第三十九話 飢えと渇きと
第三十九話 飢えと渇きと
目をつぶったマコトの身体から、急に力が抜けていく。
降参したと思ったのか、サイゼルは手を離した。
「くだらん」
立ち上がってそばにあった水を一気に飲み干すと、マコトを見ないで続けた。
「そうなれば神霊院や森の民がお前を庇護する、ただそれだけだ」
マコトにとっては意味が違った。しかしもう言い返す気力がない。
サイゼルに、図星を言い当てられたからではない。マコトは別のものに負けた。
この世界で、無力感を抱えて生きることは耐えられない。そんなことは想像したくなかった。
それがきっと、逃げていた理由だ。
「…マコト、なぜ『白い子』と呼ぶかわかるか」
「……質問の意味がわからない」
「もうおれは、“子”と呼べる歳ではない」
サイゼルは衣服の乱れを治した。マコトに引っ張られて縒れてしまった所を見つけると、何故だか無性に、その部分を撫でたくなった。
先ほどまで見守っていた侍従や騎士は、サイゼルの言葉に耳を傾けている。いや、サイゼルの声が全員に届いたのか。
「サイヤ、孤児院に白い子はいたか」
「…いいえ」
「なぜ」
「……誰も、連れてきません」
マコトも、質問の答えが気になった。サイゼルの背中を知っているからだ。重そうな身体で、ゆっくりと起き上がる。彼の乱れた黒髪の一房が、顔にハラリとかかった。
「そうだろうな。どこで見聞きしてもそうだ。『白い子』は人間じゃない」
もう一杯、サイゼルはグラスを呷った。
騎士や侍従は固唾をのんで見守っていた。目の前にいるのは、生まれながら才覚に恵まれた、自由気ままな王子様ではない。
ただの男に、見る者の神経が反応している。
サイゼルの声は、穏やかな湖面の上を歩くが如く、波一つ立てない。
彼はもしかしたらいつも、こんな風に静かに怒っていたのではないか。
その場に居る者に、そう思わせる何かがあった。
サイゼルの背中に、肩に、その命に、重たくて濃い影が差す。
「おれは王族で、その上父の庇護によって生きながらえた。奇跡のようなものだ。王家に白い子など、もみ消されて……普通はそうだ。おれの母親の方が、ごく一般的な感性をしている。白い子は生まれたら殺される。白い子を生んだ一家を家ごと燃やすこともある。忌み子がいたら、白い病が出現するから、災厄が降り注ぐから、誰もが遠ざける。近くにいてほしくない。生まれたという事実を消したい。わかるかマコト」
マコトの瞳は昏かった。
自分の哀しみ以上に、人の哀しみまで背負えるとは思えなかった。それでもわかってしまう。サイゼルが言わんとしていることがわかってしまった。
「大人になることはまずない。『白い子』は、子どものまま……」
言葉が続かない。彼自身、その事実に何度打ちのめされてきたのだろう。冷酷な諦めと、溶岩のような憤怒が何度も彼の心の中を荒らしまわってきた。
大人になれずに死んでいく。殺されるか、餓死か。人々は白い子をいないものとする。ここにはいない、だからここは病にならない。
親も、子を捨てる。どこかへ置き去りにする。
国に、白い子が生まれたと報告されることは少ない。義務付けられていたとしても、口にしたくないのだ。
誰かがぐすり、と涙を堪えていた。
「おれが調べたところ、『白い子』と『白い病』の発生場所に関連性はない。おれ自身、出身国では未だ白い病は発生していないからな」
彼は、マコトと取っ組み合いになったときに、服か何かに引っかけた腕の傷を舐め、ようやく、その琥珀の目でマコトを捉えた。
「おれは、『白い子』と『白い病』を徹底的に調べ上げ、証明する。その為にいるんだ」
自分以外の白い子を、生かそう。
全てに打ち捨てられたとしても、それが間違っていると、誰かが言わねばならない。
間違っている、とただ叫ぶだけでは、どこに声が届くのか。
だから証明する。そしてその白い病を自らの手で砕く。
今もし、白い子がこの国のどこかで生きているのなら、届けなければ。
「何度も、殺されかけたからな」
生みの親は、白い子を消したがった。だから父親は、外国に逃がしたのだ。
「お前もよく考えろよ」
それが、サイゼルからマコトへの最後の一撃だった。
こうして、何度打ちのめされたとしても慣れることはなかった。人の役に立てないことが悲しいわけではない。やりたいと思うことまで手が届かないのが苦しいのだ。
マコトの黒い瞳は、サイゼルの眼差しを受けとめた。
お前にはわからない、という互いの重荷。世界に受け入れられていない、という互いの不安。
互いの眼差しが交わされるとき、世界は交わるのだろうか。互いの見たいものと見たくないものは、どう違うのか。
マコトの見た地獄と、サイゼルの見た地獄は別のものだ。
漠然と、マコトはサイゼルが羨ましく思えた。
おれとお前の違いはなんだ。
お前だっておれと同じ、ここで守られている、金魚鉢の金魚と同じじゃないか。
ここでしか生きられないじゃないか。
その言葉がマコトの喉元までせり上がってきた。しかし、そんなことはサイゼル本人が一番わかっているのだ。マコトの指先は震えている。いつから震えているのか、それすら気付いていなかった。
やはり、マコトはサイゼルに負けたと思った。向き合うものの大きさも、何もかも違う。比べようがない。
けれど、こんな風に生きられるのか。生きようと思えるのか。
それを見せつけられて、胸の中は搔きむしられ、苛むばかりだ。
サイゼルの姿が揺れる。
マコトの目元は、確かに熱くなった。




