第五話 ピウタウ
「おいそこぉ!前足に体重をかけて、後ろ足でバランスを取れ!何やってんだ!」
「すぐにオールを使えるように上半身は準備をしてろ! ほら後ろが詰まっちまったじゃねぇか!!」
「前の奴が遅いんだよ!」
「じゃあお前らがスピード合わせるんだ! 陸じゃねぇんだぞ! ボサっとすんな!」
桟橋から大きな声が飛び交う。
川幅の広いココン・ドネ川と繋がる町の運河は、幾艘もの小舟やボートが荷物を乗せて行く。大きな船から小舟に荷を下ろしたり積み込んだりと、船頭だけではなく商人や雇われの水夫の姿も見えた。
「あの真ん中で一際大きい声してんのは誰だい?」
「ああ、ここらの船頭の顔役だよ。年取って引退したのに、ああやって若手や新入りをしごきに来るんだ」
「へえ、元気があっていいな」
「頑固親父でね、好き嫌いも激しくて。まあピウタウの中ではちょっとした人さ」
太陽の陽射しに、上半身裸で荷下ろしをする水夫たち。
そこに混ざって、濃いオレンジ色の髪をした男が水夫に聞いた。
彼は水夫の中では一際大きく、良い体躯をしている。その肌は深みのある茶色で、丈夫そうな身体をより精悍に見せていた。
顔は、下ろした髪でよく見えない。
「あんた新入りかい?」
「ああ、まあな。出稼ぎだ」
「どこから来たんだい?」
「東だよ。王都よりも東」
「へえ、あっちじゃ碌な仕事がねえんだな」
「おれは親の代でこの国に移住したよそ者だからな」
「そいつぁ苦労してんだな」
「おう新入り、今度飲みに行こう」
「それがいいや、おい、名前は?」
「カークってんだ」
「おっしゃカーク。お前さんはなかなかよく働いてくれるから、一杯おごってやるよ」
「そりゃいい。楽しみだ」
近衛騎士カーク・ハイムはその身分を隠し、水夫として働いている。
荷下ろしが一旦終わると、その場は解散となった。また次の仕事が舟でやってくるまで休憩となる。
※
ジャンは賑わう店内を見渡し、目的のオレンジ髪を見つけると隣の席に座った。
「焼き魚、葡萄ジュースにピタパンと揚げモチ、季節野菜の甘酢あんかけお待ち」
「おお」
「いらっしゃい、お兄さんは?」
そういう店員は、見慣れた髭のマハーシャラだ。ただし頭部は布を巻き、眼鏡をかけている。
「鴨の口の唐揚げと、オムレツと川海老の炒飯。ライム水を一つ」
ジャンが看板にあるメニューを読み上げると、毎度ぉ!と威勢の良い返事が聞こえる。
マハーシャラも、店に馴染んできたようだ。
ジャンは変装らしい変装ではないが、着崩れしたヨレヨレの半袖が、如何にも労働階級らしく、手ぬぐいを肩からかけていた。
「様になってますね、みんな」
オレンジ髪で鼻から下しか見せない、カークがにやっと笑った。
「うめえなあ! ここの飯は安くて旨い。いい店だ」
粗野な言葉使いの後、ひっそりと小声で隣のジャンに言う。
「まだまだですね。手がかりなんてあるのかわかりませんが…とりあえず、ルネの客だったんで、そのうちコールボーイの店に行けたら良いんですが」
「それは貴方かマハーシャラが適任です。私はギルドの方へ渡りをつけたくて」
「あいつら、職人ギルドなんて閉鎖的でしょう?」
「洗濯の届け物をするか、ピッケのパンですね」
「なるほど。あいつは意外と戦力になりましたね」
「頼もしいです」
ジャンはひたすら水汲みをして井戸のない家に届ける仕事や、公共広場で洗濯屋をして良い汗をかいてきた。
近衛の稽古とはまた違う清々しさだ。そしてジャンの人柄や外見からは親しみを覚えるのか、街の人たちともすぐ打ち解け、世間話をするようになった。
町の中心部にある公共広場には、パン焼きの窯がいくつもあり、家に窯がない人たちが焼きに来る。
他にも水路から水を引いて、洗濯する一角が設けられている。大きな大衆浴場、いわゆる銭湯もある。集合住宅が多い街中は、こうした公共施設が軒を連ねている。
全ての町がこういう風景というわけではなく、古くからある生活様式がこの辺りに残っているのだ。
ディアメは東のココン川、西のココン・ドネ川が交差する水上交通の要衝だった。
そこから西のココン・ドネ川の上流へ行くと、川沿いには点々と町があった。
中でもこのピウタウは中規模で、町の歴史は国より古い。
それだけ昔堅気の人間も多く、これまでの王都に近い大公領とは様子が違う。
独自に発展してきた誇りと伝統があり、職人や船頭はその最たるものだ。
だからこそ、町の移り変わり、人の出入りにも詳しい。衛兵より余程目を光らせている。
ルネの客、もしくは“一つ目のダグ”とかいう細工職の男が、この町に滞在していたならば、どこかで目撃されているかもしれない。
どんな奴でも日常生活に関わる所へ出入りする。
例えば、マハーシャラの働いている飲食店もその一つだ。
この町でなくても、近隣で見かけた、知っている、聞いたことがある。
どんな情報でも良かった。手がかりになるものが必要だ。
リオネル大公の潜入捜査は、ある意味、何の確証もない無茶でもある。
ここにいないトマは、スーレン一族と連絡を取るのに別行動だ。彼らの外見は特徴的で、何人も連れだって歩けば目立つ。
だがその情報網に期待するしかない。後は地道な聞き込みだ。
そんな暗中模索の潜入捜査で、大きな働きを見せたのが侍従のピッケだった。
ピッケは、毎日ハヌ粉パンを売り歩いている。朝とおやつ時の二回。朝は至って普通のハヌ粉パン、おやつ時には甘い蜂蜜を練り込んだパンを売る。ピッケはパン屋の息子だそうだ。王都にある商店街で、代々受け継いできた老舗らしい。
売上も上々だが、何より子どもで大人の警戒心が薄かった。
頑固で人を遠ざけたがる職人や、その工房にも売りに行けた。これは大人では出来ない。売っていると大人たちから色々な話が聞けて、騎士顔負けの大活躍だ。
「あいつは大物になりますね」
「ああ、私もそう思うよ」
ジャンは労働の後のライム水を一気に飲み干した。
見えない敵を警戒する長期戦の中で、こうした汗水たらした労働は随分と気持ちが軽くなるな。そう思いながら、追加の注文をした。