第二十一話 火の元
四つの元素の中でも、子どもが火魔法の使い手だとわかると親族には多少の緊張が走る。
非常に便利な能力に見えるが、子どものうちはコントロールが難しい。
魔法の練習をするにも大人の注意が必要だ。
なぜなら、どんなに小さな火でも燃え上がれば一瞬ですべてを燃やしてしまうからである。
火は人類の人類たる由縁、最初で最大の道具だけれど、生活に欠かせない割には火の事故はなくならない。
ジャンは恵まれていたと思う。
母親が鍛冶師で、よく自分を職場に連れて行ってくれた。
鍛冶師にも火魔法の使い手が多い。単純に暑い場所だというのもあるが、皆慣れている。
そのおかげでコントロールも早く身に付き、刀鍛冶に魅せられて剣を握り、騎士を志すようになった。
物語に出てくる勇者は、大きな両刃の剣を振るい、火をはくドラゴンに立ち向かう。
そういう絵本はありふれていたが、どうせならこのドラゴンと友達になれればいいのにと、子どもの頃に口にした。
両親は豪快に笑って、お前は火の子だ、あたたかい子だと抱きしめてくれたが、ジャンは本気だった。
人間の有史以来、火は生活するのに欠かせない。
同時に生命を奪う危険なものだ。野生動物は火を怖がるのは当然のことだ。
その危うさ、恐ろしさと付き合って生きる。
なんとなく、子ども心に覚悟を決めたのかもしれない。
カンカンカン、と細い路地の多い住宅街に鐘の音が響く。音と音は間断なく、続けざまに鳴らされ危険を人々に知らせる。
「火事だ、火事だーーーーー!!」
「逃げろ!」
「子どもの手を離すな!!」
「まだ中に人がいるらしい!!」
「急いで水天神さまの水を」
「隣の家に燃え移る!」
飛び交う叫び声、悲鳴やどよめき。その声の方向を振り返ると煙が立ち上っている。幾筋かの灰色の煙だ。
「バック!」
ジャンが灰色犬に声をかけると、バックはワフッ!と短く吠えて答えた。
自分の肌は、多少の火傷には慣れている。普通の人より耐性がある。
身体が自然と火に向かって動くのだ。
走りながら、ジャンは腰の剣の柄に触った。
佩刀していて良かった。
軍部へ赴いた帰り道、変装ではなくて騎士の出で立ちでこのエミレへ帰ってきたのだ。
ごった返す人混みをかきわけると四階建ての住居が見えた。煙はまだそれほど太く大きくはない、間に合うかもしれない。
「裏道を、バック」
ワン!と答えてバックは方向を変えた。曲がりくねった道を行くと先ほどの住居の裏手に出たので、すぐさま裏口に飛び込んだ。
さっき、来る途中でまだ上の階に人がいるのが見えた。
まだ行ける、行けるはずだ。
煙で視界がぼやける中、階段を駆け上がる。剣を抜くとバックが先導した。
きっと人がいる場所がわかるのだろう。大きな体で軽やかに飛び上がった。崩れた手すり、誰かが引き倒した机や棚を飛び越えて行く。
凄まじい熱。熱い空気がジャンの肺を圧迫する。
火の元は下の階だが、火は上へ立ち昇る。廊下の奥は煙が濃くて何も見えない。
バックのふさふさとした、灰色の尻尾を必死で追いかけた。
片腕で鼻と口を塞ぎ、空気を吸って駆けだす。
ワンワン!ワオーーン!!
バックの吠える方へ足を進める。
思っていたより火の回りが早く、煙が大きくなってきた。
運が良かったから、恵まれていたから。
だから人の為に働くとか、そんな高尚な考えはない。
運がどうのこうのではない。自分は自分だから。
火魔法を持って生まれた、それだけだ。
幼稚だと自分でも思う。けれどジャンはやはりあの絵物語の続きは、ドラゴンとの和解であれば良いと思う。
そして、それが成されてこなかったのなら、自分が成ってみたい。
バアン!!
蹴り破った扉の中に、子どもを抱えた親や口元を抑えて咳き込んでいる。
子どもはどこか打ったのか、煙を吸い込んだのかぐったりして泣きもしない。
ドン!!
