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七匹

「おい。開けろ」

 ドンドンッと奥の部屋のドアを叩く。これは毎日何回も行っていることで、嫌気が差してくる。声は返ってこないし、必ず失敗に終わる。

「いるんだろ? 出てこい」

 しかし中の人物は黙りこくり、聞こえないフリをしている。人の気配はするので、どこかに出かけているわけではない。

「また今日もだめか……」

 はあ、とため息を吐いた。いつになったら素直になってくれるのか。

 七年前、俺は少年を保護した。小さな公園で、独りぼっちで生活していた少年だ。肌が白くガリガリに痩せていて、間もなく死んでしまいそうな体だった。本人も「死にたい」「殺してくれ」と願っており、あまりにも哀れすぎる人生を歩んでいた。俺は、死神という名前で少年に話しかけた。

「俺が殺してやろうか?」

「え?」

「死にたいんだろ? なら俺が殺してやるよ」

 少年は目を丸くした。

「だ、誰だ? あんた……」

「死神だよ。お前の願いを叶えるためにやって来たんだ」

 俺の声に、少年は後ずさった。さすがに怖くなったのかもしれない。

「死神って……」

「本当に死にたいのか? 殺してほしいと本気で言ってるのか? 死んだら最後なんだぞ。それでもいいのか?」

 もう一度聞くと、口調を強くして少年は答えた。

「死にたいよ。本気で思ってるよ。だって、こんな毎日がずっと続くんだったら、死んだ方がマシだろ」

 とても悲しい気持ちが胸に溢れ返る。そして、この少年を死なせてはいけないという考えも生まれた。

「そうか。俺が、お前をこの日々から連れ出してやるよ。俺の家に来い。これからは俺が、お前の面倒を見てやる」

 突然のことに、少年は動揺して固まった。かなり驚いていた。

「ほら。来るんだ」

 無理矢理手を掴み、少年をそばに引き寄せる。

「もう死にたいなんて言わせない。お前に、生きているのは素晴らしいってことを、しっかり教えてやらないとな」

 柔らかく頭を撫でてやると、少年の瞳から涙がこぼれた。ずっと我慢していた涙だとわかった。

「生きるのって、素晴らしいのか?」

「素晴らしいぞ。とてつもなく幸せなんだ」

「幸せ……。俺にも、幸せになれる日が来るのか?」

「当たり前だろ。幸せになるために産まれるんだから」

「なら生きたい……。まだ九歳で死ぬなんて嫌だ……。幸せになりたい……」

 俺はしっかりと頷き、二人でマンションへ行った。

 リビングに移動すると、少年は緊張の表情に変わった。

「な、なあ。ここが死神の住んでる家なのか?」

「そういえば、きちんと教えてなかったな。俺の名前は死神じゃなくて、金森慧人だ。慧人って呼んでくれ。お前の名前は?」

「知らない」

 即答され、今度は俺が緊張した。

「知らない?」

「俺、親がいないんだよ。ずっと独りで生きてる。だから、名前も付けられてない」

「まさか、捨てられたってことか?」

「そうじゃねえの。産んだけど、育てるのが面倒だからって」

 何とも無責任な両親だ。我が子を置き去りするなど、人間失格だ。

「なら、俺が付けてやる」

「え? いいのか?」

「そうだな。……タイガってどうだ?」

 一匹オオカミ。オオカミ男というイメージ。漢字は大きな牙で、大牙。強くて男らしい。

「タイガか。かっこいい」

「苗字は黒瀬くろせ。俺が世話になった人が黒瀬っていう苗字だから。今日から、お前は黒瀬大牙だぞ」

「う、うん。やっと名前ができた……」

 嬉しかったらしく、俺にぎゅっと抱きついてきた。

 さらに、この痩せた体をどうにかしようと考えた。栄養のいい食事を与えれば、きっと健康になれる。

「大牙。食いたいものはあるか? 好きなものがあれば作ってやるぞ」

「食いたいもの? 特にねえよ」

「ハンバーグは? 子供なら大好きだろ」

「ハンバーグって何?」

 空しくなった。普通なら、数えきれないほど口にするハンバーグを知らないとは。今までロクな食事をしてこなかったのが伝わる。

「たくさん作ってやるよ。ちょっと待っててくれ」

 そして、材料を買いにスーパーへ走った。

 大牙の腹をいっぱいにさせてやりたくて、三人分の材料を用意した。その他にサラダ、スープ、デザートにホールケーキも買い、マンションに戻った。テーブルに並ぶ料理に、大牙の瞳はきらきらと輝いた。箸の使い方を知らなかったらしく、フォークとスプーンを渡した。

