第十六話 傷と鍵Ⅱ
第十六話 傷と鍵Ⅱ
服を広げてみる、ジャケットだ。すごい匂いもする。
机の上にジャケット、黒いシャツと黒いズボンを並べて置いてみた。ジャケットは赤ワインみたいな色をして、襟だけ黒いサテンだ。
なかなかカッコいいじゃないか。
そう思うってことはおれ自身が選んだんだ。
箱の中にあった時計は大きくて高そう。重たいから腕に付けると邪魔だよな。宝石はついていないが、それなりの値段はしそうだな。サラリーマンの小遣いでは買えないだろう。あんまり趣味ではないが、恐らく買ってもらってつけていたんじゃないかな。
「どうだ、マコト」
リオネル殿下に聞かれる。どうだと言われてもな。
「うーん、こっちのスーツはおれの趣味。この腕時計はおれの趣味じゃない」
「じゃあなんでそんなものを持ってるんだ」
「ホストだから」
「ホスト?」
「おれの仕事、ホストクラブのホストだ」
サイゼル殿下とリオネル殿下は互いの顔を見合わせた。ヨギも頭にはてなが浮かんでいる。
「こっちではパーティとか、派手な、お金を使った催しはないのか?」
「あるよ。夜の社交場だ」
「おれはなんというか、そういう場の盛り上げ役」
「太鼓持ちということか?」
太鼓持ちって、あの道化みたいな、チンドン屋ってことか?
「違う違う。難しいな。主に女性客を相手にして、会話で相手の気分を良くさせるんだ」
ホストって、日本にしかないのかな。確かに海外でホストって聞いたことがないが、水商売って言って通じるのか?ややこしい話はおれには難しい。
「おれのいた国にしかなくて、結構最近の職業かも、長い目で見れば」
「ふうん、社交界専門ということかな」
リオネル殿下は面白そうに聞いてくれるが、他の人は困惑、得心がいかないといった面持ちだ。今だけおれの国語力、語彙力上がってくれないかな。
「それで暮らせる日銭になるのか?」
サイゼルが怪訝そうに聞いてきた。
「売れたらね。指名料っていう、おれを指名したらその分お金が入る。そこから会話で盛り上げて、気分の良くなった客は高い酒を買ってくれる。その酒を一緒に飲むから……たとえば歓楽街とか飲み屋ってこっちにもあるだろう?」
「酒を出す店だな」
「そう、そういう店の従業員だ。そこで疑似恋愛を楽しむ人もいる」
女性を騙す、なんていうのは心外だ。少なくとも洋司先輩たちはそんなつもりでやってない。圭一さんは少し変わった人で、スリルを楽しむって言ってた。お客さんがお金を出してくれるか、店に来てくれるか、どうアプローチしたらどう返ってくるか、その反応が楽しいってさ。八尋は性悪でねこっ被りだが、誰よりも黒服たちと連携できていて、お客さんを待たせる時間が少ない。聞けば八尋はいつか自分の店を出す夢があるから、店長や黒服たちとよく話していたらしい。
懐かしい、蛍光灯の眩しいロッカールームが浮かぶ。そうして、箱の中のぴかぴかの靴に目がいった。
「これ……」
カッコいい、つま先がピンと伸びた革靴。アパートのベランダで、自分で手入れしていた。手入れの仕方を教えてもらったから、汚したくなくて、雨や同伴のない日はスニーカーで店まで行ってわざわざ履き替えていたんだ。
「お気に入りかい?」
リオネル殿下が頬杖をついて見上げてくる。ちょっと優しい目だ。垂れ目が本当に良い雰囲気だって言ったらダメだよな。
「そう。そうだと思う」
憧れていた。そんな気がする。服は自己演出だ。ホストらしさと、嫌らしくない感じが作れればいい。でもこれは、全然違う。
「良い靴だね」
「銀座で買った。大手デパートの靴売り場じゃない、本当の靴屋さんだ。白髪の爺さんがやってる店で、大正時代からの老舗だと言ってた。連れてってもらったんだ」
誰にだろう。切なくなる。ここまで気持ちが動いているのに、ここまで愛着があるのに、わからない。その人はおれの大切な人だ、きっとそうに違いない。
「マコト、何度でも言うよ」
顔をあげると、リオネル殿下の顔が歪んで見える。なんでだろう。
「君の記憶は大事なものだ。必ず取り返す。でもね、忘れないで。君が誰かということは、過去が証明するわけじゃない。今ここにいる君自身が、すでに証明している」
靴をぎゅっと抱きしめた。嗚咽が出てくる。そうか、おれ、泣いてんだ。