第三十四話 消えゆくもの
子爵邸のエントランスには使用人が全て整列していた。入口、裏口、庭に近衛騎士が散らばり、捜索を続けている。
カーク・ハイムの手によって、リオネル大公の前に連れ出されたバートン子爵は顔色を悪くして震えていた。
「ですから知りません、いえ存じ上げません! 関税のことなど私は」
子爵に申し開きをさせている間、リオネルは子爵を見る振りをして、器用に使用人たちを見ている。そう、特異点である“神眼”だ。
「大公殿下、元帥閣下、やはり家令とルネがおりません!」
トマが息を切らせながら言った。マコトも、時を同じくしてエントランスに飛び込んできた。部屋にいろと言われたが、そうも言ってられなかったのだ。
「リオネル! 日記がない!」
それにいち早く反応したのはヨギ神祇官だった。
「マコト様、日記というとまさか」
「先代の日記だ!」
マコトがエントランスの階段を駆け下りてくる。
トマも顔色を変えた。もちろん、この中にいる”誰か”も反応している。表面上取り繕っていてもリオネルにはわかった。
「な、なんですって、先代? 日記?」
バートン子爵の混乱をよそに、リオネルは魂の揺らぎを突き止めた。
「後ろの列。右から五番目の男」
言うや否や、マクナハンが動いた。
「な、なんだよ! なんだ離せよ!」
三十代といったところか。マクナハンが男の腕を捻りあげると、喚いていた声が小さくなる。
「子爵、この男は」
「…はあ、洗濯夫かと……」
「名前は」
「……」
「子爵、名前は」
リオネルは問い詰めたが、子爵は口を震わせるだけだった。
「名前もわからない男を雇っていたのか」
「か、家令が使用人を入れ替えまして」
「その家令はどこにいる」
大公の水色の瞳が子爵を射抜いた。
そう、ジャンたちが到着してすぐ、使用人たちを全員邸のエントランスに集めたはずだ。
執事が三人、料理番は四人、他に小間使いや厩番、庭師に掃除夫を入れて二十人を超える使用人を集めたが、肝心の、貴族の右腕たる家令がいない。
本来家令は使用人たちをまとめるのが役割だ。そして主人である子爵の統治を手助けし、家財の把握、家の中の事を全て任される重大な立場にある。つまりその家令が、この事態の責任者が姿を消している。その上、子爵は関税のことなど知らないと言う。
もちろんリオネルは、バートン子爵のこともその瞳で見ていた。
子爵は嘘をついていない。動揺と驚愕と、不安と恐れが見て取れる。
「洗濯夫といったな」
リオネルの関心は、先ほど見つけた男に移った。
「知らない! おれだって関税のことなんか」
「違う」
「え?」
「家令はどこだ」
リオネルが聞くと、男の足が震え出した。瞳孔も開いている。
「……お前は知っているな」
「し、し、知らない! 知らない知らない!」
頭を振って否定するも、誰の目にも明らかだ。
この男は、何かを隠している。
「じゃあノート、じゃない、日記は? おれの部屋にあった日記を知らないか?」
マコトが男に聞く。
「は、はあ?! 日記? なんだそれ、知るもんか! どうせあのルネとかいうのが盗んだんだろう!」
マコトの目が険しくなる。マコトが一歩前に進むと、洗濯夫は震える脚に限界がきたのか、へたりと床に座り込んでしまった。
「お、おれは何も知らない、見てない。知らないんだよ本当に」
「では何に怯えている」
「…あ、あ…し、知らない」
「犯罪に加担すれば、お前もただでは済まないが、お前の家族は、お前の出自は」
「う、うるせえ、うるせえんだよ!」
流石にそれは見咎められた。先ほどまで黙って控えていたホルスト元帥が男に迫る。
「ではここで、死んでも悔いはないな」
元帥が剣の柄に手をかける。
悪魔の方が余程やさしいだろうな、とリオネルは気を逸らした。
だがそれどころではないと思い返して掃除夫に近づいた。わざと指を向けて、視線を誘導する。
「死んでも、と言ったら、お前は怯えた」
男は顔の近くで指をさされ、顎を引いてごくりと生唾を呑む。
リオネルの指は、巨体の元帥に向いた。
「でも元帥に対しての反応じゃない。何故だ」
「はあ?!」
男の声が上ずった。一度元帥を見たが、すぐリオネルの顔を見つめ返す。
やはり、元帥に怯えているのではない。男は興味なさげに、元帥から眼を逸らしたのだ。彼の意識は別の所にある。リオネルは男の顔を覗き込んだ。
「誰かが死ぬのか、もう死んでるのか。お前が殺したのか」
「おれは! おれは」
「家令か、ルネか」
「あんな売春野郎が死んだって! なにも変わんねえだろう!」
さっきまでへたりと座り込んでいた男は激高して、凄まじい力でマクナハンを振りほどき、リオネルを突き飛ばして扉へ向かって走り出した。
騎士たちが武器を構えた、その時だ。
黒い髪が宙を切る。
バツン!
肉と肉がぶつかるような乾いた音がした。
見れば逃げ出した男が、腹を押さえてうずくまっている。
マコトは即座に二発目をお見舞いできるよう、距離を取って足を引いた。腰を落として構え直す。
型から型へ、淀みなく動く身体。武道は、一連の動作が決まっている。
マコトはその動きだけで、次はない、と敵に警告し、いつでも仕留められるよう自分の間合いを保った。
「ルネになんかしたのか、ルネはどこだ!」
マコトが一撃で、逃げようとした男を止めた。
半身で足を大きく開き、腰を落とした構えは何らかの武術の型なのだろう。
でもどうやってやったのか。
リオネルは驚いている暇がなかった。男の魂の色がサッと変わったのだ。
悔恨の色、これはまずい。
「ルネを探せ!」
「邸中見ました!」
リオネルの命令にトマが答える。
マコトが叫んだ。
「まだ見ていない所は!?」
「子爵! 人目につかない場所を片っ端から言え」
リオネル大公が命じると、バートン子爵は媚びるように、脂汗を流しながらべらべらと喋った。
さっきトマが聞いた時とは違う答えだ。
近衛騎士が散っていく。マコトも、ルネを探してエントランスを飛び出した。




