第十五話 香を盗むもの
リオネルと話すうちに、マコトのか細い声は段々と大きく、身振りも仰々しくなっていった。
「だぁから! これで引いたら相手の思うツボなんだよ!」
「正体不明の生物が君を襲った」
「それはそれ!」
ついにはマコトはベッドに乗り上げ、リオネルの顔を斜め上から指さした。
呆気にとられたリオネルは一瞬固まると、目線を逸らして大きく溜息をついた。
「……マコト、君は記憶が戻る時に魔力を消費する。それで気絶するんだぞ? それは相当君の身体に負担がかかってるんだ。脳も心も。もし本当の敵の手先だとして、僕の位置が割れてしまった」
「それはまだわからないだろ!」
「可能性の話だ!」
「じゃあその可能性があったとしてその、敵は何ができるんだよ!」
リオネルとトマが似たような仕草で頭を抱え、ジャンはマコトとリオネルを見比べて困り果てた顔をしている。
なんだか子ども扱いされているようで癪に障る。
ムッとしたマコトは、更に畳みかけるように言葉を継ぎ足した。
「リオネル、お前が西部にいるのは、オグライゼンの一件で知ってるんじゃないのか? それで今更追いかけてきて、何をしようっての?」
「……僕がこれからしようとしていることが露呈したら」
「おいおい、お前が人探ししてるのがわかってんならその“一つ目のダグ”ってのは一生見つからないんじゃないか? 敵にバレてんなら、そのダグ本人にもバレてるって」
普段は人の言葉を遮らないマコトの様子に、また返答に困るリオネル。どうにも落ち着かないといったマコトの挙動は、ある意味で神経が参っているのだろう。
それは理解できなくもない。
「一応、理屈は通ってますね」
「トマ」
トマは基本的にリオネルが良ければ良いという考えだ。
ここでマコトの意見を擁護したとて、それは主人を裏切っているわけではない。
リオネルに対する意見は、部下の自分が言うよりマコトが言う方が、結果としてリオネルの為になると思っている。たとえそれがリオネルの意向とは違っていても、大公殿下の脳細胞が活発になればよい。
マコトは、トマのそういう面を知ってか知らずか、これ幸いとベッド上での演説を続けた。
「敵はおれをビビらせて、おれの動きを封じようって作戦かもしれないだろ。ビビらせておけば大したことは出来ないっていうさ。要は腹の探り合いなんだから、これしきのことなんでもありませんって、こっちも平気な顔していなきゃいけない」
「それは……」
それは、リオネルがこれまで考えていたことの一つだった。
「身の危険は感じたけど。でも、記憶を奪うとか、寝込みを襲うとか、あとオグライゼンは丸腰のおれに攻撃すらしなかったよな。ルネにはあんな酷い事したのに」
マコトは、ルネの一件を根に持っていた。
水車に縛り付けて、時間がきたら溺死する仕組みで殺そうとした。拷問以外の何ものでもない。
一方で、そういう卑劣な思考回路の人間が、マコトに手を出さなかったのは不可解だ。
「……マコトが言いたいことはわかる。けれど全て賛成じゃない」
「なんで?」
「魔力を奪われることが、どれほどのことか君はわかっていない!」
この世界の人間は誰しも魔力を持って生まれ、それが栄養素となって生命を支えている。つまり、魔力の枯渇は命に関わることだ。
「記憶が戻ってくるときも、今日も、君は魔力を吸い取られる。命を取らなくても、じわじわいたぶっていると言えるんだよ」
リオネルはトマに目配せした。
出ていけ、という合図である。トマは飲み物を用意してくると言い、二人の騎士を連れだって退出した。
「ちょっと落ち着こう」
そう言うと、リオネルがベッドに腰かける。
マコトをそばに座らせ、自身もあぐらをかいた。
「な、なんだよ。おれは絶対引かないからな」
「そうじゃなくて」
水色の瞳はマコトをじっと見上げる。
そしてマコトの素足を取って、自分の膝に乗せた。
「な、なに…」
リオネルは、近くにあった台拭きを手繰り寄せると、ゴシゴシと力強くマコトの足を拭いた。
「他には、どこを触られた?」
「え…いや、左の、足首だけ」
「掴まれた?」
「……だと、思うけど」
リオネルがマコトの踵を持って、そのまま上に持ち上げる。
反動でマコトはベッドに倒れてしまった。
脚に何か触れた。
何かと思って腕で支えて身を起こせば、リオネルが、マコトの足首に口を付けていた。
「ちょ! ま、お前なにしてんだ!」
「何って消毒に決まってるじゃないか」
視線を合わせたまま、リオネルはマコトの足首に噛みついてみせる。
がぶがぶと、軽く甘噛みするような動作に、マコトは何故か顔が熱くなった。
「ば、ばか! 消毒ってお前」
「じゃあ上書きする」
ちゅっと音を立て、何回も足首に口付けするリオネル。
「へ?……」
あまりの事に、驚いてマコトの目が見開かれる。
さっきまでせわしなく動いていた口も舌も、電力が落ちたように停止してしまったのだ。