第十一話 転移するもの
第十一話 転移するもの
ふかふかのベッドに寝転んで深呼吸する。あの時のいい香りはもうしないが、気持ちのいい寝具って安らぐよな。おれはずっと煎餅布団しか使ってこなかったから、これは相当の贅沢だ。
それからいつの間にか寝てしまったらしい。目が覚めて、ジャンに夜食を頼む。今日はチキンソテーに、付け合わせのサラダとじゃがいものポタージュだ。この前なんかナポリタンもどきが出てきて、けっこう好みの味だった。ただしこの国のお子様の分量しか食べられない。そりゃ、おれが一食五人前ぺろりと平らげるなんて無理な話だ。食後のお茶を飲み終えひと心地つくと、来客があった。
青い髪の神祇官は、この世界の牧師とか僧侶みたいな宗教職だという。
「転移者マコト様。夜分に失礼致します」
顔立ちはアジア人、それもかっこいい日本人のような風体で、渋みと野性味があって、神祇官の衣装を着ていなきゃギターやマイクを持たせたいと思った。トマはバンドマンというより竹の子族の方が合っている。でかいスピーカーを担いで、路上パフォーマンスなんて楽しそうだ。
おれの転移の術は中央神霊院というこの国で一番大きな神殿で行われた。そこで、本来ならおれに色々事情を説明し、教育と世話を兼ねるのは神祇官の役目だったという。ただおれが倒れて、異常事態だったために王様が配慮してリオネル殿下に預けた。
「ですから本来我々は、伝え聞いたどのような混乱からも転移者を守るのが使命と、そう思っておりました。特に転移が決まった数年前から、お迎えの準備をしていたのです」
髪色と同じ深い青の瞳は熱っぽい。それは前のアスクード伯の時とは違った。こう、信仰というか、おれをすごく良いものとして見ている気がする。同じ人間なのに、別のものを見ているような目だ。おれが怪訝な顔していたのだろう。ヨギ神祇官は慌てて居住まいを直した。
「大公殿下に不満があるわけではありません。ただ、補足といいますか、殿下方もお忙しい御身であらせられるので、神霊院を代表して」
「あのさ、遮って悪いんだけど、要点だけ教えてくれるかな? おれ阿呆っていうか、理解力が足りないというかなんというか……記憶封印も影響してると思うけど」
「ああ申し訳ございませんでした」
「あと話し方をもう少し、簡単にしてくれると助かる」
ヨギは一呼吸おいて、何度か頷いた。
「生きてお会いするのが我が身の望みでしたので、すみません。いささか夢の中にいるようで、その、年甲斐もなく」
「いやいい、いいってそんな」
だめだこりゃ。なんでこの人がサイゼル殿下と仲良しなんだろう。全然タイプが違うと思うんだけどなあ。
「大公殿下の許しも得ております。マコト様にわかりやすく説明するようにと」
あの方は色々とすっ飛ばす方なので、丁寧な教えは元々向いてないと初めて柔らかい表情を見せた。笑いじわがなんともいえない大人の魅力になっていて、かっこいい。こっちの方がずっといいな。
「リオネル殿下は、トマにも言われてたけど、色々大変な人なんだな。すっかり騙されたよ」
ふふっとヨギが笑った。
「王侯貴族は仮面を張り付けて生活するのが当然ですからね。その上、あの方の枠にはまらないご気質がねえ」
「うん。でもほんのわずかに、その素の部分が見られると嬉しいよ」
ちやほやされるのは仕事だと思えば別に気にならないけど、騙されたり嘘をつかれたりするのは嫌だ。
「マコト様、マコト様は今、転移者と呼ばれております。なぜ、この転移が行われたかご存知ですか?」
リオネルの水色の瞳が脳裏に浮かんだ。あの時、何か悲痛なまでの必死さを感じた。
「敵がいるって。困ってるから助けてほしいって言われた」
「……それだけですか?」
