第十九話 公園の白昼夢
この精霊樹という生きた墓に、誰かの魂が寄ってくるのか。風の中を漂い、時折親しかった者の顔を見に来るための、道標がこの大樹なのだろうか。
ここで祈りを捧げた人は、来た時よりも穏やかな顔をして帰っていく。
マコトは、ディアメの関税の一件で、初めて姉に話しかけた気がした。
今までとは違う。
これまではただ自分の怒りの記憶として、ドアの向こうに追いやっていた。思い出が蘇っても、「姉貴、どうだ元気か? おれはまあまあ、異世界に飛ばされても元気」なんて軽く声をかけようなんて発想すらなかった。
「リオネル、ちょっと弾いてっていいか」
「ああもちろん」
少し離れた木陰にある、ベンチにマコトは腰かけた。
楽器を弾くときはリオネルもその手を離してくれる。
金の巻き毛の中年男は、気障な台詞や動作も自然とやってのけるけれど、今日は場所が場所だから控えめらしい。
そのリオネル大公はごろんと横になって、伸びと欠伸をするとスウスウと整った呼吸をたてはじめた。元の身分を考えればちょっとおかしな光景だが、確かに公園の芝生って寝っ転がりたくなるな。
リオネルがこんなところで急に寝るのは、おれの手を握っていた日から寝不足だったということで、トマも大目に見ているのだ。
おれは日傘を手離し、少し後ろにいたトマから弦楽器を受け取った。
一曲目は、前にリオネルに聞かせた「the Rose」
おれは、やっぱり祈ることに慣れてなくて、うまく言葉が出てこない。
だから人の言葉を借りる。
「the Rose」の歌詞は、精霊樹に集う人々に合う気がした。
二曲目はおれの大尊敬する、憧れの人。忌野清志郎の曲として知られているかもしれない。
本当はアメリカのバンドのカヴァーだけど、訳詞は清志郎が担当した。
この「Day Dream Believer」は、清志郎と相性が良かったのだろう。誰もが口ずさめるポップなメロディなのにどこか切ない。
マコトは少しテンポを落として、バラードのように歌った。
これは清志郎が大人になるまで知らされなかった、実母への想いがあるという。
ただ何も知らずに楽しんでも良い。これは音楽だから。ただ、歌詞の“彼女”をどう取るかで意味がガラっと変化するんだ。
繊細で夢のようなひと時、それでいて良い思い出には聞こえない。おれも昔は、ただひたすら“彼女”を呼ぶ理由がわからなかった。
―――彼女は どこにもいない
―――ずっと夢を見て いまもみてる
写真の中で微笑む女性。白昼夢という、清志郎の言葉には育ての親の愛情と、今まで見てきたものは何だったのかという戸惑い。
信じていたものが覆った時、人は怒るかもしれない。
けれど偉大なミュージシャンは、胸の内に溢れるものに形を与えた。
揺れているような、同じコードの繰り返し。メリーゴーランドに乗り続けていると錯覚する。これが起きて見る夢だと気付いたけれども、メリーゴーランドに乗り続ける。
やさしい嘘を受け入れ、カラッと心地よい。
どうしたらこんな風になれるんだと、静かに胸打たれたことを覚えている。
精霊樹、エミレの精霊樹の前には、墓石も碑文もない。
死んだら人は人、みんな同じ。悪人も善人も金持ちでも貧乏でも、血縁があっても、なくてもここに辿り着く。そして生きている者はもう会えない人に会う夢を、この穏やかな公園で見るのかもしれない。
その時、一人の男が近づいてきた。帽子を目深に被り、洗いざらしのシャツに皺の目立つ中年くらいの男だ。
参拝の帰り、おれの音に誘われたかというようにこちらに来る。
後ろでトマが少し警戒していた。
おれの顔は薄布の目隠しで見えない。
おれは変に態度を変えても仕方ないと思って、そのまま歌を口ずさむ。
―――ずっと夢みせて くれてありがとう
「……話しかけても、よろしいですか」
しゃがれた声で、男が言った。
「……どうぞ」
マコトは一度だけ手をとめ、答えるとまた弾き始める。今度はメロディだけをゆっくり繰り返した。
男は何故かその場に膝をつく。
そのまま座り込んでしまった。
リオネルも昼寝を装いながら、片目でちらりと男を見やった。
帽子の下、布を巻いて右目を隠している男。
まさか、そうなのだろうか。
平静を装い、考えを巡らせる。
“一つ目のダグ”
手先が器用な彫り物師。大工仕事ができ、怪しげな裏社会とも繋がっているような男。
それがこんな、真昼間の公園で。
探し物は、案外向こうの方から歩いてくるのかもしれない。