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十三匹

「赤城樹里か……」

 慧人が、俺のしつけ役として選んだ女。面倒を見るのだからゴツくて体格のいい奴かと思ったら、チビで馬鹿そうな履いて捨てるほどいる平凡な人間だった。なぜ慧人がマンションに連れてきたのかわからないが、こんな女にあれこれ命令されるなど絶対に嫌だ。大声を出して睨みつけてやれば逃げるかもしれないが、もう慧人は赤城樹里にだけ頼むと決めている。いくら脅かしても怖がらせても、俺はあいつと一緒に過ごさなくてはいけないようだ。

 携帯が鳴った。出ると慧人の声が耳に入った。

「赤城に襲いかかるんじゃないぞ。女を傷つけるんじゃない」

「だけど、あいつの顔見てるとイラつくんだよ」

「イラつく?」

「あの、親に充分甘やかされたっていう顔が」

「それは赤城だけじゃないだろ? 赤城だけ妬むのはおかしいじゃないか」

 育児放棄された俺の思いなんか、他人には届かない。悲しかった辛かったと話しても、ただ「可哀想」とだけ答えて同情などしないのは、すでに知っている。

「まあ、大牙は過酷な生活を送ってきたからな。親がいない寂しさは伝わらないよな」

「さすがに暴力は振るわねえよ。でも怒鳴ったり睨んだりはするから」

「やめろ。どうしてすぐ乱暴なこと考えるんだ」

 しかし俺は返事をしないで、一方的に切った。慧人も親に愛されてきた。拾って名前をつけてここまで育ててはくれたが、本当に好きなのは自分で俺はそんなに大事に思っていない。

「味方なんか、どこにもいないんだ」

 九歳の頃小さな公園でホームレス生活をしていた時、近くに通りかかった大人たちはみんな俺を「気味が悪い」と白い目を向けてきた。誰も俺を助けてあげようなど考えてくれなかった。慧人が現れなかったら、九歳で死んでいた。

 インターフォンの音で、はっと我に返った。ドアを開けると、赤城がビニール袋を持って立っていた。

「何だよ」

「栄養のいい食事じゃないと、病気になっちゃうよ。あたしが作ってあげる」

「は? 頼んでねえし、どうせうまくないんだろ」

「でも体を壊したら大変だよ。頑張って作るから」

 そしてビニール袋の中のものをテーブルに置いた。ハンバーグの材料だ。俺が大好きだと、慧人に聞いたのだろうか。

「いい。俺も料理できるし、はっきり言って迷惑だ」

「だめだよ。それに、あたしも大牙くんと食べたい」

「俺と食べたい?」

 驚くと、赤城はしっかりと頷いた。

「そう。金森に、大牙くんのそばにいてあげてくれってお願いされたの。一緒に過ごして仲良くなってくれって。あたしも大牙くんと距離を縮めたいって考えてる」

 こいつは馬鹿なんだろうか。俺が女と友人になるわけないのに。無駄な努力をしたって意味がないのに。

「言っておくけど、俺はお前と仲良く」

「なれないよね。わかってるよ。七年間育ててくれた金森にも信用してないんだもんね。だけど、もしかしたらって期待してるの」

 もしかしたら、なんてない。絶対にない。どんな期待を待っているのか。

「とにかく、あたしが夜ご飯作る。大牙くんは座ってて。なるべくおいしくなるように心がけるよ」

 言い切って、赤城は台所へ入った。

 三十分ほどで、ハンバーグの匂いが漂ってきた。やはり慧人に俺の大好物を聞いたのだ。皿を持って、赤城は俺の元へやって来た。

「はい。口に合わないかもしれないけど」

 慧人が作ったハンバーグしか食べていないので、どんな味なのか少し気になった。そういえば昔は箸が使えなかった。九歳なのにスプーンとフォークで食事をしていた。鉛筆も使えず、慧人にはとても世話になった。今は普通の人間として暮らせるようになり、そこはありがたかった。

 口に放り込むと、いつもとは違う味が広がった。

「どう? おいしい?」

「うまくはないけど、まずくもないな」

「ええ? もっとはっきりと感想言ってよ」

「安っぽくて、レストランでは人気にはならないハンバーグだな」

「ショ……ショック……。あたし、ハンバーグが得意料理なのに」

 がっくりと項垂れる赤城を、じっと見つめた。どうして俺に手料理なんて作ろうとしたのかが謎だ。嫌いな奴が作ったものなど、うまくはない。まさか褒めてもらえると予想していたのだろうか。どこまで馬鹿でアホな女なんだ。

「ま、まあいいや。これからいっぱい練習すればおいしくなるよね。大牙くんのために頑張って勉強しよう」

「俺のために?」

 言葉が胸に引っかかる。少し赤城は目を丸くした。

「そうだよ。大牙くんのため。あたしはしつけ役なんだから」

「お前にしつけられなくても、俺は一人で生きていられる。余計なことするな」

 勢いよく椅子から立ち上がる。赤城の額に冷や汗が滲む。

「礼儀がなってないでしょ。もっと他人と関われるように、あたしが教えてあげないと」

「お前に教えてもらうものなんか何もねえよっ。さっさと帰ってくれっ」

 鋭く睨みつける。赤城は目を逸らし、慌てて玄関へ走って行った。チビで馬鹿でロクでもない人間のくせに、偉そうな態度とるんじゃない。イライラするしストレスが溜まる。俺の心の中なんて、全くわかってないのに。

 邪魔者が消え、俺は小さく息を吐いた。ハンバーグは捨て、皿を洗った。シャワーを浴びてからベッドに寝っ転がった。



「やだあ。汚い……」

「ちょっと、聞こえるよ」

 ひそひそ声が耳に入った。くるりと後ろを振り返ると、女二人が俺をちらちらと見ていた。九年間一度も洗濯していない茶色い服。染みだらけで穴も空いていて、みすぼらしい。最近は雨が多く、どんどん汚れで変色していく。

「ずっとあの公園で暮らしてるんだよ」

「親はいないの?」

「さあ。捨てられたんじゃない?」

「育児放棄?」

「そうでしょ。あんな子供育てたくないもの」

 そして女二人は歩いて行った。

「何だよ。俺のことバイ菌みたいに……」

 悔しさが胸に溢れる。

「ねえ、あれ見て」

 顔を上げた。若い男女が俺を指さして立っていた。無理だと思ったが、だめ元で俺は土下座をした。

「なあ。俺、一昨日から何も食ってねえんだ。食べ物くれないか?」

「うわっ。逃げろっ」

「こっちに来ないでよっ」

 慌てて二人は逃げていった。がっくりと項垂れ、空腹で意識が朦朧とする。

 いつもこうやってゴミ人間扱いされる。誰も拾ってあげよう、助けてあげようと手を差し伸べてくれない。悪いことなど一つもしていないのに、酷い目に遭い続けてきた。

「もう死にたい。殺してほしい。幸せになれないなら、生きてたって意味がないんだ……」

 はっと目を開いた。起き上がり、夢だったのかと気づいた。

「……嫌な夢ばっかりだ。くそっ。赤城のせいで思い出される」

 慧人に無理矢理追い出され、アパートに一人暮らしさせられるハメになってしまった。赤城がいなければ、ずっとずっとマンションに引きこもっていられたのに。謝ったって絶対に許さない。一生恨んでやる。暴力は振るわないと言ったが、一発殴ってやりたかった。


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