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第十三話 肉の記憶

第十三話 肉の記憶





 あの後おれは二日間眠り続け、リオネル殿下には会えなかった。

起きて四日目、おれはジャンに頼み事をした。そうして毎日、離宮で皿洗いと洗濯、自分の部屋の掃除と何か一つやらせてもらっている。

 ジャンが付きっ切りで見ていないといけないし、本来の仕事を奪ってしまっているから気が引ける部分がある。それでもやろうと思ったのは、これまでの事を振り返ってみたからだ。

 そうして、前に聞いた「なんでも、まずはやってみろ」という声に従おうと思った。

これが誰の声かはまだわからない。でも、この人のことが好きで、尊敬していたから思い出したんだと思う。重要なんだ、いや、重要だったはず。



 その上、転移者にかけられた期待とか命の危険など、正直考えたくないことが多い。現実だと思えば思うほど、何もできない気がしてくる。何もできない、というのは怖くないか。

おれはそんな、えらい奴でもない。何ができるかわからないから、とりあえず身の回りのことをやってみようというわけだ。当たり前だけど、サイゼルみたいに王子様じゃないからな。

 とにかく、四の五の言わずにやってみろって話だ。




「転移者さまって、思っていた方とは違いますねえ」

「おいピッケ」


 新しい侍従の二人と風呂場の掃除をして部屋に戻ったとき、背の低い方のピッケが漏らした。サイヤが窘める。

 ピッケはふわふわした鳥の巣のような頭とそばかすが特徴的で、小動物を思わせる。やっとこの世界で可愛いと思える風貌だ。癒しだ。おれはそれだけでガッツポーズをしたくなった。サイヤは真面目な顔をして、ちょっと抜けたピッケを注意するのが役目だ。

 二人は宮廷の侍従に憧れて入ったばかりだという。



「いいよ、気楽にして」

「叱られます」

「サイヤはトマみたいだな」

「本当ですか?!」



 くりっとしたこげ茶色の目を輝かせた。おれは見上げることもなく目線があうので、すごく安心している。リオネル殿下に威圧感はないが、みんなおれからしたら、いや地球人からしたら規格外に大きい。地球人、と使ってみたら、SF感が増したな、なんて思った。



 そのタイミングでジャンがティーセットを持ってきてくれた。これこれ、もうこれがないと落ち着かなくなってきた。すっかりこちらの世界に染まったのかもしれない。



「トマ・スーレン様はすごい方なんですよ」

「憧れなんです。もちろんジャン様も」

「いいんですよ私は。ただとても恵まれました。感謝しています」



 大型犬が小動物相手に遊んであげている。こういうのを動物系番組で観た気がする。癒しそのものだ。今日のお菓子はビスケットに近い焼き菓子で、ちょっと生姜みたいな香りがついている。そして、烏龍茶に近い、薬草のような味がするいつものお茶を飲む。これは癖になる味だ。ムースティーというらしい。ムース茶って変な名前だけど。



「記憶はいい感じだ。皿洗いを許可してくれてありがとうな。昨日の晩は家族の習慣を思い出してさ」


 母親は気が強くてそそっかしい人で、いつも物を探してた。そうすると父親がそっと、何をしていたか繰り返してみよう、と声をかけて、母親はあっちへ行って、それから……なんて会話をしていた。物をなくしたら行動を思い出して繰り返せって、それが我が家の習わしだった。



「だからさ、忘れ物の探し方と同じで、身体は覚えてるんだ。皿洗いも掃除も。多分、果樹園とか畑に出たらもっと思い出すと思う」

「そうですか。ではトマ様に聞いておきますね。そうそう、大公殿下がやっとお時間を作れるそうで」


 ああ見えてやはり王族なので公務といわれる仕事が多いらしい。おれには見せないが、根を詰めて仕事していて、当然その側にはトマがいる。サイゼルはヨギと二人で部屋に籠りきっていて会ってない。お茶を飲んだら少し外に出してもらおう。ここの庭はとても空気がおいしいと思うし、なんだかほっとするからだ。




 *




 マコト様が庭園を散歩する後ろから、私とピッケ、そして見えないところに騎士が控えている。見たことのない植物の名前を聞かれると、私も返答に困るので、時折庭師に聞くようになった。

 今も覚えた植物の名前や、花を楽しんでおられて、その表情がなんとも言えず穏やかでお美しい。部屋に籠りきりではこうはいかない。真剣な、そして気の張る話が続いたのでこうしたお許しが下りたのは本当に良かった。マコト様には健やかでいてほしい。

 マコト様が転移者様だから、というより、こんな風に巻き込んでしまって、その上記憶を奪われてしまった。そんな世界で目に映るものが、少しでもマコト様をあたたかく包んでくれたらいい。そう心から思うのだ。


 庭園の、数多の緑の中で黒い髪がきらきらと太陽に反射していて、なんとも言えない心地になる。ああ、転移者さまだ。来てくださったんだと。


最初マコト様はお世話をされることに驚かれていた。

そして髪くらい自分でやるとおっしゃったが、マコト様は力任せにするから毛が切れてしまうと言ったら、その後は黙って手入れを許してくださった。

 あの髪を、切れ毛だらけにするなんてとんでもない。綺麗なものは綺麗にしておきたいと思うのは悪いことではないはずだ。

本当に見た事もないほどの美しい方で、宮廷は華やかな人が多いがその誰とも違う。


 直接お話すると不思議な感じがした。どこがどうとは言えない。

この前は「いつかジャンには感謝を形で伝えるから」なんておっしゃられて、目が回りそうだった。

あの伝説の、子どもでも知っている転移者さまの侍従になれたというだけでも有頂天だというのに、その上マコト様にはこの国の誰かが非道なことをしたというのに、だ。


 伝説の、あの転移者さま。マコト様のお人柄に触れ、転移者という側面だけではないと知りながらもやはり一線はある。

毎朝起きて、あの黒髪に櫛を通しながら、これは夢じゃないんだなと思うくらいだ。それぐらいのことなんだ。誰もが夢見た、絵本や昔語りで聞いたことが本当に起こっている。

やはりあの御髪は私が死守したいものだ。


 確かに今のマコト様は幼く無邪気な部分があり、それをサイゼル殿下は憎々しげにおっしゃられるが、それだって彼の気質の一部だ。

 このような子ども時代を過ごされたのだなと思う。為人ひととなりがわかった方が安心するというものだ。そう思うのは私が、貴族でもない田舎の子どもだったからかもしれない。







誤字訂正しました。(2023/07/29)

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