頷くと、ヨギは大きくため息を吐いた。ため息より煙草の煙の方が似合いそうで、眉間にくっきり皴が寄っている。
「ジャン殿も話してないのか」
「私は」
「いや済まない。侍従騎士殿はそういうお役目ではないな。悪かった」
「いえ、どこからお話すべきかもわからず、マコト様のお気持ちに沿えませんでした」
「え、なんだよジャン。そんなこと思ってたのか?」
とんでもない。おれがここでなんとか衣食住できて、毎日生きてられるかといえば、リオネル殿下のお陰でもあるんだろうけど、そばにいてくれたのはジャンだ。それを何とか力説すると、ジャンは嬉しいような泣く手前のようなそんな顔をした。
「ごめん、早くお礼を言えばよかった。本当にありがとうな」
「いえそんな、畏れ多いです…」
熊とゴリラとゴールデンレトリバーを足したような、純粋な男が感極まっている。見かけはあれだけど、ジャンの真心が感じられておれまでちょっと鼻の奥がつんとした。
「それで、マコト様。敵がいるからマコト様を呼んだとお思いですか?」
「え?」
ヨギの問いかけにどきりとした。真に迫るような顔。そう思っていたけど違うのか。
「敵、と言ったのにはリオネル大公の私情が大きいでしょう。トマ様からはどのように聞いておられますか?」
「歴代の転移者が、国を助けてきたって」
「……そうです。国が窮地に陥り、助けを呼ぶのです。他の国にもそういった転移者の歴史があります。けれど、正式に認められたのは」
「五人だ。おれで五人目、そう聞いた」
「そうです。初代様は実は転移の術を行わずに、突然現れたと聞いております。ご本人は『神隠し』と仰ったそうです」
神隠し。それならわかる。日本では昔から、急に子どもが消えたり、別世界に行ってしまったという伝承や昔話がある。こういうの、洋司先輩が詳しかったんだ。リオネル殿下の魂が見えるとかそういうのも、向こうじゃ霊能者扱いになるんだろうな。洋司先輩はちょっとそういうのがある人らしくて、マスターとか、色んな人の相談に乗ってた。普通の若者って感じなのに、時々別人に見えたものだった。
「なるほどね…おれは神隠しにあったのか」
「そのとき大陸全土に広がっていたのは『白燐病』という恐ろしい病です。初代様は我ら森の民と力を合わせて、その病を鎮めていったというのです。それが広まり、誰もが知る伝説となり、窮地の際には異世界から人を呼ぼうという試みが繰り返されました」
―――おいマコト、二日酔いか?
―――マコト、こんな時間にラーメン?
―――いつかマコトとセッションできるといいな。
ふと、色々な声が聞こえた。最初の声は洋司先輩だ。あと二人は誰だ?
ヨギは、連なる深い山、魔力に満ちた森の緑がどうとかって話をしている。おれの頭には同時に別の映像が重なって見える。
―――マコトさん、四番ヘルプお願いします。
―――あれ、フルーツ盛りはどっちでしたっけ。
―――頼むよ、今月は金がなくてさ。
暗い店内に響く人の声。煙草の匂い。おれはライターで隣の人の煙草に火をつけた。こう、手で覆うようにして。顔を近づけてやると、効果は絶大だ。嬉しそうに身体を密着させて、リシャールを入れてくれる。マイクを持った洋司先輩がおれを立たせて引っ張りだす。
人の肌から、酒を飲んだ後の独特の香りがする。だめだ酔いそう。
―――しっかりしろよナンバーフォー。
―――この町の店で五本指の売り上げってことは向いてると思うよ。
―――マコト、ホストと酒飲みは違う。一線引くのがプロだ。
洋司先輩、圭一さん、八尋。おれ、思い出しましたよ。
ぐにゃりと重なった視界が歪む。そのままおれは気を失った。
誤字訂正しました。(2023/07/29)