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十五匹

 翌日の昼休みに、さっそく弁当を渡した。

「これ食べて。大牙くんの好きなハンバーグのお弁当。前回とは違って本格的だよ。ちゃんとレシピ読んだから」

「コンビニでパン買うからいらねえよ」

「だから、パンじゃ栄養とれないんだって。金森も同じこと言ってたよ」

 樹里だけでは聞く耳を持たない。金森の名前も出せば、少しはわかってくれる。予想した通り、大牙は弁当を受け取った。

「慧人がそう話してるなら食うか。味はいいんだろうな?」

「うん。何回も味見したし。おいしいよ」

「どうかな。まずかったら残すぞ」

「大丈夫。食べてみて」

 蓋を取り、じっと見つめてから口に放り込んだ。どきどきしていると、そっと呟いた。

「……まあまあかな」

「まあまあか。頑張って作ったんだけど」

「慧人の方がうまい」

「金森はグルメだから、料理得意なんだよ。普通はこんな感じだよ」

「こういうのって、親に教えてもらうんだろ」

「え?」

「お前も母親に教わって覚えたんだろ。俺は慧人にいろいろ教わった。箸の持ち方や日本語の読み書き。もし慧人がいなかったら、何もできない人間だったんだな」

「それって、金森に感謝してるってこと? それなら、ありがとうって言いなよ。どうしてダンマリなの?」

 しかし大牙は無視をして、弁当の続きを食べた。樹里も大牙が睨んだり怒鳴ったりしないように黙って、弁当の蓋を開けた。

 少しずつでもいいから、距離を縮めたい。しつけ役というより、友人みたいな関係になれたら。もちろん男と女だし、すぐに仲良くはなれないとわかっている。それでも、今の自分の思いを伝えて、笑顔を見せてほしい。

 弁当を完食し、空になった容器だけ返された。

「また明日も作ってあげるね」

「いい。俺のせいで疲れたって文句言われたら、気分悪い」

「言わないよ。大牙くんがずっと健康でいられるように頑張る」

 微笑んでも、大牙は目を逸らしこちらを向かなかった。空しいが、全部食べてくれたのは嬉しかった。放課後は金森に報告した。

「へえ。俺のメシしか食わないと思ってたけどな」

「毎日パンじゃ、体によくないですからね」

「まあな。でも無理するなよ。自分の体の方が大事だって忘れるな」

「忘れてません。平気です」

「じゃ、これからも頼んだぞ」

 そして電話を切った。

「あたしにできることは、ほとんどないけど。でも、見捨てないで、そばにはいるよ。大牙くんを独りぼっちにさせたり、裏切ったりは絶対にしない」

 しっかりと自分に言い聞かせる。

 九歳の頃の大牙の姿。とても可哀想だった。周りの人たちがあまりにも冷たすぎて、どれだけ過酷な生活を送ってきたのか樹里にもわかった。

 土曜日は、大牙の部屋のインターフォンを押した。間が空いてから、ドアが開く。

「どうした?」

「お昼ご飯って、何か決めてるの?」

「決まってねえよ」

「あたしが作ってあげようか?」

「自分で作れる。余計なことすんな」

「じゃあ、食べに行く?」

 誘ってみた。大牙は驚いたのか、目を丸くした。

「どこに行くんだよ」

「どこでも。大牙くんの好きなお店に入ろう」

「女とメシ食いたくねえ。俺は放っておいてくれ」

「放っておけないよ」

 固い口調で答える。

「金森にも頼まれてるけど、あたしは大牙くんのしつけ役なの。しつけって、お世話したり面倒を見たりするって意味だよ。あたしは大牙くんのそばにいて、大事に護る役割があるの。一人で生きてきたから、礼儀がなってないでしょ。他人とうまく関わることも知らない。そういうのを身に着けるために……」

「うるせえな。くだらないことベラベラしゃべってないで、どっか行けよ」

 バタンッとドアを閉めてしまった。まだ素直になるには、かなりの時間がかかるとため息を吐いた。

 一葉に電話をかけて、「藍沢に行こう」と言ってみた。

「あたしも行きたかったんだ。藍沢って、癒しの喫茶店だよね」

「たつきくんもうめちゃんもゆずちゃんも、にこにこだもんね。元気になれるよ」

「藍沢でアルバイトできたらいいのに」

「え?」

 アルバイトという言葉に、どきりとした。

「今度、ママが手術するの。手術って、たくさんお金がいるでしょ? 弟三人の塾のお金が足りなくなっちゃうんだ。生活費だってある。どこかでアルバイトしたいって考えてるんだけど、なかなか見つからなくてね」

