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第三十二話 放課後のアラベスク

第三十二話 放課後のアラベスク






 私たちは村を出て、当初の予定を変更して街道を南に下っています。

本来ここから北へ、大公邸へと向かうはずでしたが、先日の件で変わったのです。


 村人の一人が、転移式を騙った何者かに、魔法術式の実験台にされ、殺されました。

それは奇怪で、マコト様を脅かした学者くずれか、あるいは敵に繋がっていることは明白だとサイゼル殿下たちはお考えのようです。


 その村人が病気であれば、通常の腐敗の速度かつ病気の症状が出ていたはず。外傷は一切なく、骨折や体内の出血もない。そうなれば“魔力の枯渇”というのが一番妥当な線でしょう。


“魔力の枯渇”はいうなれば、一度に全ての血液が抜けてしまうようなものです。


 魔力で生まれ、魔力で育った我々が一番気に掛けるのは、この枯渇状態にならないこと。普通に暮らしている市民はそうそう陥ることはありません。

しかし騎士や魔法に優れた者が前線で戦う場合、そして魔法の訓練を行う場合など、魔力を使う際には自分の上限を知り、その都度減った魔力を回復させなければ死を招きかねません。


ですから一介の騎士である私が見ても、魔法や魔法術式で殺されたことはわかりました。そして、その術式の痕跡が、記憶封印の魔法術式と相似しているなら尚更です。これが罠とも思えません。

罠だとしても、「誰がやったか」にこれほど近づいたことはない、そう思っても無理はないのです。

 特に、数年前に伴侶と子どもを失った、リオネル大公殿下からすれば。


直後は口を閉ざしていた大公殿下は、今は前と同じように返事をしてくださいます。言葉数は多くありませんが、馬車の道行に問題はありません。


 トマ様とマハーシャラがエッグヘンという町へ向かい、我々は分かれて、大公領で初めて白い病が確認されたという村に向かっています。

 護衛の騎士が減り、戦力が分散された状態は危険なので、気が抜けません。

殿(しんがり)は防御魔法に優れるカーク・ハイムに任せています。そしてその補助にヨギ神祇官。真ん中にサイゼル殿下。先頭は当初と変わらず騎士マクナハンです。


 何か異変があれば、マコト様と侍従の二人以外は戦わねばなりません。そうならずに、トマ様たちと合流できれば幸いです。


 そのマコト様も口数少なく、けれどずっと楽器を触っています。

 そうして私宛に『紙鳥』が届きました。





  ※





 マコトは弦楽器を触っている。

馬車の道中、時折二階のテラスで弾くこともあったが、リオネルがいると何故か遠慮した。


 昨日から触っているのは琵琶に近い楽器だ。弦楽器でも撥を使って上手く弾くと、びぃいんと長い音が出て、それが心地よかった。

胡弓を思わせる楽器はさらに難解だった。持つには大きく、何度か試してみて、チェロのように抱えることにした。

 音階はさっぱりわからない。こっちに来て、一番最初に演奏した弦楽器が最もギターに近くて馴染みがあったのだろう。今はこの大きすぎる胡弓の、音がどうやったら綺麗に出るか試行錯誤している。曲にならなくても、雄弁に、低く長く鳴ると、何度も繰り返してみるのだ。

たったこれだけのことが、マコトに安堵感をもたらす。

 音の響きは、ざわめく波を、ゆっくりと小さくしてくれるのだ。



―――まあ、今日も来たのね。


 最近の夢は、とめどなくマコトに過去を見せている。

サイゼルたちが用意した魔法陣の効果があるらしい。


マコトに楽器を教えてくれたのは、小学校のくろちゃん先生だ。白髪を結ったおばあちゃん先生の顔を思い出した。

 確か、姉さんがくろちゃん先生と会わせてくれた。

譜面の読み方やリズム、ピアノを少し教えてくれた。家ではできなかったことができるので、マコトは音楽室に通い詰めた。くろちゃん先生が弾いたピアノの曲を、夜寝る時も朝起きた時も頭の中で響かせて覚えたものだ。



 楽器は、マコトにとって魔法だったのだろう。


 どんな音が出るのかわくわくする。出来なくても、出来るまで触っているのが楽しい。飽きたら太鼓を叩く。何をしても楽しかった。

 一曲、なにかしら形になると嬉しい。音楽は一つ一つ、マコトに違った風景を見せる。



―――音楽が好きっていいわねえ、マコトくん。先生も音楽が好き。


 くろちゃん先生は、海外で演奏活動を長くしていて、その後夫婦で日本に移り住み、そして夫を亡くしたという。


 ある日、どこか哀しいけど、優しい顔でくろちゃん先生はピアノを弾いた。

あの横顔と、ピアノの音。どこか別の世界にいるようで、幼いマコトは時間を忘れた。


―――マコトくん、聴いてくれてありがとうね。


 穏かな月の光が見えた。

小学生の放課後だ、まだ夜じゃない。でも、くろちゃん先生のイメージ、曲が連れて行ってくれた、ここではない別の世界。

 ドビュッシーのアラベスク第一番だった。


 彼が、いつか自分の楽器がほしいと思うようになるまで、そう時間はかからなかった。






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