第三十一話 溢れて零れて
リオネルだけではなく、ジャンやカーク、トマも、意表を突かれたのか目を見開いている。互いに目配せして、言葉なく確認し合う。
「夫殺しを見逃したっていうのは?」
マコトが尋ねると、後ろで衛兵に縛られている男が言った。
「イディアン様は、大公が留守の時は代わりに我々に会いに来てくださったんだ。変わりはないか、物価はどうか、けが人はいないか……小さなお子様を連れてよくいらしてくださって」
そこまで言うと、男は口を噤んだ。
その男がリーダー格なのだろう。他の男たちも同じように、俯いていた。
「……つまり、六年も捕まらないのはおかしいって思ったのか」
リーダー格の男が、下からマコトを見上げた。
日に焼けて、脂の乗った恰幅の良い男だった。
「…ああ。探しても見つからないなんて事があるのか。それとも端から探す気がないのか…王族だぞ? 見つけられないはずがないだろう!」
「それに! それにここ二年で税が上がったんだ!」
別の男が叫んだ。
「イディアン様がおられたら、こんな事、絶対お許しにならなかった!」
「そうだそうだ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。税金が上がった?」
リオネルを見返すと、まだ呆気に取られている。マハーシャラもだ。そして元帥と呼ばれる赤髪の大男は、ほんの僅かに目を細めた。
「リオネル、知らなかったのか」
答えは、その苦労が滲む顔を見ればわかった。金髪中年の口元が、僅かに強張っている。
そうか、やられたのか。
リオネルの敵、おれの記憶を奪った奴が関わっているのかもしれない。いや、リオネルの顔を見る限り、事態の雲行きが怪しい。
マコトもここに来て、嫌な感覚が増してきた。なんとなくバートン子爵に抱いた違和感はこれだったのか?
「子爵は何をしてんだ? 待てよあいつもグルってことか?」
つい口走った、マコトの呟きは民衆の声に掻き消えた。
「ディアメの関税が少しずつ上がったんだ。おれたちに何の断りもなく、理由も説明されなかった!」
「前までなら、イディアン様ならそんな事許されなかった! イディアン様が邪魔になったんだ!」
「そうだそうだ!」
人々は怒りと嘆きの渦をぶつけてきた。それは見えない空気の塊がこちらを圧し潰そうとしているのに似ていた。
その中から、一人、また一人とこちらに歩み出てくる。
「街の衛兵たちには、何かあれば子爵邸に行けと言われるが、言っても突っ返される!」
「大公はおれたちから搾り取るつもりか!」
「裏で何か取引があったに違いない!」
「ちょっと、だから待てって! リオネルを見てわからないか? 寝耳に水っていうんだよこういう顔は!」
おれがガシッとリオネルの頭を掴んで男たちの前に突き出す。
「……済まなかった。僕のミスだ……徴収した税は必ず返させる」
「はあ?!」
今度は男たちが驚いている。人々は興奮していた。さっきまで傍観者だった野次馬たちも騒ぎ出した。
「信じられるか!」
どこかから、また声が上がった。まずい。
リオネルが圧倒的に不利だ。でもぼやぼやして時間をかけてはいられない。熱気を帯びて、焚きつけられた火をこれ以上大きくしてはいけない。
こういう時に、物事は急に膨張して大事になるんだ。
マコトがそう思ったその時だ。
「わしは大公様を信じる」
群衆のざわめきを掻き消す一声だった。
誘導されて出てきたのは、一人の老人だった。
「わしは、大公様が子どもの頃から知っている。お母上もよく存じ上げておる。大公様、若い者は血気盛んでこう言いますがね、わしらはそもそも反対でした」
言われて振り返って見れば、マハーシャラと喧嘩をしたのも、前に出てきた男たちも皆リオネルより若い。
「若い奴らは、わしらの話を聞こうとしません。わしらも強く止められず、申し訳ございませんでした」
「そんな馬鹿な話があるか! 騙されてるんだよ!」
「いい加減にしろ!」
今度は街の人々の間で言い合いになる。彼らの中でも意見が割れているのか。
周りをぐるりと見渡せば、皆思い思いに話す、口論になる、互いの胸倉を掴む。そんな事の繰り返しだった。衛兵やジャンたちが、暴動にならないよう手を腰に携えた剣に当てて目を光らせている。
そんな中、一人の少年の声が届いた。
「でも、イディアン様はよく街に来られて、おれたちに話しかけてくれました! なんで、なんで大公さまはイディアンさまやお子さまの、命を奪った奴を捕まえないのですか」
水を打ったように、静かになる。
彼らの不信の種。それはリオネルの選んだ道によるものだったのか。彼が一人、孤独に闘うことで育んでしまったというのか。だとしたらなんて、なんて遣る瀬無いのだろう。
もしかして、敵はここまで読んでいたのだろうか。
マコトはそっと、リオネルの背中を叩いた。
リオネルは敵を探し続けてきた。リオネルの家族、夫と幼い子どもを殺した敵を探していた。
そうして彼の知らない所で、こんな風に、リオネルの家族を大切に思ってくれている人たちがいた。
マコトは言葉が見つからなかった。
興奮した群衆の怒りや嘆きの中に、リオネルの家族を慕う気持ちがあるのだ。
なんと声をかければいい。どこまで言っていいのかわからない。
何が神子だ、と思った。
さっきあんなに偉そうに、リオネルに啖呵を切った。おれを巻き込め、使えと言った。
だがどうだ、今おれは人々の注目を集め、反感と猜疑心を全身で浴びている。脚がすくむような熱気に、どこかで逃げ出したいと思わなかったか。自問自答しても始まらない。でも、なんとかしたい。
マコトは大きく頭を左右に振った。
冷静になれ。おれまで熱くなってどうする。
おれも全部わかってるわけじゃないけど、多分、今ここでわかっていることを大声で言っちゃいけないんだろう。
リオネルは間違いなく、敵を突き止めようとしてきた。
そして国内の有力貴族がいるはずだとアタリをつけていたなら、なおさらだ。
おれだって、なんでサイゼルが隠密行動しているか、それくらい覚えてる。
こういうのは堪らない。王族はみんなこうなのか。
おれはこの世界で生きていくだけの地位と権力が手に入ったのかもしれない。でもそれは同時に、こんな風にみんなのことを考えるのか。
誰かに誠意を払っても、受け取られないことすらある。
リオネルは必死だったはずだ。でもそれを誰も知らない。
なんだか嫌だ。
見渡すと、ジャンやカークと目が合った。ヨギも、トマもおれを見ている。
そうだ、おれたちは身に沁みてわかってるつもりだ。リオネルの家族が、リオネルにとってどれだけ大切だったか。
リオネルはポホス村長に対して、必要以上に丁寧で礼儀正しかった。
それは、同じ痛みを味わったからだと思う。
顔面が腫れあがったマハーシャラに目をやった。
任せておけ。
そう心の中で呟いた。
 