ガララララ…
どこかで屋根か壁が崩れた。
バックは子どもの服を咥え、ジャンが親の肩を持つ。
このままではすぐにここも崩れる。天井が落ちたらいくら自分でも無事では済まないだろう。間に合わないか。恐怖が喉元にせり上がった。
だめだ、切り替えろ!生きる道を探せ!!
剣を強く握った。
陛下からお預かりした国を守る、大公殿下と神子様をお守りする守護の剣。
名を“戒め”という。
戒め、戒め。と口の中で呟きながら、窓に向かって、斜めに大きく刃を振り下ろす。剣の柄が痺れる、奇妙な熱を感じた。
ジャンが振り下ろした刃は、煙ごと壁を斬る。
わずかに遅れて、バリンガラガラとガラスやレンガの落ちる音がした。空気が外に吸い出されていくようだ。
ジャンとバックは一度目を合わせると、同時にそのまま外に飛び出す。
人々の歓声と共に、飛び降りた彼らは大きな布の塊に受けとめられた。
「子どもを!誰か医者か、神祇官を!」
「おい見ろよ……火、消えてないか?」
「何言ってんだてめえ!……あれ」
「煙もさっきより小さいぞ」
「もう鎮火したのか?」
「押すなよ!危ないだろ!」
「とにかく怪我人の手当をしよう!」
「下がれ下がれ!」
「衛兵はまだか!」
バケツリレーのごとく、水桶を携えて集まった男たち。辺りには興奮と混乱が渦巻いている。
「とにかく危険だ!まだ崩れるかもしれねえから野次馬は離れてろ!」
ジャンは周囲を見渡す。人々の声から、死者は出ていないように思うが、まだわからない。抜き身の剣は物騒だ、そう思ってすぐさま納刀する。
しばらくは混乱の中だろう。自分も今の所、骨を折った感覚もなく助かった。
皆、助かると良い。それは結果を願うだけ。
行動は最短で最善。どこかで聞いた言葉だな。
汗を拭って、大きく息を吸い込む。緊張がゆるんだのか、ははっと軽い笑いすら漏れた。
「あり、ゴホゴホッ」
ジャンが連れ出した親は、周りの人に支えられながら、涙目で御礼を言いたげだった。
その人に微笑んで、ジャンは背を向ける。
潜入捜査中だ、目立つことは出来ない。それでなくても、速く脈打つ鼓動を落ち着けたかった。
「……バック、少し回り道して帰ろう」
ワフッと灰色の犬は返事をする。
王都に暮らす近衛騎士たちは、当然王都の治安を守るのも職務のうちだ。
こういった火事の訓練も受けている。けれど、つい飛び込んでしまったのも事実だ。危ない危ない。こういう向こう見ずな部分は、“火の子”特有だと聞いたこともある。それだけ慎重にならなければいけない。
人気のない所まで離れると、ジャンはやっと一息つけた。頬や露出していた皮膚が少し熱い気がする。水を被ってから帰ろう。
手はまだ熱く痺れている。
自分の両手を開き見つめてみた。今度は納刀した剣をもう一度引き抜いた。
シャラリと高い良い音がする。白銀の峰に、自分の顔が映った。刀身の中がちらりと揺らめく。
あの瞬間、不思議な感触がした。それから壁を斬る威力、いやその前に、視界が開けた。部屋を覆っていた煙はどこへ行った?
「……炎を食った?」
答えるわけがないのに、何故だか剣に問いかけてしまった。
そもそもなんて馬鹿な事を言っているんだろう。
火事の鎮火は、火の元が風に当たったか。いやそれならば他の建物に延焼していてもおかしくない。建物の倒壊で空気が途絶えたからだろうか。
なぜ私は今、剣が炎を食ったと思ったのか。
直感としか言いようがなかった。
あのとき、自分が壁を斬る前に、確かに視界は開けたのだ。
白銀色の刀身に、ジャンの鋭い眼差しが突き刺さる。
前回のオグライゼンの時といい、一体なんだ。
装飾部分に魔石があり、魔法術式も刻まれている。けれどそれだけでは説明しきれないものがある気がした。
そうやってしばらく剣を睨みつけるジャンを、少々毛先の焦げたバックが不思議そうな顔で見上げていた。