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第五十話 炎立つ

※昆虫の描写が続きます。苦手な方は避けてください。

第五十話 (かぎろい)立つ



 



 軽妙で陽気な音楽はしばし途絶えがちになる。先ほどのような力強さと軽やかさに、微妙な変化が生じた。

狂騒ともいうべき、虫の羽音。あたり一面を覆う白。

民家の屋根、扉、家畜小屋の柵、あらゆるところに虫が張り付いている。そうでないものは飛び、地面を飛び跳ね、足の踏み場もない。

 これほどの生物の大群に襲われて、平素と変わらない人間などいないだろう。助けてくれ、と喉まで出かかっている。

羽音だけではないようだ。何か、齧るような音もする気がする。気のせいか。



「畜生! キリがない!」


 騎士マハーシャラが叫ぶ。

大群の虫、それも大きな白い虫に襲われては致し方ない。何せ虫がやたらと身体にまとわりつくのだ。こいつらが肉食じゃないにしても、見慣れない真っ白な身体に、赤い目をした小鳥大の虫が張り付いてきて、羽やら口やらを震わせている。

端から見て醜態を晒すようだが、この嫌悪感と恐怖は鍛え上げられた騎士でも不愉快極まりなく、次から次へと襲い掛かってくれば疲弊し、戦意よりも忌避感が強くなる。

そう思ってトマも全身をはたくように虫を追いやる。振りほどいても虫、其処らじゅうの虫と奇怪な羽音。

 この状態が長く続けば、抵抗を諦める者が出るかもしれない。皆、息をするのも絶え絶えに、なんとか正気を保とうと必死だった。


マハーシャラは腕を振り回し、時折水魔法で水泡を作って虫を閉じ込めて対応している。だが到底それでは間に合わない。

 しかし身体を覆うほどの水泡を出して、それを留めておくのも魔力の消費量が多すぎて効率が悪い。マハーシャラが、槍の先から水を出して切り裂くもあまり効果はない。水魔法を使うマハーシャラは、相手との相性が悪すぎる。

彼はそれほどに苦労しているが、私はそうでもない。何故だ?

 はたけば、すぐに落ちる。だから周りを見る余裕が多少生まれたのだが、どういう事だろう。

 考えられる要因はなんだ? 私の魔力量が少ないせいか?

しかしそれならマハーシャラと共に苦労しているマクナハンも少ないはず。彼はよく見えないが、素手で潰しにかかっている。ぞっとするな……


 リオネル殿下が手加減しながら、風魔法で空を切り裂いてくれているので、最初よりは視界が晴れた。しかし夥しい数の白い虫が、どうしようもない気持ちにさせる。

 精神の健康面からいって、この虫の嵐の渦中にいるのはよろしくない。

騎士たちも通常の戦闘の方が余程マシだと思うだろう。消耗する。それに、今はリオネル殿下の頑張りがあるが、魔力には底がある。誰も彼もいつ限界が来るかわからない。いまはマコト様がなんとか下支えに、演奏で我々の魔力を支えてくださっているが、それでもどうなるかわからない。



 ぴょろー


 間の抜けた音が、羽音の騒音の間から聞こえた。

なんだ、さっきの演奏とは違うのか。曲が変わったわけでもない。


そう思って、腕で目元を庇いながらマコト様の方を見やれば、白い壁が出来上がっている。

 ピッケとサイヤはまだ目視できるが、カーク・ハイムとマコト様は虫でほとんど見えなくなっている。

魔法の防御壁は本来、無色透明で、使用者の術の効果範囲を覆うことができる。つまりあの白い壁の中、先頭に立って騎士カークは耐えているのだ。


 防御魔法、反射魔法を得意とする彼の防御壁に、大量の白い虫が群がっている。いやぶつかって落ちているが、その数が尋常ではないので虫たちが重なり合い壁を成しているらしい。

あれで防御壁が持つのか? いや、無理だ!



 何かないものか、と自分の衣服を探す。私は魔法で戦闘するタイプではないが、もしものために魔石を持ち歩いている。炭々岩、つらら石、他に何か、何かなかったか。

 こつり、と胸ポケットの物が触れた。


片手で取り出して見る。睡蓮が描かれたそれは夫から贈られた宝物、嗅ぎ煙草入れだ。

口に咥えていた嗅ぎ煙草と見比べる。

 まさか、もしかしたらそうか。

マコト様は笛を吹いている。すると嗅ぎ煙草は……咥えられない。

先ほどからほぼ叫んでいるマハーシャラも、いつの間にか落としたのだろう、煙草を咥えていない。




ーーー火はつけないのか?