「そうなの? 手術なんて……。大変だね」

「仕方ないよね。ママだって、好きで病気持ちになったんじゃないんだもん。誰のせいでもないんだよ」

 樹里も一度だけ、一葉の母の見舞いに行ったことがある。

「初めまして。赤城樹里です」

「一葉から、よく話を聞いてるよ。いつも仲良くしてくれてありがとう」

 サバサバとした一葉とは違い、柔らかくて穏やかな性格。顔色はあまりよくなく、お見舞いも十分で帰された。

「ママ、樹里に会えて大喜びしてたよ。可愛くて明るくて、素敵な女の子だって」

「ほ、褒めすぎだよ。素敵だなんて」

「あたしは男っぽいじゃん。せっかく女に産まれたんだから、樹里ちゃんくらい可愛くなりなさいって怒られちゃった」

「けど、最近の流行りや新しいお店いっぱい知ってて、お姉さんってイメージがあるよ。かっこいいなって憧れてるよ」

「ありがとう。実際に、弟三人もいるしね。やんちゃで自分勝手で、本当にいい加減にしてよってイライラしちゃうよ」

 病気の母のために努力しているのだ。その点、樹里は両親に甘えてばかりで、蝶よ花よと育ってきた。

「じゃあ、藍沢で待ってるね」

 一葉の声に、過去の出来事が消えた。

「う、うん。また後でね」

 答えて、電話を切った。

 ゆっくりと歩きながら、そっと呟いた。

「これからは、大牙くんのしつけ役として努力しなさいってことなのかな?」

 ずっと自由気ままに暮らしていてはいけない。樹里も頑張らなくては。とはいえ、大牙の面倒を見るのは弟三人より遥かに難しい。

 『藍沢』の前に一葉が立っていた。樹里を見つけて、大きく手を振っている。

「ごめん。待たせた?」

「全然。それより、早く食べよう。あたし、お腹すいちゃった」

「そうだね。今日はお菓子じゃなくて、ランチ注文してみようか」

 甘い物だけではなく、ちょっとした食事もできる。きっと食事もおいしいだろう。

 席について、すぐにたつきがやって来た。

「赤城さん、水橋さん。いらっしゃいませ」

「土曜日も混んでて、大変だね」

「本当に人気店なんだ」

「うん。来てくれてありがたいよ。で、ご注文は?」

「ランチAで。デザートは抹茶あんみつ」

「あたしはランチBで、デザートは黒蜜のアイス」

「かしこまりました」

 にっこりと笑って、たつきは厨房へ行った。

「いつも笑ってるのって、けっこう辛いよね」

「たつきくんにしかできないよ」

「疲れてても働かなくちゃいけない。あたしには無理か……」

「そんなことないよ。ただ、アルバイト募集してないから、藍沢ではお仕事できないね」

「あーあ……。藍沢の雰囲気、大好きなんだけどな。弟たちのために、お金貯めないと」

「一葉は家事しっかりとこなしてるし、どんなところでも活躍するよ」

 とりあえず、樹里にできることは励ますくらいだ。こくりと頷き、一葉は微笑んだ。


 

 五時になって、アパートに帰った。自分の部屋に入る前に、大牙の部屋のインターフォンを押した。

「ちゃんとお昼ご飯食べたの?」

「食ったよ。パン二つ」

「またパン? 誰かが作ってあげないと、パンしか食べないの?」

「うるせえな。しつこい女って嫌われるぞ」

「夜ご飯は、食べに行こう」

「は?」

「近くにレストランあるから。食べたいもの教えて」

「そんなもんねえよ」

「じゃ、あたしが食べたい中華料理で。さっさと行くよ」

 ぐいぐいと大牙の腕を引っ張る。睨まれたり怒鳴られたりしてきたらと不安だったが、黙ってついてきた。

 一葉とよく食べに行く店にたどり着き、もう一度聞いた。

「中華料理でいいんだよね?」

「お前の好きにしろ。まずかったら」

「まずくないよ。大牙くんでもおいしいって思うはずだから。じゃ、入るよ」

 扉を開き、案内された席に座った。

 同い年の男子と食事をするのは生まれて初めてで、とても緊張した。大牙はいつもと変わらないという表情だった。テーブルを汚していないかと、ちらちら盗み見る。

 昔は箸もペンも使えなかったらしいが、現在は上手に扱っている。金森が七年間どんなふうに大牙と暮らしてきたのか想像してみた。一匹オオカミの少年を死なせたくないと、拾い育てたのは立派だ。しかし樹里に丸投げするのは無責任すぎる。もし育てるなら、最後まで自分一人で育てろと言いたくなる。それよりも悪なのは、捨てた親だ。育児放棄なのか、仕方なく置き去りにするしかなかったのか。

「じろじろ見てないで、さっさと食えよ」

「あ……。そ、そうだね」

 手が止まっているのに気付き、慌てて食事を口に放り込んだ。

 外に出ると、すっかり夜になっていた。

「そういえば、この間学校の帰り道歩いてたら、男の子の叫び声が聞こえたよ」

「叫び声?」

「うん。誰かと喧嘩してるような。俺を捨てるのか? って怒鳴ってた」

「へえ。俺みたいに誰かに捨てられた人間が、どっかにいるのか」

「そうだね。どうして捨てるなんて酷いことするんだろう。寂しさも辛さもわからないの?」

「さあな。俺に聞かれても答えられねえよ」

 確かにその通りなので、樹里も目を逸らして黙った。

 この世の中に、また一匹オオカミで暮らしている人がいる。優しい人が拾ってくれたらいいが、ずっと一人だったら可哀想だ。愛していると信じていたのに裏切られ置き去りにされるのが、どれほど空しく悲しいのか。




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