第十九話 東へ一路
サイヤは幌馬車の荷台から空を眺め、流れる雲と二つの太陽を見た。目を細めて、首元の襟巻をたぐり寄せる。がらがらと馬車が揺れる音が下から突き上げるように響く。雑談は多少するが、サイゼルが黙ると、一行は至って静かだった。
トマに仕事を託されたスーレン一族の男たちは、時折何か御者台で話している。
彼らは二人は対照的で、ずんぐりしたのっぽのミルファクと、小柄でネズミを思わせる顔をしたチャラワン。
護衛役に指名されるくらいだ、相当の手練れなのだろう。二人の腰のベルトからは、半月刀のような武具がちらりと見える。それが極力使われないことを願うしかない。
サイゼル殿下は、細かく編まれた飾り紐と、南国の模様が見事な細い刺繍布を頭に巻きつけ、白い髪を隠している。その上からフードを目深に被り、口元も襟巻きで覆っていた。
私も同じ格好をしている。どこで誰が見ているかわからないから、極力顔を出さないで行動するのだ。
大公様が、敵は国内の有力貴族だと踏んでとても厳重に警戒している。
その為に粗末な幌馬車に揺られて、東へ向かっていた。時には辻馬車に乗り、普通の市民と乗り合わせて進んだ。乗り換えを多くして、後を付けられないように工夫しているのかもしれない。サイヤは言われるがまま、ついていくだけだ
乗り心地は、前に乗ってた貴族用の馬車に比べたら酷いものだが、それに対してサイゼル殿下が文句一つ言わないので少し意外だった。
とにかく大学都市まで行ければ大丈夫だろう。私もこのままでは、ただのお荷物で侍従として仕事のやりがいがない。
でも、どうして私が選ばれたのだろう。
大学都市。
孤児で神霊院の施設で育ったサイヤは、なんとなく話を聞いたことがある。
この北大陸には、政治も国家も介入できない場所が二つあるのだそうだ。
一つは森の民の本拠地、千年樹海。
大陸の西に広がる星天山脈の一部だ。
遠くからでも見えるという、星天の樹から東側が千年樹海と呼ばれるそうだが、ほとんどの事はわからない。森の民は滅多なことでは人前に出ない。時折、ヨギ様のように神祇官として神霊院に人を送る、それだけだ。
もう一つが大学都市。
ジアンイット王国から東方へ街道を進むと現れる、巨大な塔と、街の外壁。街がそのまま小国として機能している特別な場所だ。
そこは、世界中から研究者が集まる智の殿堂、北大陸で最高峰の学術機関。人類の最も先にいるといわれる各分野の専門家のみが入れる特別な都市だ。
どちらも普通の人間には入れない。
大学都市に入るには、国の大学や高等専門機関を卒業する者の中から選ばれて、推薦状を携え試験に合格するか、実績などを明示して認められるか。
そうした学者の中でも一流と認められた者のみが、大学都市の門戸を叩ける。
サイゼルは、まさにその一流の学者だった。
「サイヤ」
呼ぶと、サイヤはすぐにくるりと振り返った。小柄な侍従らしく、コマドリのようにてきぱきと動く。
移動中といえども、炭々岩によって保温効果を取り付けられた水筒を使えば、いつでも温かい茶が飲めた。
少々大きい水筒だが、これは魔石をつらら石に取り替えれば、もっと暑い地方でも新鮮な水が飲める。よって旅人や商隊が好んで携帯する優れた発明品だった。
茶葉はサイゼルお気に入りのムース茶だ。仄かな渋みと、独特の葉の香りが好きだった。
サイヤがサイゼルにお茶を出す。襟巻を下げて、茶器を受け取った。
サイヤもサイゼルが飲んだのを見計らって、自分も口を湿らせ、ひと息つく。御者台の二人には断られたので、二人で茶を飲んだ。
平常心が一番だ。いつも緊張していては、すぐに疲れ切ってしまう。その上危険にも気付けない。
サイゼルは、危機察知能力はあるつもりだ。母親の暗殺から逃げ切り、この国まで来たのだ。その後も時折それらしい危機はあったが、全て未遂に終わっている。
リオネルのお陰半分、教育係のヨギのお陰半分だった。でも、自分でも身を守る術は身についていた。それが魔法だ。
サイゼルが魔法に熱中したのは、何も興味だけではない。
自己防衛のためだった。たまたま、身を守る以上の才能に恵まれていた。その才能を早くから見抜いた、リオネルたちの助力も大きいだろう。
幌馬車の中を心地よい風が吹き抜けていく。
いつもより着込んでいるサイゼルにとっては、涼やかで好ましい風だ。
「サイヤ、お前不思議に思ってるんじゃないか?」
サイヤが首を傾げた。こげ茶色の瞳がくりっと光る。
サイゼルの言わんとしていることを考えているのだ。いい従者だ。
「おれが、お前を選んだこと。ああ、命の危険があるかどうかといえば、転移者の従者になった時から覚悟はしているだろうが……向こうにいたかったか?」
「いいえ! 光栄です!」
元気よく答える。サイゼルは、サイヤの白い肌を見た。手の甲、骨ばった手首、喉仏や顎の形を観察する。
「ふふ、まあいい。お前に一度、大学都市を見せてやりたいと思ったんだ」
勉強が好きみたいだからな、と付け加えると、一重の目を大きく丸くして、サイヤは固まった。
「大学都市では、本が読みたい放題だ。何の分野に興味があるんだ? 貸本屋では手に入らない貴重書がたくさんあるぞ。専門家の講義も、おれと一緒なら受けられる。あそこは身分の上下もない。全ての者が“学ぶ者”だからな」
大学都市には、学者ではない連れ、従者や侍従の類は一人だけ共に入ることが出来た。
それはどの国の権力、内政、勢力争いに加担しない治外法権の小国家としての、妥協案なのだろう。
治外法権ということは、サイゼルのような王侯貴族出身の学者であってもその身分は大学都市に入れば関係ない。
それで過去に幾つかの不祥事が起こり、侍従付随の許可が下りたという。
「や、薬学と植物のことを少し……私を育ててくれた神霊院の院長さまが、御老体でしたので」
手元に視線を落とし、耳や目元を赤らめてサイヤは言った。
「そうか」
サイゼルはそれだけ返した。本当はそれだけではないが、今言うべきではない。
サイゼルはリオネルのように甘くはなかった。
リオネル、今どうしているだろうか。
壁を作るなよ、リオネル。それで敵に勝てると思ったら、甘いのだ。
実の親からの暗殺、毒殺、あらゆる策から生き延びた「白い子」は、流れる雲を見ながらそう願った。




