第二十七話 濡れ手で掴むあぶく銭
近衛騎士マハーシャラ・テムズの人生は、順風といえた。
幼い頃から高い魔力量があり、魔法の使い方を専門的に学ぶ必要があった。それは有能な家庭教師を邸で雇う金のある一家にとっては、決して難しいことではなかった。
金勘定や商売の面白さにも惹かれたが、それ以上に、貴族の邸には護衛がいた。
彼らは皆厳めしく、静かに彫刻のように佇んでいた。かと思えば、次の瞬間に野生動物より俊敏に動き、磨かれた技術で主を守る。毎日たくさんの人を目にするマハーシャラにとって、それは鮮やかに映った。こんな人たち見たことがない、と心が躍った。
それで、貴族の邸に出入りする親の後を付いて回った。
親はそれを、我が子の商才だと見込んだらしいが、欲目が出ていたのだと後から教えてくれた。
テムズ商会は日用雑貨の取り扱いを主とする。石鹸から台所の包丁、鍋敷き、何でもあった。木製の物は高いが、ジアンイットの木工品は何年使っても壊れないと評判だ。
魔法陣や魔石が組み込まれた商品もある。新しく開発された物を売り出すのも、マハーシャラにとっては面白かった。
けれど子どもの頃に見た騎士への憧れが捨てきれず、騎士になるため訓練校に入り、覚えの良さ、要領の良さが際立った。体格は小さな方で、苦い思い出も多いが、憧れだけを見据えてきた。
軍部の配属で、新兵から近衛騎士に昇進したのは嬉しかった。家族も喜んでくれた。
華やかな世界が、自分の肌に合うこともわかっていた。その為の苦労は苦労ではない。
リオネル大公殿下に抜擢され、異世界からの転移者様の護衛に任命されたことも、より自分を奮い立たせることができた。
そうか、昔見た騎士たちも、こんな風に誇らしかったのか。
マハーシャラは、王都を出るまでそう思っていた。
ところが、実情は違った。一行は小さな村の人々に拒否された。
腹が立ったし悔しかった。けれども、トマ様がそんな村人に頭を下げた。
助けてほしい、と助力を請うた。
何故だ、と思った。無礼な奴らで、たとえ騙されてやったことだとしても噴飯ものだった。
トマ・スーレンといえば、大公様の腹心で気位が高いと有名な人だ。
なのに、何故そんなことを言うのか、マハーシャラにはわからなかったのだ。
騎士は何を守るのか。
その切っ先に己の命をのせて、力を振るい、生き延びる。
おれは恵まれている。けれど当惑した。
殺された男の足取りを追うのに、村人を味方に付ける必要はあったと思う。でも、トマ様が頭を下げるような、そんな言い方は正直やめてほしかった。
胸やけしたように、不快感が残っていた。
そして、マコト様が白い村で、虫を退治してからおっしゃられた。
―――難癖を真に受ける奴は馬鹿かもしれない。
―――馬鹿な王様に仕立て上げられた奴は、滑稽だろ。それでいいのか。
おっしゃっていることの半分も、理解できたとは思わない。
ただ何かが違うと思った。自分が信じて生きてきた世界と、何かが違う。
同僚のマクナハン殿の話を聞いた。彼が、恵まれていたとは到底思えない。
カーク・ハイムの家は、亡命してきた没落貴族だ。
おれは、おれの立っている位置が一番後ろだという気がした。実際、虫の退治では何も出来ていない。マコト様に同行したから、おこぼれで後から名声がついてくる。
そうか、おこぼれだったのか。
一族が商売に成功している恩恵を受けてきた。幼い頃から、全てが当たり前のように整っていた。
飢えることを知らなかった。サイゼル殿下のような、世界中から爪弾きにされる生き方も知らない。
マコト様は異質だった。歓迎のないディアメの街に対して、不当な扱いを受けたと言わない。そのうえ宴会で、コールボーイの為に一曲歌われた。
それは、トマ様が村人に助けてくれと言ったあの日を思い出させた。だが不思議とおれの胸の内に、つっかえるような不快感はなかった。
何をしたか、ではないのか。
何かを成すことが、全てではないのか。ではおれの力は何の為にあるのか。商売のように、算盤をはじいているわけではないのか。
マハーシャラにはまだ、それ以上はわからなかった。
けれども何かしなければ、自分は最後尾でまたおこぼれをもらうだけだと思った。
だから今日もこうして、実家が営むテムズ商会の支店に顔を出して聞き込みをしていた。そう、観察に近い。目立って行動して、大公殿下に迷惑をかけるような失態はしない。
「ったく、まだ居やがる、あのぼんくら」
「また街を見て回ってるって? 王族様が今頃庶民のご機嫌取りかよ」
「あんな奴、早く出ていけばいいんだ」
若い男たちが、大声で話しながら店に入ってきた。
彼らは店にいた他の客から注目を集めた。そうだそうだ、と話に加わる者もいる。
「いいか! 大公の野郎は威張り腐った冷血漢だ!」
「そうだ、おれたちの街で、でかい顔して歩きやがって」
「あんな糞野郎、さっさと追い出そう! あいつは卑劣で、最低な奴だ!」
男たちが呼応するのに合わせて、一瞬で肌が粟立った。
「取り消せ!」
マハーシャラは咄嗟に叫んでいた。
「なんだ? お前」
「取り消せ、今の言葉」
今のは自分の声か、と驚きながらも、もう一度ゆっくり繰り返した。
男たちは彼を凝視する。糸が張り詰めたような空気が、互いの怒気を物語った。
マハーシャラは戸惑いと何か激しい、炎のような熱さを感じている。
震え出した呼吸に、奥歯を食いしばって立ち上がった。
殺されたのが誰であっても、おれは悲しんでいい。
誰かが馬鹿にされたら、おれは怒っていいんだ。
少しでも、あの人たちに近づきたい。わかりたい。
「文句あんのか、おお?」
ひときわ目立つ男が、マハーシャラの前に出た。茶色い髪に日に焼けた顔。恐らく荷を運ぶ水夫だろう。マハーシャラは一歩も引かない。男が顔を近づけてきても、変わらず睨み上げた。
絶対に引くものか。さらに吐息が荒くなるのがわかる。耳元で血管の、血の流れる音がする。
「大公殿下のどこか卑劣だ、大公殿下の何を知っている!」
「てめぇ、肩を持つのか」
「構わねえ、やっちまえ!」
何を知っている。おれが追いかけている背中の、何を知っている!
飛んでくる拳が、やけに遅く見えた。




