第三十話 青火
第三十話 青火
村長宅の裏にある薄暗い倉庫でしゃがみ込み、項垂れて声をかけても反応のない大公リオネル。
トマがいかがしたものか、と考えあぐねているその時だった。
サイゼルが腕を組み、二人を睨むように言う。
「トマ、お前たちはいつ動くんだ」
「……何を……」
何のことを言っているか。
トマは一瞬わからず、灰色の瞳を大きく開いた。
サイゼルの追求は続いた。
「前から不思議だった。お前たちの関係性がいま一つ見えてこない……風の噂で聞いたが、北方にはスーレン一族の伝承があるようだな」
すっとトマの目が細められる。
猫の目は、日向に出ると途端に瞳孔が細くなり全く違う顔見せる。
それを思わせるかのように、彼の表情は一変し、今まで見せた事のない、冷たい彫刻のようだった。
今までの、王族の家臣としての顔ではない。
問題児の主君に手を焼いて、せっつき回す親しい従僕の顔でもない。
氷でできた鋭い刃か、無慈悲な雪山の吹雪。
彼の眦は吊り上がり、絶対零度といわんばかりに小さく細く息を吐く。
ある国の民話では、スーレン一族のことがまことしやかに語り継がれている。
昔々、転移者様を助けた流民は、優れた身体能力を持ち、共に旅をした。だがあまりに秀でていたためか、転移者亡き後、国を追われ再び流転し、定住の地を探す。そんな物語だ。
それは子どもに聞かせるような民話にすぎない。だが、ここにいるトマ・スーレンは一体どんな男だというのか。彼の二つ目の顔、いや本来の顔が覗いた。
※
学者というものは知識欲旺盛で厄介だ。その上、権威があり地位があると物怖じもなく、一歩も引かない自尊心も持ち合わせている。
この異国の王子は殊更にそうだ。
どうやら、この博識の天才魔法学者は知っていたらしい。
まっすぐ、琥珀色の瞳でこちらを射抜いてくる様は、さすが王族といったところか。
「スーレン一族というのは今や大陸に広く散らばり、結束が強く、かつ自らの主人を求める。普段は大人しいが、動くときは影を縫って走る狼の如く強靭だというな。ある者は闇の集団だと言った」
トマの薄い唇がわずかに吊り上がる。
「闇の集団とはまたご挨拶ですね」
「おれも半信半疑だった」
サイゼル殿下はどうやら、裏の世界に通じる者たちから聞いたらしい。
さっきのはカマを掛けられた、ということか。この男にしては慎重だ。だがその方がいい。薄氷の上を歩くときは、そうして用心深くするべきだ。
「……嗅ぎ煙草入れの紋章が、睡蓮の花を象っていた。ならおれの聞いた話は大体当たったのではないか」
「家紋までご存知とは、恐れ入りますサイゼル殿下」
若造と侮ってはいけないな、と自分の見解を改める。
その態度が気に入らないのか、さらにサイゼル殿下は続けた。
「六年前の事件、お前らが本気になって動いたかどうかは知らないが、おれがもし、おれがもし当時からお前たちのことを知っていれば」
「あの時はあの時で事情が違います」
トマは鋭利な刃物で切り裂くように答えた。
六年前のことを部外者に言われるのは心外だった。
知っていたらなんだというのか。私の主はリオネル殿下であって、この小僧ではない。
トマは普段、自らの地位、格、それに見合う礼節を重んじている。
だが今、彼の声色、目つき、トマから発せられる全てはサイゼルを認めていなかった。異国の王子を刺すかのごとく睥睨し、腸に感情を包み込んでいる。
部外者に言われる筋合いはない。
そういわんばかりの態度に、ますますサイゼルは声を大きくする。
「では今この時はどうだ。この殺された男が一体誰に雇われたか、足跡が全くないとは思えない。村人に頼んで、この男がどういう奴らとつるんでいたのかわかれば」
「トマ殿。私もサイゼル殿下に賛同します。」
神祇官や神霊院を悪し様に語られ、でたらめばかりでヨギ神祇官も腹立たしいのだろう。あまつさえ転移に人命をかけるなど有り得ない。そうして何も知らない民草を騙し打ちした、卑怯極まりない所業。森の民の威信すら損ない兼ねない。
それを王侯貴族や神霊院が平気な顔でやっていると吹聴するかのようなあの文書。大公殿下の治める大公領で、民草が大公を不信に思えばどうなるか。
白い病の伝染と相まって、どう伝わるか。
敵は計算づくでやっているに違いなかった。
彼と自分は似ている所がある、とトマは思う。
しかし、自らの恃むところは、彼のような信仰心ではなく忠誠心だ。
「リオネル殿下や王室に向けた叛意、無論私も一大事だと思いますが」
「一大事どころではない! 大きなきっかけだ。危機感すら消え失せたかトマ」
