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第二十三話 融解点

第二十三話 融解点





 大公、リオネルは少し困っていた。

むず痒いというか、痒い所に手が届かないというか、腹の奥に不快なざわめきすらある気がする。昨夜からこの蝶の羽ばたきのような感覚が消えない。

 さっきもそうだ。マコトの演奏を聴いていて、とても良い気分だった。褒めると切れ長の目尻が少し赤くなって、黒い髪の間から覗かせる象牙色の肌とのコントラストが得も言われぬ美しさだった。怜悧な刃物かと思わせるのに、初春の蕾のようなあどけなさ。音の調べも可愛らしく、コマドリのさえずりのように軽やかで、思わず手に取りたくなった。

 でもそんなことをすれば逃げてしまう、コマドリだから。だから我慢はしたんだけれど、慣れないことをするものではないな。その後はぼたんを掛け違えたように、想像していた反応も得られず、かえって言いづらいことを言っていた。

 そもそも何がどう言いづらかったのだろう。


 リオネルはティーカップを口元に近づけながら、中身はそのまま。思考が逡巡しているのだ。慰めはこの広い草原だろうか。ただ何も言わず通りすぎるだけの牧草地帯だが、その流れていく景色を見ていると、少し身体の力が抜けるようだった。


 マコトの演奏は、可愛かったんだよなあ。


 美しくて可憐で、春を告げる精霊が水辺で戯れるような、そんな彼を自分しか知らないと思ったはずだ。待てよ、そうかサイゼルか。

あいつが先にマコトの演奏を聴いた、と思った。自分より先に、彼が聴いたことに腹が立つのだろうか。

 マコトはリオネルにとって、替えのきかない武器だ。トマともサイゼルとも違う。けれど、自分が持つものの中でも最大級の手札といえる。だから気を遣って彼を守る、庇護すれば情も湧く。そうか、自分が最大の庇護者なのに、自分が一番ではなかったからか。


 カップを置いて、指にはまった指輪をこする。

子どもじみた独占欲に恥じ入る気持ちは多少ある。それと同時に、母親がくれた指輪を触ることで思い出すのだ。


 大らかな風のような、肝の据わった、大地のような母親を。あの人は僕をたいそう可愛がっていたと思う。僕のやることなすこと、面白がって、いたずらには倍のいたずらで返されて。茶目っ気がある人で、子どもの頃は部屋の至る所になぞなぞを仕掛けて、それを探す遊びをした。手先が器用で、面白い人だった。今、あちらで苦労していないだろうか。




  ※





 おれは自分のベッドに落ちるようにして倒れ込んだ。アメリカのティーンエイジャーがよくやってるやつ、映画でも見るだろ。


やっぱり、とは思っていたが、事実を聞くと混乱する。覚悟をしていても、だ。


ベッドの敷布は植物のような柄を綺麗に織り込んでいて、シルクみたいな手触り。光沢のある深草色と、室内の木の木目が調和していて、貴族だけどゴテゴテしすぎず落ち着いた雰囲気だ。

 華美すぎるものには少し抵抗がある。

衣装だと割り切って着たことも、高級ホテルのディナーなんかも度々あったが、「似合う」と言われても落ち着かなかった。そういうのは仕事だとして、場数を踏めばなんとかなるのかもしれないが、自分に合っていて、ちょうどいいと感じるのは今のこの馬車の中だ。

 異世界の方が落ち着くなんて変な話だな。

ふとトマを見ると、カーテンを開け外を見ながら何かを口元に近づけている。


「トマ、何してるんだ?」


 振り返ったトマは少し笑って手に持っている物を振って見せた。小さな棒切れ、マッチみたいな大きさだ。


「嗅ぎ煙草、高級な嗜好品でな。たまに欲しくなる」


 片眼鏡の男の雰囲気は少しくつろいだ様子で、おれの近くへ座って見せてくれた。


「ほぼマッチだな」


見た目は紛うこと無きマッチの形で、先端についているのが香草を練って乾燥させたものだそうだ。香りは、薬草の香りと、おれの知っている煙草に似ていた。


「ちょっと甘い匂いもする」

「よく気が付いたな。色んな種類があるんだが、これはアマカエデという蜜がとれる木を軸に使っている。その香りだな」


 嗜好品か。酒もあるんだから煙草もあるだろうと思ったけど、こういう煙草もあるんだな。


「火はつけないのか?」

「火?つけたら大変だ」



 トマは可笑しそうに笑った。いつもと距離が近いせいか、壁を感じない。きつく吊り上がった目尻も和らいでいるような気がする。

 今日は、リオネルといいトマといい、ちょっと変だな。


「煙がたくさん出て香りが辺りに充満してしまう。これは先端を擦って、その香りを嗅ぐからいいんだ。何処でも使える」

「へえ…この世界じゃそうなのか」

「マコトのいた世界では違うのか」

「ああ。紙煙草は焼いて使うものだ。でもこっちの方がいいな。周りに香りが広がらないし、灰も出ないからどこでも使えるんだな」


 そういうと、トマは小さな箱に嗅ぎ煙草をしまった。数回使えるらしい。この世界は時々こういう不思議なエコグッズが出てくる。トマの大きな手のひらに乗っかるその小さな箱は、綺麗な石と細工が際立っている。真ん中の模様は睡蓮の花に見えた。



「綺麗だな、それ」

「煙草入れだ。嗅ぎ煙草を嗜む人にはよくある贈り物だ。これは私の夫からだが」

「夫…」

「ああ、私の自慢の伴侶だ。公爵邸で帰りを待っている」



 かつてないほど表情筋が緩んでいるトマ。多分、ぱっと見わからない程度のものだと思うが、いつものトマを見慣れたおれには青天の霹靂だ。


「なあ、マコト」

「え?」

「リオネル殿下のこと、大目に見ろとは言わない。今のお前のままで接してやってくれ」


 嗅ぎ煙草入れを大事そうに指でなぞりながら、トマはこちらを見ないでそう言った。


「…いや、まあ、別に」


 ふと、思い出す。真剣な水色の瞳と、人を食ったような態度の違い。最初の頃とは随分印象が変わったが、どうしてか背中がむずかゆい。



「腹立つことにはケリをつけるから。そこは邪魔するなよ」


 誤魔化すように早口で言い放った。








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