第七話 レリーフと少年Ⅰ
翌日もリオネルは犬のバックを連れて町を散策する。
赤土の土壁で出来た家や商店、薄い灰色の石畳はよくある街並みだ。川岸に近い小売店をいくつか周り、小物や刀剣を見て回る。
一応、買い付けの商人だとか、道楽で商いをやっている外国の貴族と適当な設定がある。
店主に踏み込んだ質問をされてもいいように、または、昔から身分を隠して遊びまわっていた時の癖だ。
リオネルは自分の経験がなかなか役に立っていると自負している。
バックはリオネルの一歩後ろで、赤銅色の目で真っすぐ見上げてついてくる。商店の前で行儀よく座って待つことも、時折周囲を警戒することも忘れない。
全くもってよく出来た犬だ。
昔からの悪友といえばアスクード伯が筆頭だが、ここに来て思い出すのはもう一人。
黄色い髪の変人だ。彼が力になってくれれば、こんな苦労はしなくて済んだのだが……
そう考え事をしながら、また商店に入っていった。
「こんな立派な細工、ここらじゃ扱えないよ」
「そうか」
「木工細工なんて、王宮が独占したいんじゃないの? じゃあ東部へ行かなきゃ。この国はね、木製の家具をそりゃあ大事にしてるから。自慢なんだよ」
眼鏡をかけた小柄な店主が言うのも当然だ。ジアンイット王国は、他の国より平野と森が多く、それらを大切にしてきた。神霊院や神祇官に従い、二百年前に転移してきた先代の転移者に敬意を払い、建国したばかりの国は独自の文化を発展させたのだ。
木が高価なら、木を扱う職人は貴重だ。腕の良い者しか扱うことを許されない。原価が高いからおいそれと失敗できないのだ。陶器や石細工は失敗しても割ってしまうが、木はそのおが屑まで売れる。
だからこんな見事な木製の柄と鞘を細工した職人は、相当の手練れのはず。細工師として無名なはずはないと思ったのだ。
アテが外れたのだろうか……
ジャンたちも頑張ってくれているが、一向に“一つ目のダグ”の情報は得られなかった。別行動のトマからも二日おきに連絡が入るが、手掛かりは掴めていないそうだ。
「ああそういや、なんとなくだが、この柄どっかで見たよ」
眼鏡をぐいっと押し上げて、どんぐり帽子の小柄な店主が頭を傾げた。
「え…それ、それどこで!」
「どこって…どこだっけかなあ…」
店主が店の天井を見上げる。何とももどかしかった。気が急くところを、強く拳を握って抑える。
「おれは生まれ育ちはずっとこのピウタウだから」
「っ ありがと! 親父さん!」
リオネルは店主の手から小刀をひったくるように受け取る。帽子を被りなおした。
「あ、おい」
「そのチェス、白が三手でチェックメイトだ!」
店主の前に置かれたチェス盤をちょっと見ただけで、頭の中で駒を動かしていた。もはやリオネルの癖だ。誰かと勝負していたようなので御礼がわりに告げていった。
店の外に出たリオネルに、ドンっと小さな衝撃が走る。
「いってえ~」
少年が転んでいた。ぶつかったのだ。
興奮して飛び出した自覚のあるリオネルは、急いでいたが足を止めた。
「ああ悪い、ごめんごめん」
歳は十歳を超えたぐらいだろうか。手を差し出して起きるのを手伝う。
その時、少年の目が左右に動いたのをリオネルは見逃さなかった。
「……気を付けてね」
口元に笑みを浮かべて、リオネルは店先で待っていたバックに声をかける。
歩きだしてしばらくすると、道を曲がった。立ち止まって振り返る。
「バック、座って」
バックは大人しくその指示に従う。ちょっと小首を傾げて、どうしたの?とでも言いたげだ。
「すぐにわかるよ」
リオネルが言うや否や、足音が近づいてきた。
「あっ おい! おっさん! 返せよ! おれの財布!」
先ほどぶつかった少年が叫ぶ。
八重歯が覗いて見えた。リオネルは少年の帽子を素早く取った。
「何すんだよ! おい!」
「口の利き方がなってないな。君、ドッピオか」
あらわになった少年の髪は短い。そしてどうも自分で切ったようにあちこちの長さが違う。そのうえ淡い水色の髪は、襟足だけ濃い青色だ。二毛の人間は珍しいが、たまに見かける。
「返せったら!」
少年が精一杯、背伸びをして手を伸ばす。身体を張って叫ぶ元気はあるようだ。
「じゃあまず僕の財布を返して」
栗色の瞳がぱっと大きく開いた。
「ほら、怒らないから…」
リオネルが手を差し出すも、少年は目をきょろきょろさせるだけだ。
「ワン!」
バックが少年に吠えた。牙も見せて、低く小さく唸る。
驚いた少年が、すごすごとポケットからリオネルの財布を出して渡した。
「…衛兵に言う?」
「言わない」
これしきのことで衛兵を呼んでも仕方ない。子どもがスリなんてするのは、王族として自分の手の届かないことを痛感させられる。
盗みなんてしなくてもこの国は豊かなはずだ。けれどこの子の場合はそうじゃない。
「孤児かい?」
「うるせえ! おれのを返せ!」
リオネルは少年の帽子をくるっと回して、宙に投げた。慌てて少年が受け取る。
「財布は!」
「その中」
背中を向けてそう言うと、そこを立ち去るつもりで歩き出したリオネルに痛みが走る。
「っばーーか!」
少年が舌を出して走って逃げていく。バックが一回吠えた。
リオネルは後ろから蹴とばされたのだ。
走り去る少年の後ろ姿に、苦笑いが浮かぶ。そして大公は身体の力を抜くように、大きく息を吐いた。
「……さて、バック」
リオネルは小刀を出してバックに見せた。にっと楽しそうに、白い歯を覗かせる。
「宝探しといこうか」
バックは、じっと小刀に掘られた模様を見つめた。