第四十三話 赤い斑点
四十三話 赤い斑点
帰ってきた一同は、埃まみれの身体をすっきりさせようと、水を浴び清拭を済ませた。その後は幕屋で虫刺されの薬を塗りたくっている。
途中、薬が足りなくなって、マコトも見様見真似でサイヤを手伝って新しく薬を作った。ドクダミに似た、すごく臭い葉っぱだ。
一方ピッケは川で大量の洗濯物を洗っている。昔話っぽくなってきたな。
砂埃といい、虫刺されといい、白い村は放置されて数日なのにとても住めた環境ではないらしい。
その痒みや不快感と、見てきたものの事で、騎士たちも、サイゼルすらも表情が晴れない。
「すごい刺されたなあリオネル」
「トマ様はよろしいのですか?」
マコトがリオネルの身体に薬を塗っていると、茶の支度をするトマにサイヤが声をかけた。一人だけ涼しい顔をしている。
「ああ、私は刺されなかった」
「なんで?」
「さあな」
トマが飲み物を配ると、紫の髪の男が、丸っこい鼻をひくひく動かした。
「お前、煙草の匂いがするな」
「ああ、嗅ぎ煙草を愛用しているが」
「それだ!」
紫の髪を撫でつけ、ぎょろりと瞳を丸くしてナシラが言った。
「農家は、虫よけに嗅ぎ煙草を口に咥えて農作業するって聞いたことがあるんだ」
「本当かそれ」
ナシラの言う事に、疑いの目が向けられる。すると、マコトがリオネルの背中に回りこう言った。
「ああ、蚊取り線香みたいな感じか。確かに、特定の香りのする植物を嫌う虫はいる。ミントとか。あとは煙で追い払うこともあるな」
リオネルの首筋に、虫刺されの薬を塗り込む。
「では次に村に入る時には、皆そのように対策しましょうか」
「そうしてくれ……これじゃ痒くて頭も回らない」
「確かにな。虫もそうだが、あの村はおかしいぞ」
サイゼルは先ほどマコトに、背中に薬を塗るのを任せた。その後は一人、隅っこで自ら薬を塗っていたらしい。背中を見られたり、身体を触られるのが嫌だったのだろう。
服を整えながら、テントの真ん中のクッションに腰を下ろす。
「鳥が飛んでいない」
「そうでしたね、私も気になりました」
ジャンも身支度を整え、トマの手伝いをしながら答えた。
「虫を食べる鳥がいないってことか」
「鳴き声一つしませんでしたから。それに増しても異様な光景でしたが」
「異様?」
ぽんぽんとリオネルの肩を叩いて、マコトは塗り終えたと告げる。
リオネルも真新しいシャツをトマから受け取った。
「わずか数日で、荒廃したようだったよ」
リオネルが茶を一口含む。
いつの間にか、ナシラもちゃっかりと席についてお茶を飲んでいた。
「そうだぜべっぴんさん。おれが聞いてきた他の所と、全く同じだった」
「べっぴんさんて……」
マコトは眉間に皺を寄せ、ナシラを遠ざけるよう、リオネルの右後ろに座った。
「ピッケが戻ったら全員で話そう」
リオネルの水色の瞳が、ぴかりと光った。
※
「おれが聞いた話は大方あんた達も知っての通りだ。
白くなった村は、まず土が白い。作物は枯れている。時折白い雲のようなものが現れる」
ナシラは腹ごしらえを済ませ、果実酒を呷った。こんな時に、こんなところで酒を要求するなど図々しさこの上ない。日に焼けた広い額が輝く。
マコトは、男の少し油っぽい肌艶を見て、普段いいもの食ってんのか、とひとりごちる。こういう奴は、キャバクラで社長さんと呼ばせるが、それは本人の味わいたい幻想だったりする。ということは、こいつも情報屋ってのはあまり信じない方がいいかもしれない。
「だが、土が白いわけではなかった。土の表面だけ、白く積もったような感じだ。足で擦ればすぐ下の土が見えた」
「それはまだわからない。表面の土だけ色が変わったのかも」
「しかし、それが畑の作物や、周りの木々が枯れた原因でしょうか」
サイゼルとリオネルに、騎士マハーシャラも加わる。
