十八匹
久しぶりに、一葉とカラオケに行った。
「藍沢でのアルバイト、どんな感じなんだろうね?」
樹里が聞くと、一葉は即答した。
「注文や会計は難しくないと思うけど、ずっとスマイルでいられるかが不安だよ」
「喧嘩腰になるなってことも話してたよね。カッとして怒鳴っちゃったらどうしよう」
「とにかく、失敗しなければ大丈夫だよ。でも、樹里はけっこうドジだからね。慣れるまでは、本当に気を付けた方がいいよ」
「うん。わかってる。ありがとう」
「あっ。次は樹里の歌だよ」
さっとマイクを渡され、今はカラオケを楽しもうと考えた。
二時間熱唱してアパートに帰ってきたが、バッグの中の鍵がなくなっていた。
「あれ? どこに行っちゃったの?」
必死に探すが、本当に鍵が見つからなかった。
「どこかに落としたのかな。カラオケに置いてきたとか? やばい。部屋に入れない……」
仕方なく金森に電話をかける。すると呆れた口調で答えが返ってきた。
「新しく鍵を作るしかないな」
「鍵を作るのって、どれくらいかかるんですか?」
「それは俺にはわからない」
「金森先生が、鍵の作成をお願いしてくれますか?」
「仕方ないな……。まあ、後で電話してみる」
「すみません。で、その間あたしはどこで暮らせばいいんでしょう?」
「大牙の部屋に泊まらせてもらえ」
「え?」
どきりとした。続けて金森は言う。
「大牙も、そこまで冷たい性格じゃないからな。野宿の辛さは、あいつがよく知ってるし」
九歳まで、小さな公園でホームレス生活。過酷な日々を送ってきた。
「そ、そうですか。わかりました。大牙くんに言ってみます」
そして電話を切った。
緊張しながらインターフォンを押す。かなり間が空いてから、ドアが開いた。
「何だ」
「あ、あの……。あたし、アパートの鍵を失くしちゃったの。どこかに落としたみたいで」
「へえ。そりゃあ気の毒だな」
「金森に新しい鍵を作るって言われて。その鍵ができるまで、大牙くんの部屋に泊まらせてくれないかな?」
「は? 俺の部屋?」
ぎくりと冷や汗が流れる。やはり「いいよ」と答えてくれない。
「嫌に決まってるだろ。女と一緒に過ごすなんて絶対に」
「大牙くんしか頼みの綱がないの」
「慧人のマンションに泊まれば?」
「あそこは学校と離れてるんだよ。迷惑はかけない。約束する」
手を合わせて目をつぶる。樹里の心が届いたのか、はあ……とため息を吐いた。
「高校生なのにアパートの鍵失くすなんて、どれだけドジなんだ」
「ごめんね。申し訳ないって、ちゃんと考えてるよ」
俯き、大牙は無視をして中へ入った。
大牙のリビングは黒や灰色が多く、家具も少なくて殺風景だった。以前台所で料理をしたが、居間には来なかったため驚いた。
「大牙くんって、モノクロが好きなんだね」
「文句があるなら出て行ってくれ」
「文句じゃなくて、ただモノクロが好きな色なんだねって話しただけだよ」
とにかく今は、大牙を不機嫌にさせないように気を遣った。追い出されたら、とんでもない目に遭う。
「お花でも飾ってみたら? 色がモノクロでも、パッと明るく華やかになるよ」
「俺は花を育てるのが面倒なんだよ。毎日水やりなんか、やりたくねえし」
「造花なら、水やりする必要はないでしょ」
しかし大牙は目を逸らして黙った。樹里のアドバイスなどロクでもないと、馬鹿にしているのがわかる。
「さて、あたしは何をすればいい?」
「何って?」
「夜ご飯作ったり、お風呂洗ったり。一応家事はできるから」
「そんなことしなくていいから。ソファーに座ってテレビでも観てろよ」
「でも、お世話になるのに悪いじゃない」
「どうせ手伝ってもドジ踏むんだろ。早く向こうに行ってくれ」
むっとしたが、確かに問題を起こしたら大変なのでソファーに腰かけた。
もう一度、バッグの中に手を入れてみる。やはり鍵は消えていて、がっくりと項垂れた。
しばらくして、大牙がリビングにやってきた。樹里のとなりに倒れるように座る。
「お疲れさま。今日の夜ご飯は?」
「カレーだ。簡単だし、冷蔵庫にあるもので作れるのはカレーしかなかった」
「あたし、カレー大好きなんだ。ハンバーグも大好き」
大牙との距離を縮めるために、ハンバーグも出してみる。樹里と気持ちが一緒だと、ほんの少しは興味を持ってくれるかもしれない。だが大牙は無視をして、部屋に入ってしまった。どうしてここまで心の扉が固いのか。他人を信じないという思いが動くには、どんな方法があるのだろうか。
七時に、カレーを温めて食べた。
「おいしい。男の子なのに料理上手なんだ。すごいね」
「そんなにうまくねえだろ」
「ううん。とってもおいしいよ。もっと自信持たなきゃ」
頑張って褒める。けれど、どんな言葉も大牙の胸には響かなかった。むしろ、褒めると逆に不機嫌になりそうで、仕方なく樹里も黙った。
食事が終わり、風呂に入った。
「あたしが先でいいの?」
「いい。いちいち聞くな」
「ありがとう。あっ、着替えは?」
「とりあえず、俺の服を貸してやる。汚すなよ」
「言われなくてもわかってるよ」
むっと答え、洗面所へ向かった。
疲れと汚れを落とし、十五分ほどであがった。いつもは一時間くらい入っているが、迷惑になると短時間で済ませた。着替えはサイズが大きく、それだけで男らしいと伝わる。リビングに戻る前に、台所を覗いた。汚れた皿やコップが置いてあったので、樹里が洗った。
「おい。余計なこと……」
「何もしないのは悪いでしょ。さすがに。これくらいならできるから」
「割ったら、お前の頭も割るぞ」
「もう。どうして乱暴なことばっかり話すの? だけど大牙くんって意外と大人しい性格だよね。学校でも喧嘩してないし。睨んだり怒鳴ったりも一度もないし」
「お前にだけって決めてるんだ」
「え? あたしだけ?」
「慧人のマンションから追い出されたのも、お前のせいだしな。恨んでるのはお前だけ。イライラするのもお前だけ」
そっと俯いた。まだ悪者扱いされているのか。
「だから、あたしも金森に騙されたんだって。まさかしつけ役を頼まれるなんて」
「すでに俺は自立してる。しつけ役なんか最初から必要ねえんだ」
鋭い視線と暗い口調。だが礼儀はなっていないし、他人と関わることもできない。しっかりと教えてあげなくては。
十一時半に、睡魔が現れた。大きくあくびをする。
「寝るか? 俺のベッド使え」
「じゃあ、大牙くんはどこで?」
「俺はソファーで寝る」
「あたしがソファーに寝るよ。これ以上お世話になるのは……」
ぐいっと腕を掴まれ、無理矢理寝室に連れて行かれた。ドサッとベッドに倒されて布団をかけられた。
「明日も学校休みだけど、早起きしろよ」
「大牙くんも夜更かししたらだめだよ。じゃあ、おやすみ」
すると、部屋の電気が消えた。どきっとしたが、意外と熟睡できた。