第二十二話 殻
第二十二話 殻
「じゃあ何か、それが性的な感じの相手ってことになるのか?」
先ほどまでマコト様は景色に見惚れたり、おにぎりに夢中になっていた。
今は恥ずかしさや、当惑、かと思えば少しむくれたような、釈然としない顔だった。その表情に何故か息子を思い出してしまって、くすっと笑ってしまう。
「ええ、私たちにとって魔力は生命エネルギーです。魔力の相性の良い人を見つけるということは死活問題です。マコト様だって、昨日の夜は恐らく魔力切れだったのでしょう」
昨晩、立て続けにマコト様の記憶を刺激した。リオネル殿下はどうなっても続行すると言いつけられ、その通りにした結果、マコト様は何か大切な記憶を取り戻されたのだろう。
その際、記憶が閉じ込められた場所から戻ってくるのに魔力が奪われたのではないか、というのがサイゼル殿下の推測だ。そして今日マコト様にお会いしてみると、やはり多少の幼さは残るものの、これまでよりは随分と大人びた、お顔立ちに合った振る舞いをするようになったと思う。
「魔力が生命エネルギーってのはなんとなく飲み込めるけど、それと……性的なことがどうして繋がるんだよ」
「生は性だろ?」
リオネル殿下が景色を見ながら口にする。
「生きることは性的なことに繋がるだろ? 生まれてくるときだってそうじゃないか」
殿下の物言いに、マコト様がびしり、と音を立てるように固まった。
「マ、マコト様! こちらのお菓子はどうでしょう。先ほどのハヌの実を砕いて粉にして焼いたものです」
お茶請けを出しつつ、肘をごつっとリオネル殿下に当てる。
「マコト様は単性生殖について、まだご存知でないことが多いと思いますので、ここでリオネル殿下がすっぱり綺麗にお話してくださいます」
ね、とリオネル殿下を振り返ると、殿下はとても気難しそうな眼で睨み返してきた。
おやこれは、なかなか珍しいことだ。いつもなら笑って、この僕が性教育とはな、なんておどけて言いそうなのだが、どこか様子が違う。どうしたというのか。
「……マコトの世界で子どもを孕む時と、こちらの世界で子どもを孕む時では根本的に違うと思うけど、聞けるかい、マコト」
マコト様は殿下を一度睨むと、目をそらして、やや間をおいて頷いた。
「我々は胎質植物を使って生まれてくる」
「…たいしつ植物?」
「雄蕊と雌蕊があるのは植物、他の生き物には雄蕊しかない。だから胎質植物の実を食べることでどちらか一方の身体の中に、核を造るんだ。人間が子どもを孕む場合は二ヶ月から三ヶ月ほどかかって、その後、魔力の袋というか殻に包まれて生まれてくる。生まれてきた殻はしばらく親が抱いて、皮膚ごしに魔力を送る。その後数ヶ月して魔力が満ちると、赤子が殻を破って出てくるというわけさ」
マコト様を見ると、ぽかんと口を開けている。
やはり転移者には衝撃なのだろう。私たちにとってはそれが当たり前だから何とも思わない。リオネル殿下はそんなマコト様を見ながらテーブルを指でコツコツ叩いている。
苛立っているのだろうか。落ち着かない、帰りたいという合図だったそれを、久しぶりに見たが、今は馬車の上だ。
帰るも何も、ここが居場所だろうに。
「…ていうのは…哺乳類が卵で生まれてくるってことか?」
「鳥の卵のように硬くはないが、まあそうだな。身体の負担にならないよう、小さなうちに体外に排出して、その後魔力を送り続けるんだ。この時魔力が足りなくなると呆気なく死んでしまう。だから親は交代でその殻を抱くんだ。ものすごい勢いでエネルギーを持っていかれる。そうしたら親はどうなるか、当然魔力切れを起こしたら危険な状態になる」
水色の瞳に寂し気な影が揺れた。昔を思い出されているのだろうか。
私自身、随分と昔に思えてしまう。
殿下とイディアン様の子育てや、お生まれになるまで苦労したこと、そしてそれからのことを。
大切な家族の顔、我が子を思い出してマコト様に伝える。
「マコト様の世界でも、性行為は子どもを生むためのものでしょう? 私たちとってもそうです。だから、マコト様の世界で性行為に当たることが、こちらでは性行為だけではなく魔力の補完関係にもなります。親同士が性的な行為をすれば、互いの魔力が満ちる、あるいは与えられると言ってもいいのです。それで無事に子どもが生まれてくるように、親もエネルギーを与え続けることができるのです」
「はぁ…セックスで魔力を補えるっていうのは、食事と睡眠みたいだな。そうして補給が必要ってことか」
「はい」
リオネル殿下はこれ以上話す気にはならないようだ。カップを手に、地平線よりはるか遠くを眺めている。地表の彼方に、もう見えなくなってしまった人たちの笑顔を探すのかもしれない。
「ですから魔力の相性も大事になってきます。無論それだけで恋するわけではありませんが、こちらの人々はマコト様の世界の人に比べて、性行為に対してかなり開放的なのです。魔力の強い者は、普段からより強化するために相性の良い者とセックスします。恋人でなくてもです」
「……そうなの?」
マコト様は驚きすぎたのか、恥じらいからか段々声が出なくなっている。かろうじて、聞き返してきたことはわかった。
「はい。弱っていない時でも相性が良ければ感応し合って、互いの魔力量の底上げが出来るのです。一度で大幅に変わるわけではありませんが」
元々魔力量の多い王侯貴族も、そういった肉体関係を否定はしない。リオネル殿下も魔力量の多い方で、華やかな容姿も加わり引く手あまただったのは言うまでもない。
あの頃のリオネル殿下は浮名を流して結婚の「け」の字の気配すらなく、いつ国王陛下が勘当するかと思ったほどだ。王侯貴族としては度を越さなければ社交の範囲内。浮名を流すこと自体悪いわけではないので、臣下としてどこまでお諫めするべきか、心を痛めたものだ。
そんなリオネル殿下を変えた、イディアン様の帰国。イディアン様は伯爵家の次男で外国暮らしが長く、殿下との出逢いは遅かった。その出逢いから結婚までの目まぐるしい、熱に浮かされた感覚はなんとも言えない。
胸の奥で、悲劇のつらさと同時に懐かしいご尊顔が蘇る。
「……マコト様、冷えるといけませんから、続きは下のお席にしましょう」
我々は大公領へ向かっている。つまり、あの大公邸に帰るのだ。
あの惨劇から六年になるだろうか。未だにあの日のことはほとんどわかっていない。犯人の足取りも何も掴めず数年たった。そうして大きく動いたのは先日の転移式だったのだ。
リオネル殿下の希望の光、一筋の光よりも細く頼りないと思われた手掛かりは今、こうして目の前にある。
一瞬だけ、感傷に浸る暇があってもいいと思う。いつも気を張り詰めている主人を哀れと思うのは、私の傲慢だろうか。




