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第二十二話 誰が為の歌Ⅰ




 その日は昼間、ルネの様子が急に変わってひと悶着あった。

彼はただ泣くばかりで、何も言わない。ジャンに問いただされても押し黙った。おれも心配になったが、リオネル達が帰ってくるとわかったのでそれどころではなくなった。


 馬車の、蹄の音がした。はっきりとこの耳に聞こえた、蹄が石造りの道を叩く音。それはこちらに来て、わずかの間に慣れ親しんだリズムだった。


今までは夜中に帰ってきて、おれと鉢合わせないようにしていた。わざとだ。夜はおれが、ルネと一緒に居たから。

そうだ、おれには大義名分がある。予防接種もとい、成人の儀をやった。

おれはやったぞ、次はお前の番だ。おれはそう言うつもりだった。


 そこでふと、考えが浮かんだ。また避けられたらどうするか。

そんなのは御免被る。絶対うやむやにさせない、逃がすものかと心に決めた。


 姉貴の顔が、鮮明に浮かぶ。

不本意だが、今のおれにちょっと似ている。ショートカットにセーラー服の姉貴の顔。空手の道着を抱えて、おれをよく足蹴にしていた。人をからかったり、使いっぱしりにしたり、本当散々な思い出ばかり映像のように流れ込んでくる。


 姉貴の、おれを呼ぶ声に意識を集中する。

あの小さな村で見た、ポルドスという男の遺体。あの棺桶を、蓋をずらした瞬間に思い出した焼香の匂い。

 数珠とお経と、誰かの声。

あの時は、これ以上思い出してはいけないと思った。頭がガンガンと鳴るように痛んだ。

でも、忘れたままでもいられなかった。


―――マコ! てめぇあたしのアイス食ったろ!


 甦っては、胸を締め付けるから。それが何故か、いつまでも理由を知らないふりをしてはいられなかった。


 忘れてしまったもの、奪われたものを取り返す。

この世界に、おれはまず、そのためにここにいるんだ。



 ジャンと相談をして、飼い葉桶を二つ借りてきた。覚悟をしろよリオネル。やると決めたら一度、徹底的にだ。




 ※




 特異点というものは、貴族や王族の間でまことしやかに囁かれる。そういうものがあるらしい、一体どういうものかと興味をそそるらしい。秘密にされれば、それを知りたくなって、憶測や曖昧な話、突飛な発想までする者がいた。そこまでいくと、噂話の一種の享楽だが、持っている本人からしたら、なんともない。

こんなものを持っていても、大して役には立たないのだ。


僕の『神眼』は、魂の色を見分ける。腹芸の多い上流貴族や商人、政治的な場面ならともかく、至って平凡な民衆相手では、心の内と外なんて大した変わりはない。


 街の人は、僕を見ると怪訝そうに眉根を寄せて、そそくさと逃げ去る。挨拶もない。

『神眼』を使っても使わなくても変わらない。

 避けられている。

その魂には、哀しみと憤りと、不快感が一瞬のうちによぎって、どこかへ消えていく。


この街には子どもの頃からよく来ていたから、着いた時は多少、いやかなり意表を突かれた。

人々の変わりようは、やはり何か流言や風聞があるからだろうか。

故意に、ポホス村長たちが疑っていたように、何かあったのではないか。


 不安と心配が煙になって自分の周りを包んでいる。

 ここ数日、情報を得ようと街へ下りたが収穫は無かった。

嗅ぎ煙草の注文と、衛兵への聞き込みがあったぐらいで、それ以上の成果はなく肩透かしだ。


 僕の力は難しい。そう、大昔に母親が教えてくれた。

見ないでいいものを見てしまう、傷ついてしまうから、使わない方がいい力だと言っていた。家族のことは“見ない”。母とそう決めた。

 トマも見ない。トマは家族と同じだった。


 平時はそれで良かった。だが緊急時は違う。

昔はとても便利な能力だと思っていた。

相手が何を感じているかわかれば、それを突くだけで優位がとれる。僕はそれで、失敗したことがなかった。

 兄の役にも立てた。

 即位からしばらく、兄である国王陛下の地位が盤石になる為に僕は協力した。

決して、自惚れていたわけではない。


 それでもイディアン、亡き夫はいつも言っていた。


―――神さまからの贈り物を、それ以上にも、それ以下にも思ってはいけない。


 彼を“見た”事はない。見るまでもなく、心が清らかだとわかる人だった。けれど聡いところもあって、僕を嗜める人だった。



―――なあリオネル、本物の悪意は、本人が悪意だと思っていないんだよ。

―――そんなことがあるのかい?

―――悪いことを「悪い」と思っている人は、元が善良なのさ。わかるだろ?



 イディアンが最後に見たものは何だったのか。僕はいつもそれが気になっている。

本物の悪意なのか、それはどういう形をしているのか。悪意だと思っていない悪意は、どんな色をしているのか。それは日頃、僕が見ているものだろうか。それとも全く違うもので、この目は全くの役立たずなのか。

 君の目に何が映った、イディアン。

怖くなかったか。君は、君とマイルは……怖かったに決まっている。


 僕は、見えるだけで、何も知らないのではないか。

嫌われている、避けられている。それがわかったからといって、何だと言うんだ。理由がわからない。憶測も憶測でしかない。何故、なんでイディアンとマイロだったんだ。


いまこの懐かしい街を歩くと、そういう気分になる。見えたところで、何も意味を成さないと。


 この所、少し酒量が増えたとトマに小言を言われる。

それはそうだ。マコトが成人の儀で、僕のそばにいないから寝つきが悪い。自分から遠ざけておいて笑わせる。

マコトは白い花の匂いがする。あの花の名前を思い出せたらいい、そう記憶の糸を辿りながら、停車場についた。

 さて、子爵邸の内部を少し歩いて回ろうか。この街の住民だけじゃない。ここで働く使用人にも気になるところがある。


 そう思って、馬車の扉が開けた時だった。



 バッシャーーン!



 驚いてステップに尻もちをついた。皮膚がぴくぴくと痙攣する。冷たい。


「……なに」


 喋りかけたら、口の中が変だった。吐き出してみると、藁のようなものが出てくる。



「おかえり、この唐変木」


 ガラン、と彼が地面に転がしたのは飼い葉桶のようだ。僕の身体は温度を奪われていく、それから僅かに、重たい。

ゆっくりと顔を上げ、彼を見つめる。



「……マコト」

「わかってるよなリオネル」

「……どれのことかな」



 彼の視線から目を逸らした。負け戦でも、もう少し恰好をつけたいところだった。






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