第二十六話 誰が為の歌Ⅴ
その場の誰もが耳を傾け、微動だにしなかった。
マコトは床に座り、今一度背を伸ばして目の前のリオネルを見た。黒い瞳は濡れて、象牙色の肌は涙で光っていた。
「……リオネルが敵を知るために、悪い事を考えるのはいい。でもさ、悪ぶって遠ざけてどうすんの……それで俺たちが無事でいられるのか、本当に勝てるのかよ」
一呼吸おきて、マコト様が口にしたのは、臣下の私では到底言えないことだった。
立場が違う。でも大公殿下のことを思えば、そう言いたかったのかもしれない。マコト様は、大公殿下への不信を口にした。そう思うのも、よくよく考えれば当然かもしれない。
いつも何かしらに巻き込まれて、後から知らされるのでは、危険な目に遭った時もそうではないかと危惧する。疑ったまま、共には居られない。
マコト様が、何も思い付きの激情だけで行動しているのではないとわかる。
「なあリオネル……おれも入れろよ。いや、確かにおれ、記憶なくてバカで話がわからなかったかもしれないけど、でも勘定に入れろよ。お前の復讐だろうがなんだろうが……やるよ」
その言葉に、リオネル殿下がゆっくり顔を上げて、前のめりになった。
「意味、わかって言ってるのか」
「法に反するのか?」
「……」
大公殿下が最終的に、どうしたいのか。それをマコト様は的確に突いてきた。
「……こちらの法で裁くつもりはないんだな」
「主犯格は、そうだ」
二人のやりとりに部屋の温度が下がる。トマがジャンとカークに目を遣ると、こちらを見てしっかり頷いている。そうか、二人はもうわかっていたのか。
「……それが聞きたかった」
マコト様が目を閉じ、大きく息を吐いた。膝に手を置きながら立ち上がる。そのまま、視線を外に逸らした。青い空が広がる、優雅で賑やかな河の街。窓の外は楡の木の葉と、街の赤い屋根が見える。
「おれは、おれの家族が殺された後、警察に協力した。姉貴は車で連れ去られた。その時のエンジン音を聞いていたからな。でもそれで浮かび上がった容疑者は、普通の夫婦だった。どこにでも居そうな人たちで、警察は犯人じゃないと決めた。でもおれは納得がいかなかった……おれの聞いた車の音は、子どもの聞き間違いってことにされたんだ。それから五年後、その夫婦が捕まった。被害者は、おれの姉貴の後に七人。みんな若くて綺麗な女性だった」
晴れた陽射しを浴びる窓の外と、外の世界に目を遣るマコト様はどこか噛み合わない。
マコト様は白い病を退治されて、神子となられた。
記憶を奪われた彼が幼さを見せても、気さくな姿を見せたとしても、今日まで見てきたマコト様はいずれ世界を救う人だ。
音曲の演奏、白い村での一連のお姿を、どこかしら異世界の神聖な人だと思って見ていた。
今は、どうだろう。私の目に映るマコト様は、伝説の、世の人が思う人物だろうか。
誰もが知る、白い病から大陸を救う清浄な救世主なのか。
「それから夫婦は法律で裁かれた。その間、奴らは生きてる。おれは裁判の決着なんてどうでも良かった。興味がなかったんだよ……リオネル、お前ならわかるか」
暗くて低い声だ。ゆっくりと振り返った彼の黒く濡れた瞳が、言いようのない空洞に見えた。大公殿下は両手を組んで、自分の手を指でさすりながら見つめ返す。
「君は……怒ってるんだね」
「七人、七人だぞ……同じように犠牲になった。姉貴と同じように、痛めつけるために攫われて、監禁して、死ぬまで奴らはいたぶった。奴らの、頭のおかしい奴らが楽しむためだけの玩具にされたんだ……法律で裁く? 死刑、無期懲役……」
途切れ途切れの声を拾う。だが次の言葉は、室内に低く響いた。
「馬鹿なこと言ってんじゃねえと、おれは思ったんだ」
トマはこの、どこかアンバランスな響きを知っている。怒気を孕み、理性でなんとか保っている声色を。
人は、時としてこういう声で話すことがあるのかと思った。
六年前、家族が殺された大公殿下の空々しい喋り方。
暗く、どこまでも深い穴に主人が囚われてしまった。手を差し伸べようにも穴が深すぎて、届かない。時折響く、主人の声が穴に木霊する。主人は闇に呑まれてしまって、姿が見えない。
そうだ、おれは一度、主人を見失ったのだ。
トマは、苦虫を噛み潰したような感覚を鮮明に反芻する。
「復讐のために、おれを使えよリオネル」
異世界からやってきたこの人は、なんだ。
助けてほしい、と確かに言った。大公はマコト様に言った。
それはこうして、薪をくべ続けるためのものではなかったはずだ。
マコト様に向けて、リオネル殿下の水色の瞳が光っている。それは明るい星の光ではない。ほの暗く、揺れ動き続ける、暗闇の中で燃え上がる炎だ。
どこまで燃える、いつまで燃えていられる。
「おれを、ちゃんと使え」
暗がりに自ら飛び込んでいく主君を、どう見ればいい。
闇がすべてを呑み込むがごとく、マコト様がリオネル殿下を追い立てる。
馬鹿な。
一瞬、トマは自嘲しながら自己の妄想を頭の外に追いやった。
―――全て力もて、全ての知をもて技をもて、我ら泥より咲きいづる花。
とっさに一族の言葉が浮かんだ。この言葉と共に、受け継いできた血の掟があった。
それは何百年も前の話だ。一族の源流が、二代目転移者と出逢い、共に血を流したこと。
二代目の伝承。何故それが今、鮮やかに思い出されるのだろう。
彼は物静かで、けれども深い哀しみと怒り、激情を秘めた「サムライ」であった。
―――面を上げよ、屈するな。
一族の皆が、ついていこうと決めた、二代目様。
トマはどこか、この光景に不思議な浮遊感を抱いた。
これは偶然か。自分の主と、五代目神子を見比べた。
同じ時を生き、ここに呼ばれ、行動を共にするのは、ただの偶然なのだろうか。
マコトとリオネルが、互いの復讐の匂いを感じたその時だった。
「大公様!大公殿下!急ぎの用でございます、殿下!」
執事が扉の外で火急の報せを告げた。
2024年1月17日 加筆修正