ーーー火?付けたら大変だ。煙がたくさん出て……




トマの脳裏に、マコトと話したことが浮かんだ。ナシラがなんと言ったのかも、思い出す。

火、煙草、煙、強い香り……虫刺されの痕、そうか、もしかしたら。




「リオネル殿下! 煙草に火を! 嗅ぎ煙草です!!」


 トマはこれまでにない声で叫ぶと、炭々岩に火をつけて地面に置いた。そこに残りの嗅ぎ煙草を投入する。

途端に煙があがった。少し黄色い、強い香りがする煙だ。

トマの周りの虫が急に方向を変えていく。それを見たマハーシャラとマクナハンは急いで真似をした。

他の面々にも聞こえただろうか。


「ジャン! お前の火魔法だ! 嗅ぎ煙草に火をつけろ!」


もう一度叫ぶ。


 そこかしこで煙が上がると、白い虫が慌てるように動きを変えた。

さっきまで誰彼お構いなしで飛び回っていたのが、少しずつ煙草の煙を避けるように密集するような動きを見せる。




「マハーシャラ! カーク・ハイムの援護を!」


喉を傷めるくらい絶叫しなければ聞こえないほど、羽音が五月蠅い。その上埃っぽくて、たまったものではなかった。

白い虫たちもこれが窮地であるのだろうか。羽音で威嚇でもしているのだろうか。


 マハーシャラがマコト様たちの前にできた、白い壁に火をつけた煙草を投げつける。全員に多めに持たせて良かった。


前方にも伝わったらしい。サイゼル殿下が、風魔法で煙を集めて渦をつくっている。


「リオネル! これを使え!」


 小さな煙の竜巻は、リオネル殿下の方へ地を滑るように流れていく。

マコト様の前の、白い壁が崩れた。サイゼル殿下がまた小さな竜巻を作り、リオネル殿下の方へ促す。

リオネル殿下は腕を大きく振り、驚くほど優雅な動きで竜巻をまとめてみせた。風魔法を受け取る、という高度な技術をなんなくやってのける。それだけでなく、この窮地を忘れるくらい、嫌みなほど様になっている。リオネル殿下だけ、まるで夜会のダンスパーティにでもいるようだ。あれは無自覚なのか天性なのか、トマには知る由もないが、出会った頃からああいう人だった。



「サイゼル! 虫を竜巻でまとめてこの中へ放りこめ!」


ようやく指示が通る。

リオネル殿下は、嗅ぎ煙草の黄色い煙からできた竜巻を、レイピアを振るって制御している。

サイゼル殿下がマコト様に群がっていた一群に小さな竜巻を撫でるようにして送った。先ほどより繊細なその動きに、虫が一匹一匹絡め取られていく。一度竜巻に捕まったらさすがに逃げられないようだ。



 そうして、こんな場面に不似合いな、奇妙な取り合わせの陽気な音楽が復活した。いやそればかりではない。あの地面を通って伝わる、太鼓の心地よい響きに戻ったのだ。

これだ、この音だ。まるで心臓の音のように、脈打つように身体に波及する。

音の大小ではない。音そのものの力が違うのだ。

 ドンドンドン、と響く。それは大きな心臓が地中から我々にエネルギーを送り出す。

ぴーーーという笛の音は、耳障りな虫の羽音を割っていく。軽妙なリズムが聴こえ出すと、荒れた呼吸が少しずつ整っていく気がした。



 また火に、嗅ぎ煙草がくべられる。そうして黄色を帯びた煙が充満していく。



「虫を村の外に逃がしては同じことだ! 特大の結界を張れサイゼル!」

「無茶を言うなリオネル! 風魔法の壁だけだ!」


 サイゼル殿下が振りかぶって、四方に何か投げる。何かの武具か、発明品だろう。

途端にドンという音がして、一瞬、辺りが虹色に光った。


「出来るじゃないか!」


 リオネル殿下はこんな非常時に、楽しそうな言い方だ。


「長くは持たない! どうする!」


 そう言いつつも、小さな竜巻を同時発生させて虫たちを追い詰めているサイゼル殿下は器用な方だ。

 嗅ぎ煙草の煙と共に、虫を絡め取り、竜巻の中に閉じ込める。

そうして向かう先は、リオネル殿下に制御されつつ大きく膨らんだ竜巻だ。黄色がかった煙の渦が、空へ立ち昇っていく。


「一匹たりとて逃すな! 捕まえて放りこめ!」


 騎士たちはリオネル殿下の指示で、地面に這っていた虫を捕まえにかかる。

マハーシャラは蹴とばしていた。近衛騎士の体面がどうとは言っていられない。


ようやく姿の見えたカーク・ハイムは、ぎりぎりだったらしい。片膝を落とし、段々と、防御壁が弱まっていく。

しかしそれとは反対に、マコト様の笛が力強く、伸びやかに響いた。どこか懐かしさも感じる音色だ。それは恐慌状態に近かった我々の心の片隅に、小さいながらも平穏な場所を取り戻してくれた。そう、日常の、市井の賑やかさと似ている。商店や出店が並ぶ、活気に満ちた雰囲気を想起させた。


 

そうして黄色がかった竜巻に、白い虫が全て収まるまで小一時間を要した。本来なら人海戦術と行きたい場面だったが致し方ない。家の中にまでいるのだ。それでも、煙草の煙を近づけると動きが鈍るのでまだマシといえる。建物の中から燻し出し、小さな村をくまなく見て回った。背筋がむず痒くなる羽音も徐々に小さくなっていく。



ついに、羽音は聞こえなくなった。

竜巻の中では飛ぶことも叶わないのだろう。


 大きな竜巻を維持するリオネル殿下は流石だが、マコト様の演奏も絶えない。侍従二人もとてもよくやっている。

 視界が完全に開けたと思ったら、空も、雲が割れて橙色の夕日が見えてきた。



「さて、そろそろいいか! もういないな!」

「リオネル、村の壁はもう限界だ。後で見て回るしかない」

「では仕上げだ。ジャン!」


 呼ばれたジャンは、磨き上げられた剣を掲げた。夕日を照り返す剣は、炎を宿しているかに見える。そしてジャンは、ジアンイット随一の火魔法の使い手だ。

 リオネルに合わせて、竜巻に向けて炎を走らせた。


 黄色かった竜巻は、炎に染められていき大きな火柱となって、さらに煙が天に昇っていく。その様は豪快で、壮麗にさえ思える。

勝利を意味しているからだろう。目に焼き付く、橙色、緋色。中では白い虫が、断末魔をあげることなく焼かれているのだ。



夕焼けのなか、火柱が上がる。笛と鈴と太鼓の音が、楽しそうに響いた。







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