五匹
「樹里。茶屋たつきくんって知ってる?」
一葉に聞かれ、首を横に振った。
「え? 茶屋くん?」
「うん。となりのクラスにいるんだけど。家族みんなで喫茶店を営んでるんだよ。藍沢っていうお店」
「藍沢? この前、雑誌で紹介されてたところかな?」
「日曜日に行ってみようよ。お茶もお菓子もおいしくて、人気の喫茶店だから」
「そうだね。雑誌に載るくらいなら」
こくりと頷き、しっかりと約束した。
『藍沢』は、よく利用するカラオケ店のすぐ近くにある。場所もわかりやすい。一葉とドアを開けると、同い年くらいの男子がやってきた。
「いらっしゃい。二名様?」
「はい。あの、あなたがたつきくん?」
「そうだよ。もしかして茜谷高校?」
「うん。B組。たつきくんはC組でしょ?」
「そう。後ろのお客さんが待ってるから、椅子に座って」
「あっ。ごめん」
慌てて案内された席に移動した。
たつきは、にこにこと笑いが溢れる男子だった。どんな客に対しても同じ態度で、すごいと尊敬した。忙しいのか、なかなか席に来てくれない。代わりに二人の少女が歩いてきた。
「こんにちは。来てくれてありがとうございます」
「あたしたち、お兄ちゃんの妹で双子です。あたしは、姉のうめ。こっちが妹のゆず」
「うめちゃんとゆずちゃん? ちゃんと働いてて偉いね」
褒めると、ポッと頬が赤くなった。
「今は、この抹茶あんみつが人気ですよ。ほろ苦いのと甘さがおいしいんです」
「飲み物は、冷たいほうじ茶と緑茶がおすすめです。いかがですか?」
しっかりと店員としてなりたっている。抹茶あんみつとほうじ茶を頼み、うめとゆずは厨房へ走って行った。
「まだ小学五年生くらいだよね? 親の手伝いしてるんだ」
「あたしが子供の頃は、遊んでばっかりだったな。仕事するなんて一つも頭になかったよ」
過去が胸に蘇った。いつも両親に甘え、自分勝手でわがままなことばかりしてきた。叱られたり怒られたりもしたが、自由に暮らしていた。やっと解放されたと感じたが、始めから檻に閉じ込められていなかった。
「一葉も、ある意味仕事してるじゃない」
一葉は、四人姉弟の一番上だ。一葉と、弟が三人。母が病気持ちなため、弟たちの面倒は姉の一葉に全て任されている。三人とも、とてもやんちゃで言うことを聞かないらしい。樹里だったら絶対に面倒など見れない。だから犬も飼えない。人と犬では違うだろうが、必ずどこかで迷ってしまう。
「あたしは、他人のために努力するっていうのは無理なんだな。しつけたり世話をしたり面倒をみたりするなんて、できるわけない」
「そんなに難しくないよ。慣れればへっちゃらだよ」
はははと笑っていたが、樹里は黙って俯いた。自分に弟や妹がいなくてよかったと里美に感謝した。
一時間ほど経って、一葉の携帯が鳴った。
「はい。あれ? もう塾終わったの? ……そう。わかった。迎えに行くね」
電話を切ると、申し訳ないという表情で話した。
「ごめん。弟の塾が早く終わったみたいで」
「いいよ。一葉の分のお金は、あたしが払っておく」
「じゃあ、後で返すよ」
「いらないよ。それより、すぐに迎えに行ってあげて。待たせたら可哀想だよ」
「ありがとう。また明日ね」
素早く立ち上がり、一葉は走って行った。少し残念だが、いつでも来れるのだからと前向きに考えた。
しばらくお茶を飲みながら座っていたが、たつきに声をかけられ目を丸くした。
「友だち、帰っちゃったの?」
「ああ。そうなの。弟くんの塾の迎えで」
「そっか。仕事が終わったら、俺と一緒に歩かない?」
「え? たつきくんと?」
男子に誘われたことはないので、どきりとした。とはいえ、たつきは彼氏になりそうなタイプではないので安心した。
