第十八話 玻璃、ばりり
神子様は黒い瞳をおれにまっすぐ向ける。それはあまりに黒くて、おれは吸い込まれると思った。暗くて、雨の空から抜け出てきたように見える。遥か遠くの空から降りてきた人。もしかしたらおれは、とんでもないことをしてしまったのかもしれない。
「おれには何も説明がなかった。この世界の常識も知らない。お前にはわからないだろうけど……」
どうしよう、ここで罰を受けたら。神子様を傷つけたから、きっとただでは済まない。それは、それで仕方ないのか、いや、でもそれでは意味がない。
「あの男が、あの男がそう言ったから、きっとワケがあると思いました! 神子様が、大公に売られたと知ったらきっと、神子様は」
「おれは?」
「あの男を、大公を見限ると思って」
「だからわざと、あんな風にしたのか」
「神子様、いえマコト様、あんな男はダメです。あの大公は」
もし神子様がこの世を救う方なら、それならば信用なんてしてはいけない。あの男を信じるなんて、神子様が傷つくだけだ。ルネは一瞬、年下に助言するような気持ちになった。
黒髪の人は、腕を組んで頭を傾げた。
「リオネルがダメって? 見限るってどういうことだ」
「だって、だって神子様と大公は恋人でしょう?」
お互いに目を開いて見つめあう。互いに何か、言い出しそうで言い出さない、わずかな沈黙だ。けれども、神子様が先に動いた。
「いや……違うけど」
「えっ?」
※
マコトは大きくため息をついた。
何がどうなってるんだ。おれがリオネルの恋人ってどこをどう認定してそうなったんだよ。
こいつ、コールボーイって言わなかったか?
それってつまり身体を売ってるってことだよな。そういう奴って色恋の機微にはもっと敏感なんじゃないかな。
いや、元ホストのおれが言えたことじゃないな。おれはその点、結構八尋に叱られたし。
「よくわかんねえけど、ルネはおれとリオネルを仲違いさせたかったのか?」
改めて聞くと、ルネは動揺しているのか目を泳がせる。なんだか悪いことをしているのはおれ、みたいな気分になってくるな。良くないな、おれのこういう所。やり始めたらきちんとやり通さないと。
「お前はリオネルと関係を持ちたいんだろ? おれが邪魔ってことか」
ルネは黙ってしまった。
「でもその割にはリオネルのこと、ボロクソに言うな。嫌いなのに、抱かれるって?」
「た、大公様ほどの実力者の後ろ盾が出来れば、将来安泰ですから。その為にはなんだってしますよ。私たちのような人間には、それしかないから」
冷たくなった指先をさするように手を揉むルネ。
細長くて、薄い手のひらだった。おれの頬や腹の上を這った感触を覚えている。
つまり、ルネはおれがリオネルの恋人だと思い込んでて、それだと自分を売り込む隙がないと思ったってことか。
まあ喧嘩させて、その間に割り込むっていうのは古典的でよくある手だと思うけど、それにしてはルネが、リオネルのこと嫌っている気がする。
「あ、あの、バートン子爵様も言ってましたけど、神子様っていうのは魔力を分け与えるために、周りにたくさん仕える者がいるって。だからあの、成人の儀を済ませられていないのは気の毒だと、おれは思って。本当です。それは、本当に」
「ちょちょ、ちょっと待ってって。それ、どういうことだ?」
「だから、周りの方と身体を繋げて魔力をくださるって」
「おれが?」
そう聞き返すと、ルネは子どもみたいに頷いた。
おれは思わず天を仰いで、そのままベッドに身体を投げ出した。
「なんだよそれ……」
白い病退治の他に、それもおれも役目なのか? 絶対?
それをリオネルたちはずっと黙ってたのか? アスクード伯に抱かれるってそういうこと?
疑問と、彼らへの疑いだらけになった。胸の中も頭の中もそれでいっぱいだ。
「み、マコト様…」
「あーー……ルネ、いいよ。お前が困るんなら」
「え?」
「お前が困るんなら、成人の儀、最後までちゃんとやるよ」
あれだ、座薬を入れてもらうのと同じだ。
いや……無理があるだろ、それ。突っ込まれたナントカってやつは蛍光ピンクだった。めちゃくちゃ大人の玩具っぽい見た目をしてた。あれが樹液とか何とか、諸々信じがたい。
それにルネの見た目はなんとなく倒錯的な雰囲気にもなる。雑談しながらじゃダメかな、痛くはなかったし……おれ、甘いかなあ。
リオネルに聞きたいことは山ほどあって、アスクード伯のこともある。でもだからって成人の儀をするわけではない。
恥ずかしいのを我慢すれば何とかなる。いや我慢って違うか……とにかくリオネルを締め上げて色々吐かせる。それはいいとして、どうせいつかやらなきゃいけないことかもしれない。予防接種みたいなものだとしたら、それはそれで納得できる。
嫌なことは先に終わらせた方がいい。
マコトはそのまま、天地が逆転したまま窓に目をやった。
ここを出て一人で生きるにしろ、おれは知らない事が多い。ルネを味方につけて、逃げ出す時に手伝ってもらうのもいいかもしれない。
大きな雨粒が、窓ガラスをうつ。雨粒は絶えず風に吹かれてガラスを滑っていった。それは透明な亀裂にも見える。
この世界で生きるって、どういうことなんだろう。
強い雨風の音が、マコトの身体に響いていく。
誤字修正 2024/02/18




