第十二話 踊り子ととんぼ
その晩は、リオネルとおれたちへの歓迎会のようだった。
昨日と同じ部屋に案内されたが、室内の装飾が増えている、特に、天井や壁から幾つもランプが垂れ下がっていて、はめ込まれた色ガラスの光が賑やかで、楽しい雰囲気を演出していた。このランプは、魔石の光長石が内側に取り付けられている。
これだけの数だから、太陽に当てる、エネルギー補充の専属使用人がいるんじゃないかな。前にジャンが話してたことだ。
リオネルやアスクード伯はいつもと違い、フリルたっぷりのブラウスで、姉貴が読んでた少女漫画のような出で立ちだ。布の使い方、使われている生地の光沢や刺繍、袖はふわりと孤を描き、手首の紐で調整されている。
おれは昨日の、室内着の豪華版。何分衣装の持ち合わせがないからその都度ジャンたちが揃えてくれているらしい。おれは、普段の簡素な服で良かった。
でも、たまにはこちら風に着飾るのも、疲れなければいいかなと少し思い始めている。何よりジャンとピッケが楽しそうに支度してくれるので、ならいいか、と二人を見ていると思ってしまう。
上座ってこっちの世界にも多少はあるらしい。
リオネルを真ん中にして、アスクード伯、反対側にバートン子爵が座っている。
おれは、本当はここでは一番高い地位らしいのだが、アスクード伯の隣のトマ、さらにその隣になった。
ジャンとピッケも、今日は客人だ。お酒を満たしたり、食事をとりわけるのはこの邸の使用人がやってくれる。
バートン子爵側に、騎士三人、おれの隣にジャンとピッケ。
サイゼルは体調不良で欠席、ということになっている。
昨日の、やたら綺麗な金髪の人が見えなかった。
「なあジャン、昨日のすごい綺麗な金髪の人、いないな」
そういうと、ジャンは一瞬固まった。すぐさまトマがおれを肘で小突いた。
「なんだよ」
「マコト様、ああいう者はですね、本来は正式な宴会には出られないのです」
「ええ?」
正式な宴会ってほど、肩肘張った気はしないのだが。
「それに、あまり興味を持たない方がよろしいかもしれません」
トマがそういって、果実水の杯を呷った。
そうこうするうちに、がやがやと人の声がした。
おれたちに向かい合うようにして、少し下がって場所に何人か腰を下ろしたのだ。手には楽器がある。まさか、まさか! ここにきてようやく!
マコトは興奮が隠せず身を乗り出した。
そして、最後に金髪の長い髪を揺らして青年が現れる。
薄い絹地は、昨日より大胆にスリットが入っている。首元には大きな紅玉、手足の鈴。
豪勢に飾り付けられたということは、マコトにもわかった。
その腰の細さ。こちらの成人男性には見えない。ピッケとそう変わらない歳なのだろうか。
太鼓と笛の演奏が始まる。
どことなく、メキシコや中南米で聴いたリズムと音階だ。サンバに近いが、こちらがついていけないほどではない。
落ち着いたテンポに変わると、金髪の青年が一歩前に出てお辞儀をして、音に合わせて足をあげた。
バレエのように、片足が天井を向く。それを支える胴体のしなやかさが、衣装の間から覗く。はらり、と布が動くと素肌が露わになる。
鈴が鳴る。青年が飛んだ。跳躍したのだ。曲が少し早く、変則的になった。ターンをすると後を追うように金髪が円を描く。後ろに飛んで、身体を縮めて、また飛び出して。
今度は早い、足を踏み鳴らして鈴が騒いでいるようだ。手を大きく伸ばすといかに手足が長いか、均整の取れた身体かよくわかった。
一瞬、衣装の布が大きく視界を遮り、その後金髪の彼と目が合った。全身が総毛立つ。
踊りは見事だった。マコトは日本にいたとき、客と同伴でバレエ鑑賞をしたことがある。でもそのときより、ずっとよく見える。
素人目だから、舞台まで距離がないから。
色々言えるだろうが、それでも彼がどれだけこの踊りに打ち込んできたか、その熱量がわかる。
身体はただ細いわけじゃない。踊るための身体だ。関節周りの柔らかさ、優美な動きをするための耐久力。
ここまで出来るようになるには、どれほどの年月がいるのだろう。鍛錬がいるのだろう。その難しさは少しわかるつもりだ。おれだってギターのリフを、真似したくても全然できないことが何度もあった。
そういう時は、続けるしかない。ある日急に、指が動くようになるんだ。きっとこの人も、そういう日々を繰り返してきたのではないか。
マコトは、夢中になった。踊りが終わり、拍手が鳴りやんでも、それに気づかなかった。
「どうですかな神子様。神子様は音曲に通じた方だと聞きました。あの者への褒美に、聴かせてはくださりませんか」
髭のバートン子爵がそう言う。周りは怪訝な顔をしているが、おれは安請け合いをしてしまった。
「あの、こちらの楽器の弾き方がわからないので、あとで教えてください」
そういうと、さっきまで演奏していた人たちは目を丸くして、互いに見つめ合っていた。
おれはピッケに、ギターに似た八本弦の楽器をもってきてもらった。
こちらにきて、初めて弾いた楽器だ。あれならできるかもな。
リズムは、弦の横を右手で軽くたたいた。
この人には、きっとこの曲だ。歌はハミングから始まる。おれは歌を歌うのは本職じゃない。でも、この曲は上手くなくたっていい。
―――ああ しあわせのとんぼよ どこへ
お前はどこへ飛んでいく
そう、長渕剛の『とんぼ』だ。
最初は嫌いだった。
でもある時、歌詞がよくわかった。言葉と転調のタイミングも合っていて、粗さのある、骨で闘っているようなこの曲が好きになった。
―――マコト、そんなのが好きなのか。だっせえ。
―――いまはシンセだろ。
―――マコトの作る曲、ちょっと古いんだよな。
―――売れなきゃどうすんだ、契約切られるかもな。
曲を演奏していると、昔の光景が浮かんだ。ヤニ臭い部屋でくだを巻いていた。
ごつい指輪とTシャツにジーパン。これといって特徴がないおれたち。そう、売れないバンドだ。
―――いやマコトはいいよ、顔がいいからな。事務所が残したいっていうかもよ。
―――待てよ、そんな話してないだろ。
―――客が来たのもマコトのお陰ってか。
―――おいやめろって!
うるせえ! 黙れ!
いいから聴けって。聴いてみろって。ギターとボーカルのシンプルな音の層のおかげで、歌詞の無骨さが際立っている。裸で、さらけ出してる。
―――それでも おめおめと生き抜く俺を恥じらう―――
歌詞は、惨めさも悔しさも、運がないということも。自分を疑ってやめたくなる時も、全部わかってるよ、そう言っている気がする。
煙草吸ってダレている奴らを横目に、自分とは違う、おれはこうじゃない、そう言いたかった。でも同じだ。同じ人間だった。
そう、おれはバンドをやってた。バンドマンだった。
いつも、どうしたらこの街で生きられるか。そう考えていた。
何度も諦めて、情けなくて、何度も奮起しようとした。音楽を聴いてしまえば、とめられなかった。
―――ああ しあわせのとんぼがほら 舌を出して笑ってらあ―――
なんて皮肉と、勝気とが入り交ざった、かっこいい歌なんだろう。
こんな曲、おれにも作れるかな。そう思っていたんだ。




