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第四十二話 やぶれかぶれ





 オグライゼンはひとしきり吠えると、荒い呼吸を繰り返した。眉は吊り上がり、額に皺が深く刻まれる。

呼吸が荒いのは喚いたからだけではないだろう。大きな魔法を連発し、それを維持している。魔力の終わりが近いのかもしれない。


 漆喰のように固まっていく土壁は、トマがいくら力を入れてもびくともしない。

そのまま、リオネル殿下を見やる。互いに頷いた。そう、やれる事は決まっている。


マコトは冷静さを取り戻したように続けた。その声は、何かに反響したかのようによく響く。



「身体を売ろうがなんだろうが、ルネの方がお前より余程まともだ」

「ま、まともだと? 馬鹿め! あいつ、お前か大公、おれは知らねえが、誰かの寝首を掻こうとしてたんだぜ? だからおれが! 始末ついでに使ってやった! 選んでやったんだよ!」


オグライゼンは荒い呼吸の合間に、吠えるようにそう返した。そう返すのが精一杯に見えた。

マコトは微動だにしない。


「ルネが?」

「あいつの部屋で短剣を見つけたんだ。よくある手だろ。誰かの腹の上でよがってる振りをして、グサリとやるんだ。なあおれに感謝しろよ!」


オグライゼンの演説を聞く、マコトの瞳が変わった。

時折見せるようになった、あの表情。見慣れない黒い瞳が洞穴のように、どこまでも深く、終わりのない闇のようになる。


「それで水車に縛り付けたのか」


マコトは、金髪の友を思った。

地下室でどれだけ彼の名前を叫んだことか。まだ意識を取り戻さないルネの顔を、マコトははっきりと思い出す。血の気のない、白い陶器のような肌。開かない瞳は嫌でもルネを目の前で失う怖さを連想させた。

水車に縛り付けられた彼の身体によって水車は止まり、水も堰き止められていた。車輪の下敷きになったようなものだ。水圧と車輪に挽かれて、ルネは水を飲んだだけではないだろう。足の骨が折れていないといい。彼の、踊るための大事な脚だ。

痛くなかったわけがない。呼吸ができないことが、怖くなかったわけがない。あんな惨いことを、この男は平気でやってのけたというのか。


「あひ、ひひひ。いい顔してたぜ、あの小綺麗な顔が恐怖に歪んで。おれを見る目が変わった。そう、家令の爺さんの時もなあ……」


 許さない。

そう感じた。もし、ルネが踊れなかったら。もしルネが再び起きられなかったら。おれはこの男の血を見なければ気が済まない。そんな気がした。

 マコトの柳の葉のような、すっとした柔らかい眉は、元は怜悧な刃の形だ。普段は朗らかな彼の態度が、それを柔らかく見せているだけだ。

 黒い瞳が闇を、張り詰めた眉が刃のように研ぎ澄まされ、マコトはオグライゼンを捕らえた。

その怒り、その洞穴のような目が男を捕まえたのである。


「誰が信じる」


 一言、マコトがオグライゼンに放った。

それには男も虚を突かれたようだ。目を見開いて、息は止まり肩が上がる。


「なん…だと」

「お前の言う事を、この場の誰が信じる」


空気が、全てが止まったかのように思えた。

黒い瞳が、男を呑み込まんとしている。



「は、はあ? 何言ってんだ? 武器を持ってたんだぞ! おれは見たんだよ!」

「おれはルネの口から直接聞くまで信じない」


 聞いているこちらまで、背筋が伸びるような声だ。

ホルスト元帥のような轟音ではないのに、マコト様が繰り返した言葉、声はまさしく男の罪状を読み上げているのだ。


 オグライゼンは黒い目に捕らえられ、背中に嫌な寒気が走った。一瞬でも、身体の自由を奪われたような怖気がした。衝動的に目を逸らして、辺りを見回す。

皆が男を見ていた。地面に這いつくばったカーク・ハイム、闘う前から傷だらけのマハーシャラ。

その誰を見ても、オグライゼンが欲する目をしていない。

 違う。これは違う。おれの欲しい目ではない。違う、こんなものではない! こんなはずではないのだ。

たらり、とオグライゼンの額から汗が流れる。脳裏を掠めたのは、若かりし日に浴びた嘲笑と侮蔑の目線だったのかもしれない。

オグライゼンは何かを振り切るかのように、マコトに食って掛かった。



「生意気な、お前ごときが、生意気におれに盾つきやがって!……なあ、転移者……おれに反抗するのか? このおれが! せっかく忘れさせてやったっていうのに!」


その振り絞った負け惜しみは、図らずも大きくマコトの胸をかき乱した。


忘れさせて、やった?



 ビュオオオオオオオ


 短い沈黙の後、突風が男を襲った。

 ジャンたちはよろめいて膝をつく。その風の中心で立っているのはリオネルだった。


先ほどまで冷静に構えていたリオネルは、大きくレイピアを振って、オグライゼンを大地から引き剥がす。風で下から巻き上げたのだ。

周りの木々は揺れ、葉や枯れ枝が舞い上がる。


 そうして前触れもなく、突如としてその風は消えた。

オグライゼンの身体を空中にを押し上げていた力がなくなれば、そのまま地に堕ちるのが必定。

オグライゼンは叫ぶ間もなく地面と激突した。リオネルは目をすがめ、ありありと羞悪の念を向けていた。

 空から落とされたオグライゼンは、声にならない悲鳴をあげ続けている。

内臓を痛めたか、肋骨かどこかを折ったのか。地に這う男は、身体をくねらせ、咳き込み、なんとか顔だけ上げる。苦しげに、悶えながらも掠れた声を捻り出した。



「な、なにを、大公、へへ…ひひひ…もっと遊ぼうぜ」

「もういい」

「殿下!」


 トマが咄嗟に叫ぶ。まだ聞きたい事はあるはずだ。

それを、終わらせようとしている。怒っている。リオネル大公は怒り、攻撃した。

相手に隙が出来たのは確かだが、これまで自分の感情をひた隠しにしてきた人が、どうして。

トマはリオネルを見た。

水色の瞳は鏡のように光り、ただ男を見下ろすだけだ。

この方は、本気で、オグライゼンを手にかけるつもりだ。トマはそう感じた。そこには幾何の感情があったのだろう。彼は手がかり以前に、探し求めた敵の一人だ。そして思い浮かぶのは、あの棕櫚箒の頭をしたポホス村長の顔。そうだ。

自分の領内の村人を傷つけ、殺して、あのように苦しめた張本人はオグライゼンだ。


 トマは、マコトを見た。

マコトは、先刻とはまるで違う。オグライゼンに負け惜しみで言い返されるまではあれほど威厳があったのに、今はどうだ。

置いていかれた、小さな少年のような顔付きになっていた。

さっきまであれほど、他を寄せ付けない力強さがあったのに、一変してあんなにも幼い顔をしている。

彼の記憶を奪った一人も、目の前の男だ。


生かしておいて、いい奴とは思えない。

それでもここまで生かしておいたのには意味があった。その意味が、もう無いというのだろう。


 大公は、自分の傷をいくら突かれても動じない。

けれど大切なものが傷つけられて、黙っている人ではないのだ。

自分が全てを賭けて、ついてきたこの人はそういう人だ。睡蓮の花を背負うトマは、久しぶりの感覚に打ち震えた。






2024/03/29

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