マハーシャラは鼻の下に髭を整えた、少し垂れ目気味の男だ。日本でいう貿易商にあたるのだろうか、実家は大きな商家だと言っていた。他の騎士に比べ、顔付きに恐ろしさがない。人好きのする愛嬌さえ感じる。人を見下したり、圧迫するような雰囲気はない。
威圧的な態度も取らない上に、人との会話、初対面の人との雑談も澱みなく自然にできる人柄だった。そんなマハーシャラは調査や諜報能力を見込まれて、トマに付き従い、町でポルドスの事を調べていたわけだ。
マハーシャラから見ても、ナシラはやっぱり怪しく見えるのだろうか。それとも不敬というか不遜な態度や発言が許せないのか、いつもと少し態度が違う。
「村やその周囲の木が枯れていたのも、他の白い病の話と同じだ。おれが聞いた限り、どこもそうらしい」
「枯れたというより、葉が全てなかったような気がします」
トマがナシラに付け加えた。
「葉っぱがないって? 枯れるんなら葉が落ちるだろ?」
おれは思ったことを聞くと、リオネルたちは互いの目を合わせた。
「……お前でもそう思うか」
「お前でもって何ですかサイゼル」
「ともかく異様だぜ。村人たちが気味悪がって近づかないのも納得だ」
「他には何か、噂で聞いてないか。ナシラ」
「村人は夜のうちに逃げ出して、一晩であの有様とか。変な物音とか、何か飛んでいたとか。まあ色々だ。だが、ほとんどは話したがらない。白くなった村から逃げてきた連中で、働いている奴は、そんなことを知られないよう出自を隠しているんだろう。難民となって他の村や町で暮らしている連中は、会いに行ったがほとんど黙ったままだ」
リオネルやサイゼルは口をつぐんでしまう。この国の白くなった村。でも、なぜ白くなってしまったのかがわからない。
「怖いのかな……」
ピッケがトマの後ろでぼそりと呟いた。
「怖い、か」
「そうだろうな。奴ら、何かに怯えてる。得体の知れない魔物に襲われたんじゃないのか? そうすればあの白骨死体にも説明がつく」
「白骨死体?」
胸がむかつくような、気持ち悪い言葉だ。
ポルドスの遺体、前に立ち寄った村で、亡くなった人を見た。正確に言えば、誰かに騙されて魔力を抜き取られ、亡くなってしまったのだ。
やはり白い病、転移者に関わると、人が亡くなるのだろうか。
そう思うと複雑だ。
それと同時に、ひんやりと背中を、足を、這い上がってくる恐怖がおれを捕らえる。
「あの白骨死体はもっとおかしい。獣に食われたなら、骨も砕かれるはずだ」
「でもどの村にも、死体が一つあったっていうぜ」
ナシラは持論があるようだ。魔物が襲った、だから村人は怖がっている。
恐怖体験を人に話したくないのはわかる。
「リオネル、骨はそのままだったのか」
「ああ、綺麗なものだ。家で寝ている、そのままの形で」
「白い病と関係あるのでしょうか。何かの拍子でとか、別の要因かも」
ジャンが周りの面々を窺うように尋ねる。気持ちのいい話ではない。
それに、生き死にに関わる話なら、騎士として警戒が最も強まるだろう。
「そうかもしれない。だが、服までなかった」
「遺体にしてはおかしいな……衣服を脱がしたか……」
皆の顔がさっきよりずっと重い。せっかく美味しい夕飯を食べたのに、腹の中で何かつかえている感覚だ。
「今はサイゼル殿下の仕掛けの成果を待つしかないですね。あとは虫対策をして」
トマがそう言って、その場はお開きになった。
後は、いつでも出られるように準備しておくだけだ。
頭の奥底にこびりついた砂が、ざりざりと音を立てて頭痛を引き起こす。
その砂は食道も駆け下りて胃の中を荒らしていく。
こんな不快感は、感じたことがない。
知らないもの、誰にもわからないもの、村人が口を閉ざした恐怖。
おれは日本からこちら側へ、異世界へ来て、本当に、とんでもないことになっているんだと、やっとわかった気がした。




