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第二十一話 檸檬色の鼻歌




 マコト様は数日、私どもと会話をしなかった。

恥じ入るようだが、私もピッケも大公さまから「すべてルネに任せるように」言われていたので、そのようにしてしまった。


 今朝、マコト様を果樹園に誘う前に、そのことをお伝えした。言い訳にしかならないだろう。

 マコト様は人をわざと威圧して、自分を大きく見せようとする人ではない。

でも、この数日、マコト様を追い詰めてしまったことに気付いた。あの方は、話しようがなかったのだと思う。


 押し黙っている姿は、怒りと、どこか影が感じた。無論、それ以上の何かもあるかとしれないが、推し量れるのはそこまでだった。

神子様とは一体、どんな方なのだろう。住む世界が違うとはどういうことなのだろう。私はもっと考えなければならなかったんだ。

 もっとマコト様のことを考え、行動しなければ。


 私は王家に忠誠を誓い、マコト様の従者として抜擢された。それに見合う働きが出来ていないではないか。

 何が近衛騎士か。


 今朝、マコト様にバートン子爵邸の果樹園の話をしたのは、以前そんな事をおっしゃっていたからだ。


―――身体が覚えてるんだ。

―――きっと、農業とかやったら思い出す。


 そのような話を離宮でなさっていた。

子爵邸の庭にある果樹園ではレモンが収穫時期だったので、子爵に許しを得てマコト様をお誘いした。貴族の邸には、庭の一部をこうした果樹園にしていることが多い。見るだけではなく、余暇には収穫を楽しむ習慣があるのだ。


マコト様が、ルネを誘ったのは意外だった。どういうことなのだろう。私より、ピッケより打ち解けているのだろうか。

 だとしたら悔しいが、マコト様の痛みはこんなものではないのだろう。



 我が身を振り返り、冷静に、無理強いすることなくお仕えしたい。


そしてルネだが、今の所おかしな動きはしていない。念のため見えない所に騎士も控えているので、マコト様を害することはないと思うが、やはり気を付けた方がいい。


 首筋の後ろが、時折ちくりと痛む。


 この子爵邸に入ってから、誰かに見られている気がするのだ。神子様がおられるのだから、それは珍しいことだが、そういう類の視線ではない。

上手く言葉にできない感覚に戸惑うが、見過ごさずに、トマ様にもこの何とも言えない不安感をお伝えしている。

その為、トマ様たちは毎日街に下りて、人々の様子を調べていらっしゃる。

 街の人々の態度と、この感覚は何か繋がっているのだろうか。

この子爵邸の使用人にも、何か違和感があるかもしれない。


そう思って、ルネや子爵を観察しているが、今ルネは長い髪を肩のあたりで緩く結んで、慣れない手つきでレモンを収穫している。

マコト様はルネに教えるのが楽しそうだ。

 

 ルネは荒事には向いていない気がする。中身は普通の青年ではないか。

そうであってほしい。マコト様の為に、そうであってほしいのだ。




 ※




「香りが良い。このままジャムにできるな」



 マコトは捥いだレモンに鼻を近づけ、思い切り息を吸い込んだ。ルネも、横目で見て真似をする。

 それからマコトが、簡単に服で拭いてから籠に入れた。籠の半分くらいは溜まっただろうか。


「ルネは農作業とか、したことないのか」


 軽く汗を拭いていたルネは、ちょっと驚きながらもはにかんだ。


「普段この時間はまだ寝ています」

「あ、ごめん眠かったか」

「いえ! いいえそうではなくて……マコト様の所へ行くようになってから、子爵様からは呼ばれないので、ええと、なんというか、本来の仕事をしていないので」

「じゃあ、休暇ってことだな」



 太陽の光を受けて、黒い髪が輝く。マコトが笑ってルネに答えた。

自分に向けられた笑顔に、心がざわざわと騒いでいる。



「休暇…ですか…」

「そうそう」


 マコトは鼻歌まじりに、次の木を物色する。レモンの枝は横に広がりやすく、生い茂った葉の中で、レモンの実の彩りが賑やかだった。


 太陽の光、レモンの匂い、黒い髪の神子様。

それは鮮明にルネの心に焼き付いていく。そしてこの瞬間を生涯忘れることはない、という一つの確信が生まれた。

 住む世界が違う方。けれど、どこまでも美しい方。

休暇と簡単に言う。それがどんなことか、この人はわからないのかもしれない。

そう思って、少し意地の悪い気持ちで聞いてみた。



「マコト様は、どうしてあの歌を歌われたんですか」

「ん?」


 マコトが振り返る。


あなただって、陽の下に当たったことのないようなお顔をしているのに。

 ルネの胸中を、迷いと羨望が吹き抜ける。


「ああ、とんぼか」

「子爵様は、いえ、皆さま不思議がっていたように見受けられましたが」



 そう、先日マコト様が宴会で披露した不思議な曲。

あれは、バートン子爵がルネへの褒美に一曲と、恥ずかしげもなく注文したのだ。

普通はあんなこと、言えるはずもない。コールボーイに歌を捧げるなんて、そんなことは誰もしない。ましてや神子様にそれをねだるなど、有り得ない。

子爵も本気ではなかったのかもしれない、酒の席の事だから真意はわからなかった。

でも、普通は一笑して終わるのだ。


 それをマコト様は、真に受けて歌った。

その上、歌詞は半分以上わからない。曲調も不思議なものだった。あれが、子爵に気に入られたとも思わない。

 神子様は、恥をかいたのだ。

それに気づかせてやろうとルネは思った。



「ルネにぴったりだと思って。というか思い浮かんだから」

「……は?」

「ルネの踊り、すごく良かった。きっとすごく練習して、練習量がモノを言うと思うんだけど、普通はあそこまで出来ないんじゃないか? おれは門外漢だけど、そこまで続けられるのは才能と情熱なのかな。人並み外れてる、それくらい努力したんだと思ったよ。おれはなんだかそれが懐かしくなって、勇気、ううん、なんていうのか、力が湧いてきた」



―――俺は俺で在り続けたい そう願った


 マコト様が歌う。さくさくと、地面を踏む足の音に合わせて。

レモンの香りは風に乗って、ルネに届いた。



―――ざらついた苦い砂を噛むと ねじ伏せられた正直さが 今ごろになって やけに骨身にしみる―――




 ルネはその場に膝をついた。崩れるように、頭を下げて平伏する。

歌詞の続きはこうだったはずだ。

しあわせの、とんぼよどこへ、飛んでいく。



 マコトが心配して駆け寄るも、ルネは頭を上げられなかった。涙がとまらなかった。神様どうか、もう少しだけお許しください。罰は受けるから、もう少しだけ。


 体の大きい侍従騎士が寄ってきて、ゆっくりと抱き起されるまで、ルネはそうして泣いていた。







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