第二十九話 冷たいからだ
第二十九話 冷たいからだ
マコトの様子がおかしい。呼びかけても、顔を青くしたまま返事をしない。
トマに目配りをし、ジャンを呼びに行かせた。
「転移者を守るため、儀式の詳細は伏せる。この慣例が逆に利用されました。そして何らかの理由で命を落としたポルドスという男は、まさか大公領の村人。リオネル殿下のお膝元とは出来すぎているように思います。大公殿下、どう思われます?」
ヨギの言葉に耳を傾けながら、青褪めたマコトを目で追っていた。
「大公?」
「……ああ、すまない。僕も同じ意見だな、出来すぎている。きっと、僕の所領だからこそ不信の種を蒔きたかったのだろう……」
「ではやはり…」
ヨギは、敵の存在を感じている。
僕もそうだ。この手紙を見た瞬間からわかっていた。この紙は王宮や神霊院で用いられる紙だ。偽装に余念がない。村人たちが、敵意や不信をこちらに抱くように誘導している。
誰かがそう仕組んだに違いなかった。
「公爵さま…」
ポホス村長の瞳は、先ほどとは打って変わって、力が抜けている。
「息子は、ならどうして…こんなこと、公爵さまのような天上の方にお尋ねするようなことではないかもしれません。わしの息子はドラ息子です。それで結構ですじゃ。どこぞの後ろ暗い連中に騙されて命を落とした、それで構いません。ですが」
「村長。わかっている。君や、君たちは僕の領民だ。可能な限り調べたい」
「ああ、ありがとうございます。ありがとうございます」
机に伏すように頭を下げる。他の村人たちも成り行きを見守っていたが、少し緊張がほぐれたようだ。表情から戸惑いが薄れ、哀しみだけが残っている。
「申し訳ないが、遺体はどこにある?」
「……裏の納屋に。まだその……埋める気になりませなんだ…」
「もう一つ、白い王子を村へ入れてもいいかい?」
そう言った瞬間、村人たちの顔に驚きがはしった。
「…すべて、公爵さまの御心に従います」
村長がそういって席を立ち、立礼した。礼を受けるものは、右手で自分の心臓を押さえるのが礼儀だ。
*
マコトは顔が青いままだが、ジャンを呼び寄せ同席させる。一人思い悩むより、共にいて同じものを見た方がいい。
納屋に案内されたサイゼルは、どことなく面持ちが暗かった。
全員揃ったので、トマとヨギに棺の蓋を開けさせる。現れたのは、村長と同じ髪色の男だ。
「魔法の失敗だ」
覗き込んですぐ、サイゼルが言った。
外傷はなく、腐乱も遅い。怪我でも病気でもない。つまり、拷問でも毒でもない不審死。
「なんの魔法かわかるか?」
サイゼルは頷いてから、村長を見た。
「……おれが触れてもいいか?」
村長に、一介の村人にサイゼルが確認した。
大事な息子の遺体を、普通「白い子」に触らせるはずがないと、彼は思ったのだろう。
村長も意図を汲み取ったのか、何度も頷いた。
サイゼルは左手を添えて、遺体の額に右手をかざした。
魔法の術式を唱えて、どのような魔法が使われたかを探ろうというのだ。
そのとき、青白い光の魔法陣が額に浮かんだ。
「…ヨギ、見ろ」
「殿下これは、まさか…」
「わかったのか」
自然と両手を合掌し、祈るように見ていた村長を、サイゼルは見やった。
「マコトがかけられた記憶封印の術式によく似ている。世間一般には禁術、つまりこれは……人体実験の痕跡だ」
眉間の皴を深くして、サイゼルがため息をついた。トマはこういう時、非常に冷静に周囲に目を配っている。そういう役目だからだ。
しかし、人体実験とは。
マコトが転移する前に、本当に記憶を取り出せるか、術式が正しく作用するか試したというわけか。
「……ここまでやる奴らとはな……村長。そこにいる転移者マコトには記憶がない。異世界より転移する儀式の途中で奪われたからだ。そしてお前の息子はその前段階の実験に使われ、失敗して魔力が全て抜けた」
「サイゼル!」
「リオネル大公、領民に黙っていない方がいい。秘密は壁、誰もあなたを助けようと思わなくなる。そしていかなる理由があろうとも、村長は知る権利がある。知りたいと望んでおれをここに入れたはずだ。違うか?」
サイゼルは、腹に力をいれて響くような声で言い放った。
「…転移者さまに害をなそうとする連中がいるんですか?」
「ああ、村長どの。それは本当だ」
ヨギが答える。
村長は目を白黒させて、信じられないといった様子だ。
この国の者は皆、神霊院や転移者への信仰が篤い。二百年前に転移者が来て、国が栄えたのも一つの要因だろう。その転移者を傷つけるなど、発想そのものが有り得ないのだ。
「記憶という神の領域に手を出そうとした不届き者。そやつらは転移者さまを狙い、我が国が白い病に対抗するのを阻んでいる」
「待てヨギ、そこはまだわかっていない。みなまで言う事ではない」
「しかし大公、そうとしか」
「まだ、わかっていない」
強い語調でヨギを咎めると、村長に向き直った。
「村長、改めてお悔やみ申し上げる。こんなことになって……」
「……大公殿下。わしも、お悔やみ申し上げます。六年前のあの惨劇を……」
ぴしり、と空気にヒビが入ったようだ。
「領内の者なら、知らぬ者はおりますまい。わしは、どこかで思うておりましたんじゃ。息子を殺した輩と、もしかしたら、六年前のあのことは関わりがあるのかと」
リオネルの心臓は太い針を呑み込んだようだった。痛みだしたそこから、真っ黒な血が流れ出て皮膚から、毛穴から垂れ流される。リオネルはそう感じた。
蓋をしていたものが、ここに来てこんな風に溢れ出てしまう。だめだと思っても止まらない。
表情は強張り仮面のように動かない。場は静かだ。村長以外の村人はここには入れていない。
手が冷たい気がする。でも心臓だけが強く、痛いほど脈打っている。
「何か、わしらの思いもよらぬ恐ろしいことが進んでおるのやもしれません」
不安げな老人の瞳を、リオネルの水色の瞳が映しとる。
彼は何も答えず、小さく口を開いたまま、その場に座り込んだ。




