第二十四話 誰が為の歌Ⅲ
おれは今すごいものを見ている。後でマハーシャラたちに話せるよう、つぶさに観察、いや黙って見届けようと思う。
大公殿下を乗せた馬車を停めたら、マコト様とジャン殿がやってきて、ぎらぎらした目で開けろと言われた。
おれに命令するマコト様を初めて見た。そして今みたいにトマ様を撥ね付けるマコト様も初めてだ。
怒りは感じる。けれどもそれ以上に、何か決意が感じられた。
マコト様は無闇に暴れるような、そういう方ではないと思う。だからその身体から発せられる雰囲気に、一瞬驚いてしまった。
部屋には防音、遮音の魔法をかけている。騒ぎを聞きつけて子爵がやってきたら中断される。もしくは聞き耳を立てられるかもしれない。どうあれ、子爵邸の連中がどうも信用ならない。
これは聞かせてはいけない、そう判断した。
こう見えて、没落貴族出身だからな。貴族の考え方は多少わかっているつもりだった。
「マコト様、私から非礼をお詫び申し上げます」
「だから、トマが喋ったら意味ないだろ」
眦を上げてトマ様を振り返るマコト様。あの鋭い目、マコト様はあんな目をされるのか。
「で、ですが、大公殿下もわざとでは」
「わざとだよ」
「殿下!」
困惑気味のジャン殿と目が合った。言いたいことはわかるつもりだ。
おれたちがどちらの側の人間か、そしてそれは、内部分裂を意味するのかどうか。
先ほどから声には出さないが、互いに確認しあっているのだ。
「…情報は握っている方が強い。情報を規制されている受け手の方が弱い。そんなことくらいおれだってわかる。お前はそれを利用したっていうんだな」
「そうだ」
大公殿下の、抑揚のない声が響く。この声は、どこか薄ら寒かった。
「君に駒として動いてもらう為にはその方が早い。別に君だけじゃない。トマにも言わない。僕は僕の手駒で、敵に勝たなくちゃいけない。わかるだろ、そういうゲームなんだ」
「ゲーム?」
「そう。僕が始めたんじゃない。向こうがゲームだと思ってる。幾つも予防線を張りながらこちらを追い詰めていくのが向こうの手だ。だから僕も」
「おれの、転移がゲームだって言うのか」
「…そうだ」
大公殿下の声に、誰かが息をのんだ。
「リオネル殿下! もうおよしください!」
トマ様がリオネル大公のそばに近づいて跪く。
「そんな言い方、なさらないでください」
「見限ったかトマ」
「違います! 臣下の諫言を聞き入れるは主君の器、あなたにそれがないとおっしゃいますか」
国王陛下の王弟、リオネル・ランスター大公殿下にはトマ・スーレンなる者が控えているという。近衛騎士になってから、宮廷勤めの連中から聞かされた話だ。
近衛は王侯貴族の警備が仕事だ。
誰それがどういう人物で、その人間関係や顔を覚えねば仕事しならない。
その中で、トマ様の事は誰もが「大公の右腕」と言っていた。そして大公本人はいざ知らず、本人を貶めるような話は誰も口にしなかった。
高潔を絵に描いたような臣下だというのだ。
国家の重鎮の右腕、王族の盾。それならばそのくらいは普通だろうとどこか遠くのことだと思っていた。
それがどうだ。
おれは目の前の光景に、心臓がほんの少し震えた気がした。体内のど真ん中に、トマ様の叫びがびりびり響く。
忠義とは何か、何が忠臣を忠臣たらしめるか。
この方は、喩え「大公の犬」と馬鹿にされても、露程も気になさらないだろう。
脇目も振らず、ただ一心に主君だけを見ている。
おれたち騎士は、その中でも近衛騎士は選ばれた精鋭だ。だが、何に忠誠を誓うのか、それは一体何を意味するのか。
判然としなければ、この力も地位も空しいだけだ。野良犬と変わらない。
吠えても、牙を剥いても、何の意味もないのだ。
「大公殿下、あなたはそのような言い方をする人ではありません。しかし、自分は元からこうだった、そう変わったように見せます。何故ですか殿下。復讐の為に、あなたがそんな風に振舞うのは何故ですか」
「僕はこういう人間だ」
「いいえ、リオネル殿下」
「…お前に見る目がなかったんだ…期待に沿えずすまないね」
「いいえ」
「トマ」
「あなたを疑いません。あなただけは、決して疑いません」
マコト様は火種だった。それがこうも周りを巻き込んで熱量に変わっているなど、思いもよらなかったのではないか。マコト様はどういうお気持ちなのだろう。飄々とした大公殿下の態度が、トマ様の突き詰めるような物言いに当てられて変わっていく。
「初めてお会いした時から、お人柄がそう大きく変わるはずもありません」
「変わるんだよ。家族を、奪われたら」
「それでもあなたは耐えていらっしゃるではありませんか!」
大公殿下の声に、抑揚が戻った。わずかに、呼吸が震えている。肩で息をしているのがここからでもわかった。
「私的な復讐よりも、国家の安寧を優先なさいました。理に聡いあなただから出来たことです。何も敵のように悪辣な人間だと、そう振舞わなくてもよろしいではありませんか」
「そうしないと」
「そうしないと、許せない」
硬くて、よく通る声だった。
お二人を見下ろしていたマコト様が、そう言って床に座った。正面だ。
あの角度なら、大公殿下のお顔もよく見えるはずだ。
リオネル大公とトマ様は、二人して驚いた顔をなさっている。
「トマから見てもそうなんだろ。リオネル、お前は自分で自分を痛めつけてる。嘯いて人を遠ざけて」
マコト様の雰囲気が変わった。
夜の闇を映しとったような瞳で真っすぐに見つめながら、でもどこか、さっきまでとは違う。
「リオネル、お前は自分を、昔の自分を消そうとしてるんだな」
返事はなかった。トマ様も、大公殿下と同様に固まっている。
誰も、何も言わない。
もう一度、おれはジャン殿の方を見た。目は合わなかった。マコト様から、目を逸らせないのだろう。おれも、この成り行きを一つも零すことなく、しっかりと見届けたかった。
カーク・ハイム、お前は何になっている。
近衛騎士として、一体何に仕え、何に命を懸けているのか。
転移者様、神子様。それは伝説のお伽話だ。
でもおれの目の前にいる方は、ここにいるのは幻想でもなんでもない、マコト様だ。