「うまいっ。めちゃくちゃうまいよっ」

「そうか。残さないで全部食えよ」

「うん。慧人……。ありがとう……」

 ぽろぽろと涙が溢れた。暖かくおいしい食事に、感動したらしい。三十分で完食し、ごしごしと目をこすった。

 次に、風呂を沸かして汚れを洗い流す。とても気分がよかったようで、柔らかく微笑んだ。やっと笑顔を見せてくれた。いつになったら笑うのかと待っていたのだ。子供服はないので、とりあえずサイズが大きい俺の服を着せた。

「ありがとう。慧人って優しいな」

「お前のためなら何だってしてやるよ」

 頭を撫で、やはり連れてきて正解だったと確信した。

 学校に通っていないので、大牙は日本語の読み書きができなかった。本屋で小学生ドリルを購入し、毎日教えてやった。もともと大牙は頭がよく、一度聞いたり読んだりした内容は全て記憶し絶対に忘れないという事実に驚いた。また、勉強が大好きで暇さえあればさまざまな問題について質問してくる。家事にも興味があるらしく、手伝いをしてくれた。しかし、その穏やかな大牙は、突然消えてしまった。



 思春期が始まると、途端に会話をしなくなった。目も合わせようとしない。トイレ以外は部屋に引きこもって出てこない。俺が高校で仕事をしている間に食事をして、マンションに帰ってくると汚れた食器やゴミがテーブルに置いてある。以前はきちんと片づけをするいい子だったのに。ドア越しに名前を呼んでも、黙ったまま返事をしない。自宅のマンションなので鍵がかかっていても開けられるが、そうやってドアを開けた時に恐ろしい形相で襲いかかってきた。たくさん食事を与えすぎたせいで、大牙の力はとても強く、背も俺より高く、まさにオオカミ男と化してしまった。喧嘩をしても勝てるわけがないのだ。そのため、こちらからドアを開けるのはやめようと決めた。心が暗くなったのは反抗期もあるかもしれないが、恐らく親に捨てられたという過去が原因で、他人を信じられなくなったからだ。七年間そばにいて育ててやった俺にも、あんな態度をとる。全く信用していない。しかし、誰かに大牙の世話を見てくれとお願いもできない。

そんなある日、高校で廊下を歩いていると大きな叫び声が耳に入った。

「ナルシスト野郎なんか、いなくなれえっ」

「赤城?」

 どきりとして足を止める。さらに続けて叫び声が聞こえた。

「あたしの前からいなくなれえっ。あたしの青春を邪魔するなっ。自分はかっこいいなんて勘違いするなっ。全然尊敬できないんだからっ」

「これって、俺のこと……だよな……?」

 ずいぶんとデカい愚痴だ。確かに俺はナルシストだし、自分を素晴らしい男だと信じている。誰も見抜けなかったのに、赤城だけは気づいたのか。

 その時、ピンと頭の中に電球が光った。

「そうだ。赤城に大牙のしつけ役を頼んでみるか」

 むくむくと期待が膨らむ。赤城がペットショップに通っているのを知り、質問してみた。

「赤城は、犬が好きなのか?」

「え? 好きですけど」

「世話をするのは?」

「まあ、それなりにできると思います」

 よし、と拳を作った。犬が好きなら大丈夫だ。犬もオオカミも、ほとんど同じだ。

「あとは、どんなふうに赤城をマンションに連れてくるかだな」

 赤城が必ず頷く方法を考えた。

 



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