第五十四話 春の鶴たちⅡ
精巧な人形だと言われても納得してしまうかもしれない。それほどルネは整った顔立ちで、中性的。もとい男くさい感じがない。かといって、女性の丸みとも違う。思春期の青年のような伸びやかな手足とどこか幼さを残す顔の輪郭は、こちらでも稀少な、類まれなる美貌だ。そのルネの赤紫の瞳は、時折燃えるように揺らめいた。それ以外は、全く顔色を変えず、静かにそこに佇んでいる。受け入れたか、諦めたのか、それはわからない。
「それで、僕に春鶴が領内にいると訴えたかったのか」
違法な身体、生業のために作られた身体持つ彼らはある意味異形である。大人として発達しきれない、けれども子どもでもない。性の玩具として売られた彼らは一生日の目を見ることはない。
存在が官警に知られそうになれば、また別の街に売られて行方がわからなくなるだけだ。
ルネは子爵邸に買われている間に、大公が来ると聞いた。この千載一遇の機会を逃すことはできなかった。
「それだけではありません。私は、私は自分を身請けしようと思ったのです。店との契約で、稼ぎを貯めればそれができるはずでした……それを、それを貴族に、踏み躙られたのです」
最初に気づいたのは、弟分の薬代だった。
足の悪い彼は、薬草から作った湿布と飲み薬が欠かせない。昔、客に折られた脚。それは長いこと治療されず歪に曲がってしまっている。それが時折痛むのだ。
その痛み止め、熱さましも必要だった。
だからおれが肩代わりをしていた。薬は大事に取っておくものではなくて使うものだから、遠慮せずに使えとおれが言った。
客の火遊びが原因で、火傷がある奴もいる。彼の薬代も肩代わりした。
それを差し引いても十分、ルネは小金が貯められるだけの稼ぎがあったからだ。
ところがある日、弟分が熱を出して唸っている所に居合わせた。
何故薬を飲まないのか、もっと良い薬がいるのかと聞くと、薬がないと言う。
相当痛みを我慢していたのだろう。身体を貝のように丸めて強張らせていた。聞けば、薬は随分前に切らしてからそのままだという。自分で買おうと思ったが、稼ぎが悪くて自分の食事代を店に払うだけで精一杯だったらしい。
根耳に水だった。
ルネは薬代を毎月支払っているはずだ、おかしい。
それを店のオーナーに問い詰めると、そんな約束はしていないと言う。
ではおれの金はどこに消えたのか。
それだけではなかった。
「薬代として渡していたはずのおれの稼ぎはどこかへいった。他の奴らの稼ぎも、実入りが減っているから、店への借金を増やしたと言っていた……故郷に稼いだ金を送る奴も、病気の家族を抱える男もいる。おれは馬鹿だった…おれたちは、馬鹿だった…」
全て話し終えたルネはバートン子爵を睨んだ。その瞳が激しく燃えている。
「こいつが、おれたちが外国貴族や商人に買われるときに、仲介料を受け取ってたんだ! なんとかオーナーを酔わせて、それを聞き出すまでどれだけ苦労したか……哀れむような目でこう言われたよ。『まともになろうとするな、どうせお前らはまともじゃねえんだから』って」
マコトは、身体がどこかへ行ってしまった感覚に陥った。
ここではないどこかを見ている。脳みそだけになって、この光景を見ている。そんな気になった。
ふと思い浮かんだのは、『旅立ち』という歌だ。
それはある日の光景と重なった。
姉が死んでしばらく経ったある晩、夜中にふと起きてしまった。水を飲もうとお勝手にいくと、電気はついていないのに、居間から光が漏れている。
なぜだろう、不思議に思ってこっそり居間を覗くと、母の横顔が見えた。
ざあざあと、雨ではない。テレビ画面の砂嵐の音だった。
ざあざあ、砂嵐の光に、おふくろの顔が照らされていた。
おふくろの頬を、すっと一筋涙が流れた。しばらくすると、また一筋。
でも、一つも声を漏らさない。
テレビの光で浮かびあがるおふくろの横顔は、怒っているわけでも悲しいわけでもなさそうで、それは初めて見た表情だった。ざあざあと、砂嵐の画面を見ていたおふくろ。いや、見ていたのかさえわからない。
マコトは、何か見てはいけないものを見たと思った。
息を殺して自分の部屋の布団に潜り込む。なぜ、どうして。理由はわからなかった。
理由ははっきりとはわからなかったが、頭まですっぽりと被った布団の中で、きっと姉貴のことだ、ユキ姉のことだと思った。
そういう気がした。子どもながら、それは確信に近い直感だった。
その時流れていたわけではないのに、マコトはこの時の母の姿を思い出す曲がある。
松山千春の『旅立ち』だ。
母の横顔と砂嵐、それから『旅立ち』。それをこの場で思い出すのは何故だろう。
あの頃のように布団を被って、どうしてと、ひたすら問いかけるのか。
誰に?
一体おれは、誰に、何を問いかけるというのだろう。
色んな曲を思い出してきた。全部思い出して、昔のように弾きたいと思った。
でもここへきて初めて、マコトは頭に流れてくるこの歌を思い出したくないと感じた。