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第三十五話 軋む滑車




 マコトはマクナハンと共に地下室へ下りていった。

地下はもう一箇所あり、そちらはジャンたちが、酒樽のある倉庫にはトマたちが向かった。


 レンガ造りで頑丈な階段を駆け下りていく。

この邸には大浴場がある。そこへ湯を送るには、河の水を一度引き入れる必要があるらしい。

そこへは、夕方にならないと人は立ち寄らない。そう聞いてマコトは走り出したのだ。


 下からは水の音がする。



「待てマクナハン」


先行するマクナハンに声をかけた。目を瞑って、マコトは口に手をやった。

静かに、と言う合図である。


「……水の音、なんか変だぞ」


 ザアザアという流れに混ざって、ちゃぷちゃぷと、壁にぶつかるような音がする。

二人は顔を見合わせた。この先で、異変が起きている。

ではそこにルネがいるんじゃないか。あるいは家令がいるんじゃないか。


 さらに階段を下りていくと、それがわかった。

最深部の階段は浸水している。中へ入ると、膝下まで水が溜まっていた。

それでも水はどこからか流れこみ続けている。


 マクナハンがランプを掲げて辺りを見回した。

その時、マコトが気付いた。何か変だ。


「マクナハン、もう一度! もう一度さっきみたいに、明かりを右から左に」



 人の姿は見えない。見えるのは水車と、レンガの壁。

水車は止まっている。いや、何故水車が止まっていて、水が流れ込んでくるのか。

 マコトの黒い瞳が左右に動く。何か見落としはないか、水音に対して負けじと鼓動が大きく聞こえる。


マコトが水車の方へざぶざぶと歩きだすと、マクナハンもついてきた。


よく見れば奥にもう一つ水車がある。そちらは動き続けている。ガシャガシャと大きな音をたて、水しぶきをあげている。それが河の水を引き込む水車なのだろう。では手前のものはなんだ、どうして水が排出されない。


 飛沫で顔に張り付いた髪の毛を乱暴に拭う。

ざわざわと何かが迫りくる、そんな気配だ。白くなった村へ足を踏み入れた時と同じような感じがする。

 予感という直感は時に正しい。

とりあえず、なぜか止まっている水車に駆け寄ろうとした。水が邪魔をして上手く前に進めないが、マコトは何とか足を上に引き上げながら一歩一歩と前に進んだ。後ろについてきたマクナハンのランプが水車を照らし出す。


 金の糸が、水車の桁に張り付いている。数本ではなく、どこからか伸びているように。

そう思って金色のそれを目で辿ると、マコトの心臓が潰れかけた。


「ルネ!」


 水の中にルネの顔があった。

ランプの光に照らされたルネ。ルネが水車に巻き込まれている。

ルネの身体が、水車の回転を止めているのだ。

だから水が排出されない。



マコトが膝をついて潜ると、ルネは身体を縛られているようだ。それだけではない。

ザバッと水から顔を上げて叫んだ。


「マクナハン! 水車を壊せ! 早く!」


 水中のルネを引っ張り上げたくても、その身体はびくともしない。

さっき一瞬だが、水車に絡む縄が見えた。おそらく水車そのものに縛り付けられているのだろう。一刻の猶予もない。縄をほどく時間なんてない。


 マクナハンはランプを投げ出すと、素手で水車に取りついた。

ランプは光長石のランプだ。水中に落ちても光は消えない。光を受けて地下室に溜まった水がきらきらと反射する。

マコトは大きく息を吸ってもう一度潜った。水が冷たい。ルネは、目を閉じてしまっている。意識がないのだろう。

 顔を固定し、鼻をつまむ。親指でルネの口をこじ開けすぐさま唇に唇をつけて、空気を送る。もう一度、息を吸って繰り返す。


 マコトがあの夜、怖いと思ったルネの顔、あの日、レモン農園で泣いていたルネの背中が頭をよぎった。それも走馬灯のようで嫌だった。頭を振ってイメージを追い出す。じっとりと髪と服が皮膚にへばりつくが、お構いなしだ。

ルネに息を送っては、手で口を塞いだ。空気が肺に届く前に出ていってしまう。これでは埒が明かない。


 マクナハンが一際大きな声をあげた。こめかみから頭部にかけて、また首筋にも血管が浮かび上がっている。

水車を壊す為、壁に片足をかけた。両腕の盛り上がった筋肉がぶるぶると震える。

 次の瞬間、水車の片面が音を立てて引き剥がされた。


水を受ける桁も、一枚一枚、瓦割の要領で割っていく。最後は脚で踏み抜いた。

そして木屑ごと、ルネの身体が浮いた。


「ルネ、おいしっかりしろ! ルネ!」


水が急に流れ出す。本来の排出が始まったのだ。マコトも足を取られて滑りそうだった。

マコト自身、冷たい水に身体の体温が奪われ始めている。指の感覚も覚束ないがそれでも、必死でルネの衣服を掴み身体を抱え込んだ。


マコトは縛られたルネを抱え、そのマコトをマクナハンが引っ張って出口へ向かう。

マクナハンの歩みは早くはないが、しっかりとしている。水の流れに逆らい、微塵の迷いもない。力強く、一歩、また一歩と前に進む。


マコトはその間も、抱えたルネに人工呼吸を繰り返した。

何度も名前を呼ぶ。地下室の水の音を、マコトの声が上回った。

 早く心臓マッサージをしないと、助からない。その一方で別の事を思う。

何の為に、ルネがこんな目に遭うんだ。

こんな所で、わけもわからないまま死ぬなよ、絶対、死ぬんじゃないぞ。


 やっとのことで階段に寝かせたその時、ルネは口から水を吐いた。









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