店の外で、たつきを待った。『藍沢』は六時に閉店する。エプロンを取った姿で、たつきは樹里の元へやってきた。
「けっこう待たせちゃってごめんね」
「ううん。それより、どこを歩くの?」
「どこでも。そうだ。君の名前まだ聞いてなかったよね」
「あたしは赤城樹里。さっきの友だちは水橋一葉」
「へえ。変わった名前だね。あ、悪い意味じゃなくて」
「そうだね。お父さんの名前とお母さんの名前を合わせて作ったって教えてもらったよ」
直樹の「樹」と、里美の「里」で樹里。自分でもこの名前を気に入っている。響きが綺麗だし、ちょっと珍しいというところも好きなのだ。
「そうなんだ。親に愛されて育ったんだね。顔を見て、はっきりと伝わるよ」
「そ、そう?」
「店に入った時から、ずっと思ってた。箱入り娘だなって」
「ええ……。恥ずかしいな……」
「恥ずかしがることないよ。むしろ、みんなを幸せな気持ちにさせてあげなよ」
「幸せな気持ち?」
「赤城さんは、影響されるって聞いたことない? そばにいるだけで、他人の思いが胸に届く。赤城さんが幸せビームを発して周りの子が笑えたら、嬉しくなるだろ?」
確かに、それはとても素晴らしいことだ。樹里の力で誰かの心を軽くできたら。
「たつきくんも、ずっとにこにこしてて幸せにしてくれる性格だね」
「ははは。俺の唯一の特技」
「妹のうめちゃんとゆずちゃんも働いてて、すごいよ。あたしが小さい頃は、自分のことしか考えてなかったもん」
「大抵はそうだよ。うちは、じいちゃんばあちゃんの世代から続いてる店で、子供は継がないといけない家なんだ」
「じゃあ、たつきくんも昔から仕事してるってこと?」
「うん。さっきの抹茶あんみつ、どうだった? 俺が作ったんだけど」
「おいしかったよ。また食べたい。というか、毎日食べたい」
「毎日食べたら太っちゃうけど。褒めてもらえて嬉しいな」
にっと笑う。つられて樹里も微笑んだ。これが影響されるということだろう。
そのままたつきとは別れ、明るく優しい気持ちでアパートに帰った。
同い年の男子とおしゃべりをした経験はなかった。どきどきして歯切れが悪くなったり、戸惑って黙ったりしそうだが、たつきはとてもフレンドリーで普通に女子と会話しているようだった。きっと妹の面倒も見ているはずだ。喫茶店だけではなく、妹の世話もこなしている。やはり樹里にはできない。
ぼんやりしていると、一葉から電話がかかってきた。
「さっきはごめんね。あの後戻ろうと思ったんだけど、一番下の弟が熱っぽいって言ってきて」
「大丈夫だよ。いつでも行けるんだし。それより具合よくないの? 心配だね」
「今は薬飲ませて寝かせてる。明日になれば元気になってるよ」
「そっか。お疲れさま」
柔らかな口調で答えて、電話を切った。
翌日の昼休みに、たつきが教室にやって来た。
「昨日はお茶飲みに来てくれて、二人ともありがとさん。うめとゆずも、可愛いお姉さんに会えてよかったって感動してたよ」
「ええ? 可愛いお姉さん?」
「いやいや。感動するような女じゃないから」
「お世辞じゃないからね。次は半額にしてあげるよ。お茶も、おかわり自由ってことで」
「それはさすがに悪いよ。ちゃんとお金払う」
「普通の人と同じで全然いいから」
「そう? 二人とも真面目だねえ」
はははと軽く笑って、たつきは歩いて行った。
「茶屋くんって、男の子としゃべってるって感じがしないね」
「やっぱり一葉もそう思う? すっごくフレンドリーだよね」
「恋愛で困った時、相談に乗ってもらいたいな。まだ好きな人見つかってないけど」
「いい男友だちになれそうだよね。ああいう人、とっても貴重だよ」
たぶん妹がいるから、こうして女子とうまく付き合えるのだ。彼氏ではなく、ただの友人という関係。たつきとは、そういう間柄で仲良くしたい。