第二十三話 誰が為の歌Ⅱ
「今のは一体……マコト様?」
トマが最初に飛んできた。彼がいるのは計算のうちだ。トマはおれとリオネルを見比べる。
御者はカークだったがおれが退けと言った。彼はおれに付けられた騎士であって、リオネルの騎士じゃない。
「トマ、邸の連中にも邪魔されたくない」
視線は目の前の中年から逸らさずに言う。綺麗な巻き毛が台無しだった。ふにゃりと垂れた前髪を、かき上げるよう撫でつける大公殿下。
「…着替えたいな」
おれは一呼吸おいて、微笑みかけた。当然だ。何のために水を浴びせたか、リオネルは賢いからわかってくれるだろうと思っていた。
お前をどこにも逃がさないためだ。身に沁みてくれたようで、嬉しいよ。
「ジャン、お前がいながらなんでこんなことを」
「ジャンはおれの侍従だ」
間髪入れずにおれがトマに答える。ジャンには悪いと思う。しばらく口を利いてなくて、ジャンの罪悪感に付け入るようなことをした。
でもはっきりさせよう。トマはリオネルの臣下だ。でも、他の奴らはどうだ?
おれの為に集めた、とかなんとか、前にリオネルが言ってなかったか?
それが本当なら、みんなおれの部下っていうことだよな。
おれは神子という、偉い奴になったんじゃないのか。それなら今だけでもいい、悪代官のように権力者ぶって、権力とやらを使ってやる。
「…ともかく邸の中へ」
動揺したトマを見る機会もそうそうない。顔に出ない男だからな。
ここではっきりさせてやろう。ここまでして、逃げ口上はさせない。やるなら一度、徹底的にだ。
姉貴仕込みの喧嘩の作法は、初手で圧倒的優位に立つこと。だった気がする。
その作法でいくと、それなりに及第点に達しているはずだ。
マコトは僅かに口元を緩めた。
怒りが引き連れてきた哀愁と郷愁、失った家族の声が、マコトの耳にこだました。
※
「どれのことかって、どれなら答える気があるんだ?」
大公リオネルが使っている、一等素晴しい客室は、絨毯や家具は濃い青色で統一されている。
マコトの問いかけに、リオネルの水色の瞳が覗いた。
騎士カーク・ハイムは人払いを済ませて入ってきた。
トマとジャンが急いで着替えを持ってきて、甲斐甲斐しく世話を焼かれている間も、マコトとリオネルは互いに目を逸らさなかった。
「おれはな、狂犬病ワクチン打たれる犬じゃねえんだよ。前もこんなこと言ったけどな、あの時とは違う」
やはりマコトの方から食って掛かる。
ジャンもトマも、あの時の当事者だ。そばで見ていたはずだ。前におれが離宮を飛び出した時、あれと同じだと思ったら大間違いだ。
リオネルが首を傾げながら事も無げに言った。
「君にそんな顔をさせるなんて、僕は不敬罪に当たりそうだな」
「それ、そういうのもうやめろ」
「…マコト」
「いつまでもチンタラやってんじゃねえ。ちゃんと答えろよ!」
「アスクードのこと? 成人の儀のことかな」
「っ!」
喧嘩口調のマコトに乗るつもりなのか、かわすつもりなのか。わざと挑発的な態度をとった金髪の大公の胸倉を、マコトはひったくるように鷲掴む。
そのまま力づくで近くの椅子に座らせた。リオネルの髪から滴る水が、耳を、首筋を通って肌の上を落ちていく。
「アスクードとは取引したんだ。君が欲しいからって」
「…へえ」
リオネルはこちらを見ないで続けた。トマが甲斐甲斐しくタオルを数枚用意してリオネルに渡している。
「君は復讐のためのピースだから」
「それで?」
「それで、アスクードは有力貴族だ。大抵のものは何でも自分で手に入れることができる。僕が示せるものはそれしかなかった。手がかりを掴むために、彼から情報を引き出すのに君を利用した」
腕を組みながらちょっと考える。こいつ、時々こんな顔をする。でもおれにはわかってるんだ。
いつの間にか指でリズムを取っていたらしい。トマが割って入ってきた。
「マコト様、申し訳ありません。成人の儀については私も説明せず、誤解を……あれはこちらの世界では必要不可欠な儀式で、マコト様の身体を思って」
「おれの身体? おれの身体をこれからみんなで仲良く、どうするんだ? アスクードの次は誰なんだよ」
冗談をほのめかすような口ぶりで、トマをねめつける。
マコトはルネが言っていた事も気になっていた。神子様は、みんなに魔力を分け与えるって。それはつまり、こっちの世界じゃ性行為だ。おれは誰とでも、言われたら寝なきゃいけないのか。
それが、この世界でおれがしなきゃいけないことなのか。
「おれはルネの職業に、別に思うことはない。でも、おれがその為にこっち側に呼ばれたっていうんなら話が違う。お前ら最初からおれを騙してたってことに」
「違います!」
「おれはリオネルに聞いてんだよ!」
このしょぼくれた、金の巻き毛の中年男に聞いている。
トマはリオネルの言う事を聞くだけだ。リオネルが決めた事に逆らわないのはおれでもわかる。つらそうな顔をしてもダメだ。おれは今日、こいつに聞く。トマに譲れないものがあるように、おれにだって言いたい事がある。
「いい加減お前が喋ったらどうだ、かたつむりのでんでん虫野郎!」
八尋に、ナメクジ野郎と言われていたからか、咄嗟に出てきたのはそれだった。
一瞬、皆ぽかんとしていたが、おれは間違ったことは言ってない。
あいつは何かあると、すぐ頭を引っ込めて殻の中だ。




