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一匹

 赤城あかぎ樹里じゅりは、弾む心で桜が満開の道を歩いていた。歩くというより、スキップしているような感じだ。目の前はきらきらと輝いていて、体は羽のように軽い。向かう先は、茜谷あかねや高校だ。これから高校生として、新たな生活がスタートする。そして一人暮らしも始まるのだ。

 最初は、一人で暮らすなどだめだと猛反対されていた。若い女の子が一人でいたら危なすぎる。しかし何回もお願いしてようやくお許しをもらえた。

「十六歳なんだから、自立しなきゃいけないでしょ? 十六歳は大人と同じだよ。親に甘えてたらいけない年齢。あたしだって一通り家事はできる。ね、一人暮らしさせて」

 樹里の言葉に、母の里美さとみは夫の直樹なおきの顔を見た。

「まあ……。確かに他の子は一人暮らししてるよね。そういえば、あたしが一人暮らししたのも十六歳からだった」

 しかし直樹は何も言わず黙っていた。腕を組み、あぐらをかいて石のように固まっている。

「いいの? ねえ、一人暮らししていいの?」

 身を乗り出して聞いても答えない。これ以上質問しても変わらないと、樹里は勝手に決めてしまった。

「じゃあ、あたし一人暮らしするからね」

 直樹は目を合わせなかったが、里美は少し頷いた。これで了解だと考え、にっこりと笑った。別に親不孝なことをしたとは思っていない。アパート探しは大変だったが、駅からも学校からも近い場所が見つかった。

 一人暮らしの支度をしていると、直樹が部屋に入ってきた。

「どうしたの?」

「本当に、一人暮らしするつもりなのか?」

「うん。心配しないでよ。きちんとやっていけるから」

「勉強も家事もしなきゃいけないんだぞ。それに何より……。変な男に出会ったりしたら」

「全く、お父さんって妄想ばっかりするよね。そんな変な人なんていないよ」

「そうか? お父さんは、そんな予感がしてるんだけどな。樹里が嫌な目に遭って、疲れとストレスでいっぱいになってるっていう」

「ないない。大丈夫」

 はははと笑い、支度の続きを再開した。

 アパートに行く日の朝は、かなり早起きをした。荷物を持って玄関に行き、しっかりと言い切った。

「じゃあ、行ってきます」

「困った時は、家に戻ってきなさいよ」

「夏休みや正月は、必ず顔見せるんだぞ」

「はいはい。わかってるって」

 簡単に答え、ドアを開けて大股で歩いた。

 やっと、親にあれこれ決められずに済む。直樹も里美も過保護すぎるのだ。学校が終わったら、すぐに帰らないといけないし、携帯も危ないからとなかなか買ってくれなかった。友人が普通にやっていることができないので、さっさと家を出たいと願っていた。恋なんて、もってのほかだった。

「あたし、憧れの先輩がいるんだ。超かっこいいんだよ。今度、メールアドレス交換させてもらおうかな」

 すると里美は驚いて、大声をあげた。

「男の子なんて、何考えてるかわからないでしょ。メールアドレス交換なんてだめ」

「どうして? 先輩、そういう人じゃないよ」

「人間には、裏の顔があるの。樹里は優しくてかっこいいって信じてるかもしれないけど、もしかしたらとんでもない悪人だったりするよ。やめなさい。もし交換するなら、携帯没収するからね」

 携帯を奪われるのは避けたいので、仕方なく先輩と近づくのは我慢した。また、直樹からも「恋愛禁止」と口うるさく言われた。娘が大事なのはわかるが、とにかく厳しかった。

 しかし、その決まりはなくなった。自分の好きなことを、好きなだけしていいのだ。放課後は買い物やカラオケに行ってもいいし、かっこいい男の子とメールアドレス交換したってOK。叱られる、怒られるというのがない。やっと解放されたと親友の水橋みずはし一葉かずはに電話で伝えると、すぐに明るい声が返ってきた。

「よかったじゃん。自由な空に羽ばたけるね。あたしも一人暮らししたい」

「大学生になったらできるんじゃない? アパートに泊まりにおいでよ」

「いいの? 樹里って優しいね」

 一葉とは中学一年からの付き合いだ。サバサバとした性格で、おしゃべりするだけで元気になれる。おいしい喫茶店や最近の流行りも詳しい。茜谷高校は一葉が目指していた学校で、高校生になってもそばにいたいと樹里も茜谷を志望した。制服も茜色で可愛く、大正解だったと満足している。

 高校でも、すぐに仲良しの友人ができた。みんなとてもおしゃれで、樹里にメイクの方法を教えてくれたり、家に泊まってテスト勉強したり、楽しくて堪らない。やはり一人暮らしはいいものだと、しみじみと感じていた。




 ただ一つ嫌だったのは、担任の金森かなもり慧人けいとという数学教師だ。背が高くクールで、ナルシストな若い男。教師たちの間でも人気が高く、校長まで一目置いている。帰国子女で英語もペラペラらしい。以前は違う高校で働いていたが、そこでは国語教師だったと聞いた。文系も理系も得意。自信でいっぱいなのだ。学校の女の子たちはみんな金森に憧れていて、キャーキャーと騒いでいる。金森に会いたいという理由で入学する人も多いらしい。確かに美形で頭がいいのは認めるが、樹里には全く魅力的に映らなかった。せっかくの楽しい日々が、この男に潰されているような気分だ。その思いが金森にも届くのか、いつも授業で当てられる。樹里が苦手なのは数学だと知っているので、まるで嫌がらせをするかのように何度も当ててくる。答えられないと馬鹿にしたように笑う。恥ずかしさと悔しさが胸に溢れ返る。

「今日も金森先生に嫌がらせされちゃったね」

 一葉が慰めてくれるが、本当に邪魔者でしかない。

 クラスメイト達は、樹里を羨ましいという眼差しで見つめてくる。

「いいなあ。あんなふうに金森先生に名前呼んでもらえるなんて」

「あたしも呼んでほしい……」

「ねえ、どうすれば、金森先生のお気に入りになれるの?」

「いや……。お気に入りで呼んでるんじゃないよ。むしろ嫌われてるんだと思う」

「ええー? 赤城さん、知らないの? 金森先生のこと」

「金森先生のこと?」

「前に、違うクラスの子が金森先生に声かけたんだよ。でも返事してくれなくて、どうして無視するんですか? って聞いたら、俺は気に入った奴としか会話しないんでねって答えたんだって」

 まさにナルシストっぽい言葉だ。けれど樹里をお気に入りとは考えていないだろう。

 一葉に伝えると、かなり驚いていた。

「へえ……。もしかして、樹里のこと好きだったりして」

「やめてよ。あんなナルシスト野郎に好かれるなんて、絶対に嫌だ」

「けど、イケメンだし大金持ちだよ。女の子たちにモテモテだし」

「あたしはかっこいいって思えない。おかしな妄想はやめて」

 ぶんぶんと首を横に振り、どうかそんなことが起きないでくれと祈った。

「俺は、気に入った奴としか会話しない……。ものすごいナルシスト野郎なんだな」

 そっと独り言を漏らす。自分が大好きで堪らない。金森とだけは関わりたくない。とにかく、あのナルシスト野郎以外はパーフェクトな日々だった。あの男さえ消えてくれれば、天国と同じだ。




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