第十九話 傷と鍵Ⅴ
第十九話 傷と鍵Ⅴ
「白い病の話を聞いたな」
一度頷いたが、おれは背を向けられているので、再び、うんと返事をした。
「災害や疫病は、いつも白い色で現れる。おれは、おれの母上は気が強く、競争心も人一倍でな。それで商家から後宮にまでのし上がった」
サイゼル殿下はぽつりと、小さく話し始めた。
―――マジェスタ王国、国王の側室が二人目の子を産んだ。しばらくして赤子が大きくなると、側室は子どもをなじった。『こんな子どもは私の子ではない』と叫んで、烈火のように怒り狂ったそうだ。
王家に災いの子が生まれた。その話で国中は持ち切りになった。おれはその日から、後宮の奥に閉じ込められた。白い髪の子どもが生まれると、白い病が始まる。昔からの言い伝えだった。だからおれそのものが国難、凶兆だ。
一息ついたサイゼルは、水を飲みに行って、戻ってきてベッドに潜りこんだ。おれの隣で、布団を引き寄せ顔が見えないようにしている。そのまま、丸まって黙り込んだ。
「背中、お母さんがやったのか」
おれは沈黙を破って聞いた。これ以上、話をさせるのも酷だと思った。
蓑虫になったサイゼルの身体は少しだけ反応した。言葉が見つからなかった。閉じ込められて、その上、身体が大きくなっても残るような傷を残した。一度や二度どころじゃない。
怖かったよな、そう言いかけた。言えない。開きかけた口がなんとも空しかった。
そして、サイゼル蓑虫に手を伸ばした時だった。部屋の隅に置いてある、細長いものが見えた。
おれはふかふかのベッドを軋ませ、サイゼル蓑虫を避けて降りると、近くにあったバスローブを羽織った。吸い寄せられるように、部屋の隅のそれを手にする。こげ茶色で綺麗な彫り物がしてある弦楽器だ。弦が八本もある。
琴ではない、でも撥がないので爪弾くタイプなのだろう。細い部分を左にして持つとしっくりきた。右手で弦を一本慣らしてみる。
ぽーん。鳴った。
また一つ、隣の弦の音を確認する。ぽーん。少し高い。左手がコードを押さえる。
じゃーん、と鳴らすと少し不協和音だ。どの弦だろう。これかな。
左手が勝手にコードを探す。ここがDに近い、この辺がCかな。F、G、と鳴らしていくとどこか違う。余分な音を探して、抜いていく作業を繰り返した。
おれは一度聞いた音は忘れない。あの時もそうだった。
―――間違いない、あのエンジン音だ。
おれの声と紺色の車。おれの声は少し高くて変声期前だ。
この曲じゃキーが高くて今は出ないか、ならコードを少し変えよう。この楽器だと少し民謡らしい雰囲気が出てしまうかもしれない。
青春の痛みと強さが気に入っているTM NETWORKの「SEVEN DAYS WAR」だ。
――――すべてを壊すのではなく
サビが良いのでそこから始めた。Aメロから転調すると詞にも変化があって、やさしいエネルギーが風にみたいに入ってくる。良い曲だよな。
ただこの楽器では、少し無理のある伴奏だ。じゃあもっと時代を古くして、楽器に合わせてみよう。フォークがいいかな。親父と農作業中にラジオで聴いていた。
ザ・フォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」。これは有名だよな。
森の緑から始まって「このもえたぎる苦しさは」と歌う三番が特に好きだ。
弾いていると、懐かしいという感覚が胸のうちに広がっていく。
梨の匂いだ。家のハウスも見える。夏の入道雲と風鈴の音を遠くに見ながら、一番暑いときは木陰で休憩した。畑仕事は朝早くからなので、水筒の麦茶は昼前に空になる。夏休みにプールに誘われても滅多に行けない。サボって遊んでいたら食事抜きになるからだ。
「……マコト」
サイゼル蓑虫が、いつの間にか顔だけ布団から出していた。驚いた顔をしている。
そのままにしていると、蓑虫が這い出しておれの前に座った。そっと頬を撫でられる。
「…また…おれは泣いているのか」
「ああ」
大きく骨ばった手が、ごしごし頬をこする。やめろ馬鹿。
「楽器が、音曲ができたんだな」
途端におれから溢れ出るように、水分が全部、きれいな絨毯に染み込んでいく。
弦楽器の首を強く握ると、指先が覚えていた。弦のタコ。硬くなった皮膚をどうして忘れていたんだろう。
顔つきも、自分の手も、そこに在ったのにわかっていなかった。
もう一度「悲しくて」を繰り返し歌う。今度はイントロ、一番から。
どうして、こんなに胸が熱くなるものを忘れていたのか。おれにはこれしか無かった。なんで髪を伸ばしていたか、どういうカッコよさに憧れていたか。言葉にできないから弾くんだ。
ここに在った。ずっと、ここに在ったんだ。
―――胸にしみる 空のかがやき―――
酷い演奏をこの王子様に聴かせてやった。ほら、黙らせてやったぞ。
どこまで固有名詞を出していいのかわかりませんが、歌詞は著作権の都合上できるだけ明記しないよう注意しました。また何か問題があれば教えてください。