挑発的に、サイゼル殿下の琥珀色の瞳が猫のように大きく吊り上がる。
彼が言わんとしていることは私も理解している。
だが私、私たちには掟がある。
スーレン一族、それはおいそれと口にしていいものではない。我々が我々でいるために、堅い自制と自律、自戒をもっている。
それが一族の誇り、執念を超えた、受け継がれる炎の血脈だ。
「意図的にリオネル大公の周辺を狙ったのは今度で二度目だ。あの老人にすらわかったことがお前にわからないはずがない」
「大公を陥れようとしているのは明白です」
ヨギが力強く言う。
元々野性的な雰囲気のある男だ。意志の強そうな形の良い眉を顰め、威厳すら感じる。
私はそれでも、一族の人間として曲げられない。
私が仕えるのは一人。この世でただ一人のお方。
主を求め、彷徨い歩いた先祖のために。安住の地を求めて、誰かを信じ、裏切られ、また信じようとした一族のために。
「…いかがなさいますか、リオネル殿下!」
振り返って大声で呼ぶ。我が主君、我が一生を捧げる君。
私に命じられるのはこの方一人だ。
外国の王子風情に何も語らせたくない。これ以上我々の“盟約”に、歴史に立ち入らせてなるものか。
だから、はるか遠い日を思い出すかのように礼をとる。
ゆっくりと、沸騰した血液が全身を走っていくのを感じる。
「我が君、リオネル・ランスター公。この血に流れる誓い、一族の縁。その身その生涯を賭けて我らはあなた方に仕えます。ご命令を」
ぼんやりと、大河の流れよりも遅く、大公殿下は首を上げた。
その顔つきは憔悴、という言葉が合致する。しかし、この状況では愚図愚図してもいられない。
「大公殿下、ご命令を」
もう一度、そば近くで乞う。
主君からのたった一言がほしい。それを強要することは出来ないが、ただ一言、言ってくれさえすれば。そうすれば。
声がかかるまで、それまで、そのままだった。
静かな時間を、周りはただ見守る。それしかできない。
「……トマ・スーレンに命ずる。我が良き民、我が良き友、ポホス村長の子息を殺した者を捕らえよ。その身、その血族が枯れるまで。この世の果てまで追い詰めて、我が前に連れてこい」
小さなかすれ声が朗々と歌うようだった。蛇の威嚇音のごとく、絞り出されたそれは獲物を探す執念が宿ったまさしく“命令”だ。
腹の底に、熱いものが宿った。いや、移ったと言おうか。
主君の憔悴は、六年もの間に抱え続けた憎悪のせいだ。
我が君が復讐の炎を燃やし、それでいて国のためを想い押し殺して蓋をした理性。
その狭間で、どれほど苦しまれたことか。
いっそ理性などなくし、思うが儘に、復讐のためだけに自由に生きることもできた。
けれど、彼はあと一歩の所で踏みとどまり続けた。
国のため、国王の座につく兄のため。自由奔放に生きてきた王族が、その生き方を変えた。
苦悩の果てに、今の道を選んだ。その主君の姿に震えた。
高潔だと思った。
卑しく、下劣な悪党と、同じところまで堕ちることをよしとしない。我が主君は、一生を捧げるに相応しい方だと確信した。
ただ、もう一人の私が言う。
誰が、私の主をここまで苦しめたのか。誰が、私の主にこの道を選ばせたのか。
六年前のあの日、リオネル殿下の大切な方が殺されてから、主君がそうしたように、トマ自身も自分の中の扉の内側に感情を押しこめた。
主君がこの力を望まぬのなら、私は主君より冷静でなくてはならなかった。
それが今、あの時扉の奥に押し込め、覆い隠した激情が濁流のように腹から喉へ昇ってくる。
我が主君の伴侶、我が主君の幼子を弑したのは誰か!
惨殺だった。
惨たらしく、刃で引き裂かれた体と流れた夥しい血の量は常軌を逸していた。
いたぶられたのだ。すぐには死なせてもらえなかったのだ。
犯人は、愉悦に浸っていた。死にゆく者を見つめることが享楽、といわんばかりの刺し傷が残っていた。
殺すことを愉しんでいた奴がいる。
それを見つけたら主君に差し出さねばならぬ。我が手でその賊徒を引き裂くことは叶わない。けれど、けれど頭の中では何度もやった。夢の中で繰り返し、血しぶきを浴びた。
それでも、主君の哀しみと怒りには到底及ばなかった。
私はいま、六年越しに許しを得たのだ。
トマの瞳は澄んでいた。
相変わらず、氷雪の面で、厳しさに凍えた人のように表情は変えず。
けれども、瞳の中に、その皮一枚の下に、何かが宿った。
サイゼルとヨギは遠巻きに、トマとリオネルの異様さに慄く。
一方は燃え尽きて抜け殻になった何か、一方は、命と呼ぶには狂暴すぎる何かだった。




