第三十六話 その男、ナシラ
第三十六話 その男、ナシラ
やんややんやと拍手でにこやかな中年、もといおまけの男。
一方のリオネルはお茶を飲み干すと、軽く腕や背中を伸ばして、体の力を抜いていく。最後に大きく欠伸をした。
さっきより、トマたちの目が険しいことをあの男は気付いているのだろうか。今にも背中からバッサリと袈裟懸けに切りつけそうな、そんな危ない目をしてるんだぞ、怖くないのかあの男。それか余程図太いんだな。
「直答を許す、お前は?」
席についたリオネルが、男が喋るのを許した。身分のある社会って少しばかり面倒だな。
「ナシラ、ナシラ・フィッシュウォーターと申します大公殿下」
その後はナシラの独壇場で、つらつら美辞麗句の数々を並びたてた。リオネルがどれだけすごいか、自分の知る限りの言葉を尽くして言い募る。
あれだな、ゴルフ接待のときの中間管理職か、中小企業の社長だな。
よくもあれだけ舌が回るな、とおれは呆れていたが、リオネルは表情を変えない。
「いやもうこれは武勇伝の一つとして是非後世に語り継がれるべく」
「自分で仕組んでおいて武勇伝も何もないだろう」
リオネルはリオネルで、自分の呼吸でナシラという男の演説を叩き切った。
「……は?」
「お前が金で雇ったんだろう? うちの領内の者ではない、どこから来たかと聞いたら南の国だそうだ。大方、ここまで来るのに野盗にあって負けた傭兵か、商隊の護衛だろう。お前も南方の出身だな」
「…いや…そんな、へへ」
男が初めて笑顔を崩した。いや、笑っているが嫌な笑いだ。媚び諂いに計算高さが混ざったような、あまり見ていて気持ちのいい感じではない。
「ああ違ったか、南大陸の出身か」
トマが目を剥く。騎士たちはかちゃり、と自分の武器に手を掛けた。
肝心の男は、息をするのを忘れたかのように固まった。だがそれも束の間、嬉しそうに笑った。なんだこいつ気味が悪いな。
「……そこまでわかりますか」
「斑目だ。紫の髪の色も南には多いと聞く」
「いやあ嬉しいですねえ」
「僕は別に嬉しくない」
「おい待て、斑目だと? 南大陸の古い家系に出る特徴じゃなかったか?」
「そこではありませんサイゼル殿下。南大陸の人間ですよ」
トマがひりひりとしたプレッシャーをかける中で、おれのすぐ後ろに控えていたジャンが耳打ちしてきた。
「マコトさま、ご用心ください。南大陸の人間は、我々のいる北大陸には入ってこられないはずです」
「……つまり、それだけ怪しいってこと?」
「怪しいだけではなく、その禁を破ってこんな所にいるのが到底信じられません」
ジャンが言いたいのはつまり、このナシラが犯罪者モドキということか。しかも密入国者と付け足さないといけない。
リオネルは、と振り返るとバナナを食べている。本当、あいつってわざとやってるのかと疑いたくなるが、あれは本当に腹が減ってるだけなんだよな。
ふてぶてしさ世界王者決定戦があったら優勝しているはずだ。準優勝はサイゼルで。
「大公殿下も!こんな時にバナナなんか食べて」
「運動したらお腹すくだろ」
「そういう問題ではありません」
「だってナシラに敵意はないから」
「そういうことでもありません」
「トマだって後ろに賊がいるってわかっててここまで連れてきたんだろ」
もっさもっさとバナナを頬張り、お茶がぐいぐい胃の中へ消えていく。
トマはリオネルには言い返さず、大きなため息をついた。
「いやあ、図ったつもりが図られたか」
そう言って、紫髪の南大陸人、ナシラは豪快に笑った。こんな状況で笑えるんだ、大馬鹿か肝っ玉、恐らく後者だろうな。結構したたかなおっさんだ。
「どうせ、王族のお手並み拝見って思ってたんだろ」
「狙いは大公、大公の周りの実力を測ることか?」
サイゼルが腕組みをしながら、訝し気に聞いた。
「まあそんなところだ。お前ら北大陸の、身分制度にしがみついている奴らはどの程度かと思ってな。ちょうどいい機会だと思って」
ちゃきり。今度こそ騎士たちが真顔で武器を抜いた。カーク・ハイムは鼻息を荒くしている。おれは、トマの周りの温度が下がっているように見えるし、後ろのジャンが黙っているのも怖い。
「いきり立つなよ、頭も行動も古い連中だ」
「黙れ。不法入国に不敬罪を重ね王族を襲撃。あまつさえ侮辱するなど、裁判はすぐ終わるな」
「やらないでしょ、めんどくさい」
「うん、めんどくさい」
「大公!」
トマの怒りの矛先がリオネルに向いて、殺気で人が刺せそうだった。
「でも、ナシラ。お前の後ろにいるマクナハンていう騎士はね。いまお前の首をねじ切ろうとしてるんだよ」
気付いてた? と首を傾げながら、ナシラに微笑みかけた。




