第三十三話 天の絹
第三十三話 天の絹
細くなった道の脇に植えられている木々は、背の低い針葉樹だ。
まだ村の影も見えないのに、行く先を遮るかのように、石やレンガが満ちの真ん中に置かれロープが張られていた。即席の勧告なのだろう。
おれたちはそこより少し手前に馬車を停めた。
つい最近、白い病になったという村。ここから様子は窺えないが、どことなく暗い雰囲気というか、空気が沈んでいる。
リオネルとはほとんど口をきいていなかったが、この時ばかりは外へ出て、少し言葉を交わした。表情は、よくわからない。いつも通りに見えた。
ずっと馬車の中にいて、身体を動かせなかったので、日課の棒振りを始めた。
全身運動になって、やってみると結構すっきりするものだ。
しばらく身体を動かしていると、サイゼルが騎士の姿で現れた。
「珍しいなサイゼル」
そう声をかけると、こっちへ来いと手招きされる。
「良いものを見せてやる」
不遜だがどこか陽気に、サイゼルは楽しそうだ。
彼は自分が乗っていた馬車に向かって、両手を指揮者のように動かし始める。
何をしているのか、口元はもごもごと動かしているが言葉は聞き取れない。
すると急に、馬車が開き始めたのだ。
馬車が開くって、聞いたことはない。ドアが開くという意味でもない。
壁やドア、二階部分を覆っていた幌など、次々と分解されていくのだ。手動ではなく、サイゼルがそうしているのだろうか。
彼の手が動くたびに、空中で部品がばらばらに広がっていく。
馬が繋がれてなくて良かった。大騒ぎになりそうだからな。
馬車を懸命に引いてくれた大きな馬は、森の中の小川へ水を飲みに行っている。ジャンとマクナハンが馬を休ませに連れて行った。
おれが、手品のようにくるくる回る部品を見ている中で、テキパキとサイヤが動いている。時折サイゼルの魔法を見て、邪魔にならないよう、ぶつからないように一旦停止しながら、少しするとまた動く。その繰り返しだ。
一方ピッケは口をあんぐり開けたまま、魔法を見つめている。親鳥を待つ雛鳥のようだと思ったのは内緒だ。
サイゼルの魔法がそれだけすごいということなんだろう。
でも、何がどうして、どうなるのかが全くわからない。
「サイゼル……これはどういう」
「まあもう少し待て」
そういうと、あれよあれよと、綺麗な布が広がった。
どこにしまってあったんだ。
空には幌だった布が屋根のように大きく広がり、馬車のパーツは柱や梁として、馬車があった周囲に並んでいく。
何かが組みあがっていくのか。人の手を使わず、機械も使わず、魔法の力で。
飛び出した布は魔法の絨毯といってもおかしくない。空を飛び交い、または空中に留まり浮遊しているのだから。
その絨毯が辺り一面に、花びらのようにゆっくり落ちていく。
お次は、光沢のある布が空へ勢いよく飛び出して風にたなびく。布で虹ができている。太陽の光で布が輝く度に、わくわくがとまらなかった。
おれはどんな間抜けな顔をしていたのかわからない。でもそんなこと、今はどうだっていい。
ひらひらと広がった煌びやかな薄布は、サイゼルの手に合わせて踊った。青い空に向かって揺れながら、自由に羽ばたいている。
見ていたら、ふいに鯉のぼりを思い出した。
巨大な鯉のぼりが、たくさん空を泳いでいる風景だ。端午の節句、子どもの日、向こうにいた頃の季節の行事が浮かぶが、ふしぎと寂しいとは思わなかった。
そうしてようやく、大きなテントの外観とわかるまでになった。
「ご、豪快…」
サイゼルは魔法でテントを組み立ててしまったのだ。
圧巻だった。
動き回る家具や布、クッションに、物が行き交う夢のような魔法に見惚れていた。前に炎や水柱の魔法バトルを見たが、それと変わらない迫力があった。
こんなことで驚いていてはダメなんだろうか。他の人もこんな風に魔法が使えるとしたら、そりゃおれの記憶ぐらい盗られてもおかしくない。
恐る恐るサイゼルを振り返ると、彼は最後の何かを言い終えたようで、大きく深呼吸を繰り返し、満ち足りた顔だ。
リオネルも、いつの間にかおれたちの後ろにいた。
「……これ、なに?」
「この馬車はおれが開発した特注品でな。どれ、あとは中身だ。サイヤ、手伝え」
布の入り口をくぐるようにして、テントの中へ入っていく。サイヤも色々抱えて飛び込んだ。
リオネルも初めて見るのか。なら、やはり驚いていいんだよな。
おれも中が見たい。覗かせてもらおうか、と思って近づくと、ピッケとカーク・ハイムも同じことを考えていたらしい。おっかなびっくり。でも目はきらきら輝いていて、好奇心が言葉はなくとも伝わってくる。なら、一緒に入るか。
黙ったまま三人、うんと頷く。
ぺらり、と幕をめくって入ると、そこは絨毯が敷き詰められている。おれはニホンジンなので、靴を脱ぎたくなった。
ひと家族ほどが暮らせそうな広さの簡易の家。いやでも元の馬車だってトレーラーハウスみたいでほぼ家だったんだけどな。馬車の土台部分があった場所は一段高くなっているベッドの辺りだろう。入口から中央部分を除き、そこかしこ布が間仕切りのように使われている。
サイヤはせっせと動き、持てるだけのクッションを積み上げて中央に運んでは、座る場所を整えている。円座になれるよう、中心には輪ができあがりつつあった。
見事な色柄の絨毯や丁寧な刺繍の入った壁掛け、飾りつけに吊るされた絹の反物や高い天幕などを見ると絵本の世界だった。
いやそれ以上だ。精巧な、とても繊細な美しさだ。
他の迫力ある世界観は現代日本にもたくさんあった。テレビも知らない人からしたら魔法だ。生活の家電だってそうだ。その中でも華やかなのは遊園地などのテーマパークだろう。しかし遊園地の乗り物や、デザインされた造形よりもおれはこっちが好きだ。
見た事のない、手品でもない、本物の魔法だ。
「馬車は良い出来だが、長く居ると窮屈でいかん」
そういって、サイゼルはあちこち触って、魔法陣のようなものをピカッと光らせている。
後ろにいたカーク・ハイムが、小さく息をもらしたのが聞こえた。
「…サイゼル殿下は本当に規格外っすねえ…」
彼の独り言を聞く限り、こういうのは普通じゃないらしい。だよな。
わがまま王子が自分の居心地のためにここまでしちゃうってことだもんな。
「やあ、うん。いいね。いいよサイゼル」
リオネルも遅れて、暖簾を潜るかたちで上機嫌で入ってくる。心なしか瞳も輝いていて、少しおれは安心した。なんだか彼らしさが戻ってきた気がする。
「これ、確かどこかの遊牧民族の形式だろう? 遠くの行商も、こんな風にしていると本の挿絵で見た気がするよ」
「着想はそこだ。おれは技術者だからな、やってみた」
白い歯を見せて、リオネルに笑うサイゼル。互いにいたずらっ子のような笑みを浮かべて、まるで兄弟のようだ。
「僕はこういうの好きだな」
「ちなみに土足厳禁だ」
足を踏み入れようとしたリオネルに、サイゼルが言った。あれ、やっぱり日本形式でいいのか。




