第三話 勉強会
第三話 勉強会
木々は青々、おれはブルー。なぜか。
昨日は庇ってくれた逆三角形のお兄さんがやさしくないからです“
「さてこれまでの歴史はお話しましたが……わかったか?」
わかったんだろうなあ? という脅しの音声が聞こえてくる。圧力を感じる。
「昨日はそんなんじゃなかった……」
「何か言ったか?」
「……昨日と違うぞ」
今日は離宮の中庭に出て、運動や体力に異常がないか確認した。その後そのまま四阿で勉強会となったわけだ。おれは記憶がない。そして異世界といわれてもピンとこないから、とにかく少しでもこの世界のことを知らないといけない。
「そりゃあそうだろ。はい復習。あなたは公式に何人目の転移者ですか?」
「えー、三人目」
「五人目だ! 三人っていうのはこの国では三人目っていう話!」
おれ以外の被害者は四人、わかっているだけでもいるらしい。でも自分の事すらわからないやつなんていなかったはずだ。
「トマ、おれは勉強が苦手だったらしい」
「見りゃわかる」
ズバッと氷のような目で射抜かれる。この“まろ”みたいな眉毛しやがって。
「お前が阿呆だと殿下が恥をかく」
「すみません……」
「自分を育ててくれた人に悪いと思えよ。いるだろう、恩義を感じる大人くらい」
「恩義……」
ぼんやりと、畑の景色を思い出すが、肝心の家族の顔や声がわからない。忘れていた方がいいんだろうか。おれは帰れないって言われたからなあ。家族じゃなくても、きっと世話になった人もいるのだろう。その人のことを忘れるのは、やはり寂しい。今向こう側へ帰れたとして、思い出せなければ意味がない気がする。
「やっぱりノストラダムスだ」
「なんですそれ」
「おれの世界で、今年はノストラダムスの大預言にあたるって大騒ぎだったんだ。預言じゃ今年、世界は滅ぶとか大きな異変があるとか、色々」
おれの世界が変わる、という預言じゃなかったと思う。ああ、と大きなため息が出た。
「それにしても、空気がおいしいな」
「転移者様の記録にも、そんなことが書いてあったな」
「転移者の記録?」
「どのようにこの世界に馴染み、この国を救ったか、たくさん記録がある。民間では伝承になっているが、多くを王家や神祇官が管理している」
へえ、まあそうだよな。外国でさえ文化が違うんだから、世界が違えば太陽が二つだもんな。あれ、ちょっと待てよ。
「なあ、その記録のなかに、日記なんてないかな?」
閃いたぞ!おれは勉強は苦手だが閃きタイプだったか!
「多分ある」
「あるんだ!」
「そうか、読ませるのが手っ取り早かったか……」
片眼鏡を拭くトマ。どうやらこれが癖らしい。大きな手のひらだ。
「転移者の記録は国家機密なので、時間はかかります。それから、確かあったはず、としか言えません」
「確か?」
「詳しくは言えないが、重要な機密は読めるものが決まっている。閲覧許可、といえばわかるか?私たちは侍従や神祇官がつけた日記や記録が読める。そして当時の王族がつけた記録は王族のみが読むことができ、それから転移者さま本人の日記があったはずだ」
「つまり……トマは読んでないから、あったはず、ってことか。転移者の記録は転移者しか読めないんだな」
「そういうことになる」
良かった。わずかでも突破口になりそうだ。なんでもやってみなくちゃな。
――なんでも、まずはやってみろ。
「あれ?」
「どうかしましたか?」
「いや……」
今、何か懐かしいと思った。なんだったんだろう。ざわざわと木立が揺れる。葉のかすれる音、風に靡く草花。少し、この前の香りを感じた。起き抜けに良い匂いがしたんだ。
「それにしても今日は本当に木々が元気だ。やはりあなたは転移者で間違いない」
木々が元気?よくわからないが、トマは眩しそうに草木を見つめた。心なしか嬉しそうだ。
「では日記閲覧の申請をしておきます。さて次は魔法についてですが」
「…魔法、あるのか」
「そちらにはなかったのか」
身を乗り出して瞳を覗き込む。ふざけているが本気だ。はあ、と互いに息をついた。新種の生物が未知なる遭遇をした、そんな感じだ。
昨日も魔法だかなんだか、話してたからなあ、聞き間違いじゃなかったんだよなあ。でもおれにとってはもう許容範囲を超えていた。おれがSFとか文学好きなら良かったんだけど、魔法と聞いて、思い浮かぶのは姉貴の好きだった魔法が使える女の子のアニメで……
「おれ、姉さんがいたんだ…」
「思い出したのか?」
「ああ、姉さんが、姉貴がいた、気がする」
「なるほど。記憶封印の術式は完璧ではないのかもしれません。サイゼル殿下には記憶に関する魔法や術式そのものを調べていただいた方が良さそうだな……」
頭がぐらぐらしてきた。思い出そうとすると目が回るような感じがする。これ以上はだめだ、と本能が受け取っている。またあの声が聴きたいのに、矛盾している。これも魔法のせいなのか。魔法で連れてこられて、こんな風に自分のこともわからない。散々だな、と怪訝そうなトマに見られないよう、俯きながら自嘲した。