第三十七話 運命の首根っこ
第三十七話 運命の首根っこ
サイゼルはひと通りの事態を見守りながら、トマの作った果実水を飲んだ。
騎士マクナハンという男は白い肌に剃髪、マコトや侍従を除いて最も小柄だった。寡黙な性格で、近衛騎士という花形職にあっても目立つ方ではない。
そのマクナハンが、いつの間にかナシラの後ろに回り込み、丸太のような腕で奴の首を取ろうとしていたのだ。
あのナシラの慌てっぷりは傑作だったな。
ジアンイット南東にある小さな村は、「格闘村」と呼ばれる。
元々魔力量の少ない平民たちは、魔法の鍛錬とは縁遠い。その分、剣術、槍術、格闘術が盛んである。
魔法を使わない、道具も使わない古典的な肉体の機能性、強さと強さのぶつかり合いは娯楽としても大人気だ。そんな各地方で発展した武術、格闘術の中で何が最も強いか。あるいは新しい流派を生み出せないか。そんな風に考えた男たちが一つの村に集った。
それが「格闘村」の興りである。
騎士マクナハンは、その格闘村の出身らしい。
ナシラという胡散臭い男は、交渉に慣れ、胆力はあるが、少し自意識が肥大しているな。不意を突かれたら弱い。こちらを侮っていた証拠だろう。
リオネルも緊張感を空の彼方へおいてきたものだから、気が緩んだのかもしれないが、あいつがこちらの実力を測り損ねていただけだ。滑稽で痛快だ。
まあ、その後リオネルには何か考えがあるのか、ナシラの同行を許してしまったので、騎士たちの怒りを鎮めながら場を無理矢理収めた。
「ナシラ。お前は身分制度や王政を馬鹿にしているかもしれないが、ここは北大陸だ。騎士や武士の歴史はこの国より長いぞ。形だけでも飲み込め。今はお前の利用価値を誰も理解していないし、次は僕だって気付かない時もある」
嘘つけ。リオネルが気付かないわけがない。
だがその脅しは十分だったようだ。リオネルの制止がなければ、騎士はいつだって不敬な男を一人消すくらい造作もない。
白い肌に剃髪、眉毛も剃った彫りの深いマクナハンの顔付きは、その眉骨の下で青い目だけが輝く、見る人によっては不気味なものだ。
彼は顔色を一つ変えず、口元も引き結んだまま、人の首がねじ切れる。
ナシラはマクナハンのその顔を見上げ、顔を青くして押し黙った。
マクナハンは寡黙で、平素口数が少ないが、馬を並べて走らせると少し自分のことや馬のことを話す。
武闘、肉体、素手素足といった原始的な闘いを好み、誰もが誰もの師になり弟子になる格闘村に、彼は生まれた。両親に似ず、子どもの頃から身体が小さかったという。
それでも両親は全く気にすることなく、我が子を慈しんだ。
しかし、格闘村では子どもの頃から毎日稽古と鍛錬、武術を学び、実践でたたき込まれていく。マクナハンは誰にも勝てず、毎日泣いていたという。
そんな子どもに、両親は、お前は宝だと言った。
弱い者の気持ちがわかるじゃないか。
両親は、お前は立派だと讃えた。
負かされるとわかっても、逃げないじゃないか。
父親は、お前の成長が楽しみだと言った。
見かけだけではない、本当の強さを知る人間になるだろうと。
母親は、お前の全てが愛しいと言った。
私たちに、優しさと強さを運んできた天使のようだと。
二人は、心の底から嬉しそうに言うのだそうだ。
―――この子が相手を倒すようになったらどんなに爽快だろう。
―――大きいだけでは誰にも勝てない。さらに大きい奴がいるからな。
―――そして最も大きい奴は、自分の足元すら見えないものだ。
―――もしも自分の道が開ければ、お前は誰にもできなかった偉業を成す。
そういう事を、日々言っていた。
叱ることはなく、どうしたら勝てるか、どういう癖があるか、子どもが自ら考えられるように導いてくれたという。
そうして今、カーク・ハイムやマハーシャラなどの若手の近衛騎士から、特別な敬意と親愛を集めている。この急拵えの部隊をまとめていたのは、実はマクナハンだったのだ。
マクナハンは昨年の、軍務省主催の魔法武術大会、武術の部で準優勝している。武術の部では魔法の使用はできず、まさに騎士としての基礎、古典的なぶつかり合いになるので、観客も騎士も熱狂の渦に包まれる。そんな武術部門での活躍は、騎士にとっても多大な栄誉だ。
優勝はジャンだったが、試合は一回戦ごとに使用する武器がランダムに指定されるので、有利不利な状況が生まれやすい。ジャンは真剣な顔で、私は運が良かっただけ、と言っていた。
では彼は近衛騎士として、ずっとそのような栄光の道を歩んでいたのか。
いいや。やはり身体の小ささから侮られ、また無口なことが拍車をかけて近衛騎士たちから爪弾きにされていた。
彼の長の管轄は、厩番である。
正確には、軍馬厩舎の衛兵だ。そんなもの、近衛騎士の中では閑職に決まっている。
しかし、それでも文句を言わず、粛々と任務を全うした。そのうち段々と馬房の下男たちと打ち解け、仕事を手伝ううちに、軍馬はマクナハンに懐いたのだ。
そしてマクナハンも、馬の体調に気を掛け、細かなことに気付くようになった。
それから彼は、軍馬厩舎になくてはならない人物になる。
今日の馬の様子は、マクナハンに聞けばすぐわかった。馬と乗り手の相性が悪いと、すぐ変わりの馬を連れてきた。そのどれも、彼の見立てに間違いはなかったのだ。
騎士は字の如く、騎乗して闘う。
馬は騎士の誇りに直結する。そんな彼の評判は少しずつ、近衛や軍部に広がっていったという。
そうしてようやく、ずっと邪険にされていて出場できなかった武術大会に出場するに至った。
結果、初出場で準優勝という快挙。そして今やリオネル大公殿下の側近だ。
騎士連中の話題の中心だと、マハーシャラは嬉々として語った。
だから、彼と共に名誉ある任務に就けて嬉しいのです。
派手は橙色の髪をしたカーク・ハイムは屈託なく、笑って言った。
おれは、なんと気概のある男だろうと、マクナハンに告げた。
彼は少し耳を赤らめて、恐縮です、というだけだった。
けれども、彼の姿はまさにおれが生きたかった、そうでありたいと思わせるものだったのだ。
おれがどうしてこの国にいるか。
おれがどうして、ここにいるか。
この男の、この男たちの気概の一部でもあれば、おれに越えられるだろうか。
おれはどうしても『白い子』だ。
この忌まわしい身を超えて、すべての『白い子』に示せるだろうか。
サイゼルは、グラスに写る自分を見た。
歪んだ自画像でも、白いものは白く写る。人の目も、こうして歪むのかもしれない。
ならば、叩き割ってやる。
目を覚ませと、運命などという悪魔に掴み掛かってやるのだ。




