです」
にっこりと笑って言うと、金森は満足そうに大きく頷いた。
「だろ。俺は天才だからな。頭もいいし、教え方も上手い。非の打ちどころがない男なんだよ」
ふふん、と自慢する口調。以前は鼻について仕方がなかったが、現在はそれほど気にならないように樹里の心の中も変化していた。
「もしかして、あたし……。金森と恋人同士になったりして……」
ありえないと思うが、彼女になったら優しい態度をとるかもしれないと一葉は予想していた。樹里もそんな気がしてきた。ただ、ナルシストで自分が大好きな性格なのは不安になる。本当に愛しているのは相手でないため、突然嫌われたり愛想をつかれたり別れようと考えたりするかもしれない。それに教師と生徒が恋人同士になるというのもよくない。まだ誰とも付き合ったことがないので、これは絶対に解決しない悩みだ。一葉も経験がないし、里美に相談したら「先生と恋するなんて、やめなさい」と怒られてしまう。ナルシストと聞いたら、猛反対されるはずだ。