第二十話 一つ目が泣く
マコトの弦楽器がメロディを奏でる。
風が草を撫で花を揺らし、木の枝が騒ぐ。木の葉の間から落ちる光は丸く、いくつもの円が重なり合っている。マコトの演奏に同調するように、さわさわという葉が擦れる音はどこかやさしかった。
突如現れた男は、およそ中年といえるだろう。
探し人である一つ目のダグラスは、ピウタウで大工の棟梁が雇いたいと思うくらいの熟練の職人だ。若い男のはずがない。
男の服装や体つきは手仕事が多い職人と言われても不自然ではなかった。一見、裏稼業の人間には見えない。それらは全て探していた“一つ目のダグ”と条件が合うわけだ。
男はどこか疲れている様子だった。ぼんやりとマコトを見て、音楽に聴き入ることで心をこの場に繋いでいるような、頼りの無い風情だ。
「…その歌、さっきの歌も、あなたが作ったのか」
「いいや」
マコトは曲を「the Rose」に切り替えた。メロディが風に乗って、この精霊樹の広場に行き渡っていく。
男は、左目から涙を流した。
座り込んで途方に暮れた子どものように、次から次へと涙を流した。
それを拭おうとも隠そうともしない。
「曲が、聴こえ始めて…」
男は泣く合間に、たどたどしくしゃべった。
独り言のようなそれに、マコトもリオネルも口を挟まなかった。
「精霊樹が、いつもより輝いて見えた。ここには、何も憂いはないと……そう言われた気がした。本当に、そうか、な。死者の苦しみは終わってるのか……」
生きている者は、その答えを持ち得ない。マコトは弦を弾きながら言葉を探した。
「…おれはわかんないけど……あんたがどう感じているかじゃないか?」
マコトが手を止めて尋ねた。
男は視線を宙に漂わせたが、またぽつりと喉から声をこぼす。
「わたしが……」
「苦しいとか哀しいとかやるせないとか。そういうのは全部あんたの感情だ。亡くなった人のもんじゃないよ」
正解のない問いに、マコトは迷いもあった。
けれど嘘ではない。全身で、いま自分で考えられる返事がそれだった。
「故人の無念とか、何かあるたびに理由づけするのは自分の都合だ。本当は何を選んでも自分の問題で、自分じゃない誰かの、しかも亡くなった人は喋れないんだから…」
ちょっと言い方がキツくなってしまった。自分に自分で言い聞かせている気もする。
姉の死に、復讐の道を取らなかったのは親の問題。
おれの問題じゃない。
おれが許せないだけだ。親には親の事情がある。
家族を食わせる、養う。農園の経営もあった。おれも小さかった。
怒りや悲しみに浸っていては前に進めなかった。
それが許せなかったのはおれ自身で、自分の問題だ。
姉貴が可哀想だろ、とか、そういうのともどこか違うと、マコトはこちらに来て気付いた。
「あの子には、未来があったはずなんだ……」
男が短く呻く。先ほどより鋭く深い声だ。
片目を隠した男の顔に落ちた影、刻まれた皺に苦労が見え隠れする。
マコトは答えず、また楽器の弦を弾いた。
リオネルに似ている。
前に馬車の中で、夜更けの静寂のなか泣いていた男に。
おれよりも、リオネルの方がこの男の為になることを言ってくれるかもしれない。
だがリオネルは寝たフリを続けているのか、黙っていた。
それきり、誰もしゃべらなかった。
マコトたちは所在なげに去っていく男の丸い背中を見送った。
精霊樹や周りの木々は語らず、見守るだけ。
短い命の人間よりも、余程この世界を見てきたであろう木々に人々は思いを託す。
祈りの列、頭を垂れる人の真剣な横顔がそれを物語る。
大公殿下の側近、トマはそんな感傷に浸ってはいられない。
トマは近くにいた一族の者に、人知れず合図を送っていた。
あの男を追え。
草木や石のぶつかるような些細な音は、トマたちスーレン一族が使う特別な言語だ。トマ・スーレンは一族の頭領。各地に住む一族の者は、自分の出番が一生にあるかないかで、彼の号令を待っているのだ。
大公殿下の御為に、主君の為に働きたい。
それが一族の矜持であり、生きる理由だった。
そのスーレン一族の力を持ってしても“一つ目のダグ”はなかなか尻尾を掴ませなかった。
あの片目を隠した中年男は、堅気にも見えるし、堅気に溶け込んでいるようにも見える。
やっと見つけた、一つ目の候補者。
そして、トマはどうにも、彼の右手の指のタコが気になった。
職人にできる独特の形、彫刻刀を持つ部分が膨らんでいたのだ。
まだある。あの様子では、何かしでかすのではないかという凡そ理知的とはいえない予測。
強風で糸が切れそうな凧、といえばいいだろうか。見ていると不安に掻き立てられる。
もし彼が一つ目のダグだったとしても、そうでなかったとしても、気になるといえば気になる。
何故マコトにあんな問いかけをしたのか、詳しく事情を調べる必要があった。
ここはエミレの街。内陸に向かう水路を南下すると西方軍の本拠地がある。
出来るだけ、表沙汰にはしたくない。
その為に知己を頼り、ジャンとバックを使いにやったが、上手くこなせただろうか。
2025年6月19日 誤字脱字、一部修正加筆。