第三話 それぞれの都市へ
ディアメは二つの川にまたがるように出来た都市だ。河川を使って舟で運ばれてくる商品は一度ここで卸され、また別の街へ、陸路や水路を使って運ばれていく。
リオネルの治めるランスター領でも重要な商業の中継地点だった。この街を預かるのはバートン子爵で、その子爵邸で支度を整える手はずになっている。
支度、というのはもちろん旅支度だが、一番大事なのは嗅ぎ煙草を大量に買い付けることだ。移動しながら買い物をするより、直接業者のいる街を訪れた方が早い。
そこで荷が揃えば、一度大公邸に戻り、その足でまた白くなった村へ行く。
それが話し合って決めた大まかな流れだ。
「おれはディアメで別れる」
そう、食事の席で言ったのはサイゼルだった。
マコトも驚いて、食事の手を止めている。
「別れてどこへ行くんだ、サイゼル」
「決まっている。アレの解析をするんだ」
サイゼルが視線の先に示したのは小さな革袋だった。本来二つあったものだが、もう一つはヨギ神祇官が、森の民の本拠地に持ち帰っている。
「あれ、何?」
サイゼルは意地の悪い笑みを浮かべる。
「白い虫を水魔法で覆ったもの」
「ええ!」
食後のお茶を準備していたピッケは、歯を剥きだしにした強烈な形相で袋を睨んだ。まあ僕も食事の席で聞きたい話ではないな。想像の翼がたくましいものだから、革袋の中で水没している白い虫を思い描いてしまった。
騎士たちも座っていては一歩身を引くことができないので、居住まいを直したり、咳払いをしたり。その行動が体験の強烈さを物語っている。
「なんでそんなもの……」
「そんなものではない。貴重な拾得物だ」
「確かに……」
確かに、とトマが続けた。
「あの虫がなんなのか、わかってませんからね」
「サイゼル殿下はどうなさるおつもりなんですか?」
「いい質問だなサイヤ」
サイヤは少し、胆が据わってきた。
サイゼルの人柄にも、あの虫にも動じない。連れてきて正解だったとリオネルは目の端に小さな喜びを乗せた。
「あれを大学へ持っていく。恐らくそこから大学都市へ行くことになると思う」
「大学都市か」
そうか、その手があったか。はたと膝を打つ。確かにあそこなら、もっと詳しいことがわかるだろう。それに、サイゼルはうってつけだ。
「おれはナシラとかいう奴の言った通り、魔力探知の魔法陣を置いて待ち構えていたが、あれはもう一つ、魔物をおびき寄せる罠としての使い道があるんだ。だが、あの虫が何に反応して村に戻ってきたのか、判然としない。魔物なのか、それとも魔法生物か。それが何故大量発生したのか、どこから来たのか、白骨死体のこともある」
「そうですね…私が気になったのは、マコト様に群がっていたように見えたことです。もし白骨死体が虫に喰われたのなら、奴らは植物だけでなく肉も食べるということですが、それにしては、我々は無傷です。魔物なら魔力を欲していたと考えることはできそうですが」
「トマ様、皆さまの服がところどころ破れて穴があいてました」
「そうだピッケ。あの虫どもめ、大事な大事な大公殿下のマントにまで穴をあけおって……」
トマが眉をしかめて言うそれに、ひどく深刻そうな顔でジャンとサイヤも頷いた。そうかあ、侍従には悪いことをしたかな。
ともかくサイゼルやトマが言うように、あれは謎だ。
あそこまで大きな成虫のバッタがいるなんて聞いたことがない。その身体が白い、というのもやはり気になる。これまでの「白い病」は全てその要因となる何かがあったのだ。では、あれはどこから、何から出てきたのか。
「魔物、ですか……」
腕組みしたカーク・ハイムの顔に緊張がある。マコトがそばにいたジャンを見やって聞いた。
「魔物って、そんなにまずいのか?」
「マコト様、魔物はこの世界では突然発生する個体種なんです。例えば羊の群れの中に、偶然大きな魔力を持った個体が生まれてしまうということがあります。それは通常の動物よりも知能が高く、闘う術をもっています。我々騎士、軍が動いて討伐しなければなりません」
「突然変異ってわけだな」
マコトが真剣そうに頷く。彼はやはり、少しずつ精神的な歳を重ねているように思えた。こちらに来たばかりの頃とは違う。それは記憶が戻っている証拠なのだろうか。それと演奏の作用に何か関わりはあるのだろうか。
「ですが、通常魔物は生殖できない、つまりその個体以上に増えることはないんです」
「へえ…え、じゃああの巨大バッタが大群でいたのって、おかしいってことか?」
「なんだ、話がわかるじゃないかマコト」
サイゼルは、こういう話が好きだ。生粋の学者肌なんだろう。
「ジャンの言う通り、魔物ならばそれが大量発生したことになる。とにかく自然学や昆虫に詳しい学者に会って話したい」
「それならサイゼル、隠密で国を抜けて大学都市へ入ってくれ」
僕は食後のお茶を受け取り、そこに映る自分を見ながら言った。
歳をとった自分の顔というものは、昔を思い出させる。
「隠密で?」
サイゼルが声を落として、眉根を寄せた。
「僕は国内の有力貴族を疑っている」
それは小さな疑いだった。皆も薄々わかっていたはずだ。だが誰も人前では言わなかった。自分の身分と立場がある。
けれど、動き出したものを止められはしない。やっと始まったのだ。




