第十三話 這いよる異形 ▼R15
※暴力、恐怖表現があります。
苦手な方、無理な方は途中でも引き返してください。
何度かシーツの手触りを確かめた。
マコトは夢うつつ、身体の中でバクバクと鳴る血管の音を聞いた。
おれはまた気絶したんだ。何度もやると、大抵慣れてくる。ただ慣れるといっても、それが痛みを伴い強烈な不快感を与えることには変わりない。
それでもやっと息継ぎができた。戻ってこれた感覚を覚えているものなのだ。
目を閉じたまま何度か深呼吸を繰り返す。
手に当たるリネンが、客室のベッドだということを思い出させた。
そうだ。おれは新しい街に、宿に来た。
ここはもう、小学校でも、日本でもない。
そうやってゆっくり重い瞼を開けた。月明りが遠くに見える。他にランプや人影はないようだ。夜ならもう一回寝てしまおう。ジャンや誰かを起こすことはない。
マコトはそうして何度か深呼吸を繰り返すが、心臓のバクバクという音が小さくならない。
これは暑いのかもしれない。
寝ぼけた状態で、マコトは着ている服を掻きむしった。少しでも脱げれば違う気がした。足をばたつかせて、薄い掛け布団を蹴り上げた。
やはり、ベッドの中で熱を持っている。
その熱源は自分だ。
暑い、寝苦しい。マコトの意識が、浮かんではまた沈んでいく。
自分が汗をかいているのがわかる。布が張り付いて、気持ちが悪い。
だが、ただ暑いだけではない気がした。
身体の内側に熱がこもっている。この熱が放出されれば楽になるのではないか。
そう思うが、熱を逃がす方法がわからない。
最近、暑くて夜にうなされていることがあった。
夢で見た、夏至が近いことと関係があるのだろうか。リオネルに相談するタイミングが掴めなかった。
だって、大丈夫だと思った。ただ、夏が近づいてきただけだって。
おれが暑がりなんだって。
それにもし、また捜索するリオネルから留守番を言い渡されても嫌だ。
前回は、料理を覚える、馬のあしらいを覚えるとかやることが明確にあったけれど、仕事終わりにみんなで報告している時、おれだけ仲間はずれだと思った。
あのピッケだって働いていたのに。
―――かたかた、ミシッ、ミシッ。
なんだろう、風の音かな。窓に風がぶつかったような、軋む音がした。
だめだ、暑い。
マコトは寝間着を脱ごうと手をかけた。
湿っている。それほど汗をかいたのだろうか。
湿った寝間着は寝たままだと脱ぎづらかったが、なんとか引っ張って無理矢理脱ぎ捨てた。ベッドの上、下履きだけの姿で、ホッと一息ついた。
気持ち楽になった。寝間着を脱いで、少しだけ不快感が和らいだのだろう。
なんとかもう一度寝られそうだ。そう思った。
ひたり、と何かが足に触れた。
ビクッとマコトの身体が反応する。無機物じゃない。
布や木や、まして石のように冷たいものではない。
バクバクと鳴っていた心臓の音が、全身を回り始めた。
目を覚ませと脳みそに訴えかけている。
ひたり、とまた何か触れた。左の足首に、何かが触れた。
生暖かい何かだ。何だ、バックでもいるのかな。一緒に寝る習慣はなかったけど。
「……バック?」
掠れた小声で、マコトは名前を呼んだ。反応はない。
後からヒッと、何か聞こえた。
やはり、何かいるのか?
頭が冴えてきた。きっと声を出したからだ。
「なあ、バック?」
もう一度小さな声で呼びかけた。少し上半身を起こして、足元を見ようとした。
がし!!
左足首を掴まれた。つかまれた?!
指がある! 手だ、これは手の感触だ!
「ひ、ヒヒ……さ……すすが、み、神子さま。みこ、さま、む、ま、まりょ、魔力だ。は、ヒヒ、ヒヒ」
しゃ、しゃべった。人、人なのか?! 何か言っているがよく聞き取れない。それより、マコトは心臓が痛い。身体のなかで跳ね回る鼓動が苦しい。
動かない。身体が、強張って、息すらまともに吸えていない。
左足の上に、のしかかるようにもう片方の手が伸びてくる。掴まれた。皮膚があたる、生暖かい肉の感触。肉だけではない。変な感触がする。
それは足元から、マコトの頭の方へ上がってくるようだった。
「まま、むむ、まりょ、まりょく。おいし、すごく、おいしいいヒヒヒ」
ぼたぼた、何かが垂れる。
目を凝らしてよく見ようとした。ハアハアと息が上がる。
暑いだけではない、危険だ。何かそこにいる。
月明かりがぼんやりとそれを照らすと、マコトは声にならない悲鳴を上げた。
ぶるぶると震える手で枕を探し、掴もうとするが、緊張でうまく指が開かない。
こんな時に限って、動かない。
いる! いた! 誰か、誰か助けてくれ!!
目玉が暗闇に二つ、浮かんでいた。まん丸の、ぎょろりとした目玉。
けれど、人にしては小さい。人にしては、何か変だ。
もう一度それを見ようとすると、目の前の景色と、別の景色が重なった。
前にも一度あった。遺体と、姉貴の遺体が重なって見えた時だ。
―――マコト、なあ頼むよ。これっきりだから。
―――ツアマネ、顔が広いんだよ。きっと成功するから。
―――売れるよ? 売れた方が良いだろ? チャンスなんだよ。
そういって、マネージャーはおれをある女性の所へ送った。
うちは小さな音楽事務所だ。業界大手に睨まれたら生きていけない。そんなのわかってる。
でもどうしておれが、おれなんだよ。
―――役得だ、ぐらいに思ってればいいんだよ!
―――彼女もそんな悪い見た目じゃないだろ?
―――綺麗な人だよ、そんな神経質にならなくても。
だからなんだよ! ふざけんなよ! 馬鹿にして、馬鹿にして、馬鹿にして!
目の前が真っ赤に染まった。腹が立つやら悲しいやら悔しいやら、感情はぐちゃぐちゃで、押し殺すのがやっとだった。
それでもホテルのドアをノックしたのは、おれだ。招き入れられて、石鹸と香水と酒の香りがした。
―――マコトくん、緊張しやすいって聞いたわ。
―――大丈夫よ、心配しないで。リードしてあげるから。
―――ゆっくりして、目を閉じてて。やってあげる、ね。
その時のおれは、どんな顔をしていたのだろう。
彼女の手が、女の細い手がベルトに伸びて、外されていく。膝を、女の手が掠めた。
もう見ていられない!
咄嗟に目線を上に外した。かちゃりという音がする。
その時見た天井が、重なる。
マコトのいる寝室の天井と、あのホテルの天井が重なって見えた。
「たす、たすけて……」
一度搾り出した声はみっともなくて、弱くて、恥ずかしかった。
喉をせり上がってくる熱いものを呑み込んで、もう一度足に目を遣ると、暗闇に浮かぶ不気味な目玉と視線がかち合い、叫んでいた。
言葉にならない叫び声だった。