第十話 神祇官と魔法陣
第十話 神祇官と魔法陣
「これが本来の陣、こちらが使われた陣の複製です。ここを見てください」
おれには難しいというか、読めない。円の中でミミズと図形が踊っているようにしか見えないが、リオネル殿下やトマはわかるのだろうか。
「書き換えられている。間違いなく神祇官の中に手先がいるな」
「ここに書かれた封印魔法は、土魔法の一種に区分されます。ですから封印式を解くには、水魔法で洗い流すようなものを新たに考案してはどうでしょうか」
「やれるか、サイゼル」
「だから、おれを誰だと思っている」
「なあ、サイゼルって魔法がすごいのか?」
おれはこっそり小声で後ろのジャンに聞いた。リオネル殿下とは歳が離れていそうだ。どちらかといえばおれの方が近そうで、若いと感じる。なのにいつもリオネルと対等のような口ぶりだ。
ジャンは驚きながらも答えてくれた。
「大陸でも名の通った高名な魔法学の学者様ですよ」
魔法学、魔法が学問というのはいまいちわからないが、とにかく、その道で有名なのはわかった。
「そこ、聞こえてるぞ」
「サイゼル、君は自己紹介してないのかい」
「おれが、おれからか?」
鼻をへし折ってやりたい、とおれは思った。確かに、最初に会ったときに、王子様だと言われただけでそれ以外はよくわかってないのは本当だ。
仕方ない。ここは大人のおれが言い出してやろう。
「マコトです。サイゼル殿下」
「どうもマコト、転移者殿。マジェスタ国国王末子にして魔法術式の天才児、サイゼル・アンバー・マゼント。十二でこのジアンイットに留学した頃からリオネル殿下とは知り合いだ」
「まあお兄ちゃんだね。互いに王族末子だから気が合うか喧嘩になるかだ」
「兄だとは思えない酷い放蕩に付き合わされて、私はマジェスタ国からいつ苦情の文書が届くかと肝を冷やしていました」
あのトマがにっこり、リオネルを見つめ、その次におれを見た。今日はキレキレだな。
このヤンキーと水泳選手を足したようなトマは、微笑むのは慣れていないのか表情筋で無理やり口元を引き上げている。
少し不気味で破壊力があるというのは黙っておこう。
「大公殿下、私はこの次は何を」
「……ヨギ神祇官、特異点の秘密を守れるか?」
「と、特異点ですか。なんと恐れ多い。私にそこまでの信頼を」
「ヨギ、あまり卑屈になるなよ。お前とて神聖な森の民の末裔だろう」
森の民、確か聞いたことがある、気がする。トマの方をちらりと見る。
「マコト殿、もう忘れましたか?」
あの笑顔! しまった、おれに矛先が向いた。今のは不味かった。非常に、良くなかった。
「初代転移者がその一生を共にした伝説の一族ですよ。あなたととても関わりがありますよねえ、忘れたなんてことはありませんよねえ」
「ミヤツコと申します。転移者殿。ヨギ・ミヤツコというのです」
じんぎ官であるヨギがおれに向き直る。ただどこか、おれに対して興奮したような様子だ。おれも、アジア系の顔立ちのヨギを見られて嬉しかったが、これは期待の眼差しといっていいのだろか。
その後ろから、表情筋で無理やり作った笑顔のトマ。笑っているけれど笑ってない。圧がすごい。二つの異なる眼差しは、どちらもおれの逃げ道を絶つようで、ひどくおっかないが、ここはひとつ、と咳払いする。
「日本人の初代転移者が、こちらに来て子孫を残したっていうことでいいんだよな」
おれも多少は覚えている。しかし“子孫”という言葉が浮かぶと、突然男同士で妊娠ってどうやるんだという根本的疑問が出てきた。そもそも単性生殖もよくわかっていない。よし、怖いから今は頭の隅に追いやろう。
ヨギは満足そうに頷いている。祖先が日本人、こちら側に来てしまった人。その人を先祖に持つから、ヨギの眼差しはあんなに熱っぽかったのかな。
「ヨギ、マコトも聞いてくれ。特異点を持っているのは僕。能力は『神眼』だ。そう名付けた。真贋と引っかけてね。それでマコトが転移した時の人々の反応を見ていたわけだ」
「すみませんサイゼル先生。特異点ってやつは習ってません」
おれは半分、やけを起こしている。にも関わらず、サイゼルは一瞬嬉しそうな顔をすると、こう言った。
「特異点というのは、魔法や術式、あらゆる魔法要素に干渉しない特別な能力のことだ。生まれつきのもので、この特異点を持って命を授かることは稀だ。それゆえ、自分が特異点持ちだとは誰も明かさない」
なるほど、少しわかったぞ。少年漫画である特殊能力みたいなものか。魔法はどうやら学んだり鍛えたりするみたいだが、特異点は違うってことだな。
「この話はここにいる人間にしか明かさない。命がかかってる」
リオネル殿下の瞳が、深く、おれの心を突き刺すように光った。
「して殿下、その『神眼』の結果、何が見えたのですか?」
ヨギも引き締めたような声色だ。
「あそこには見物の貴族と高位神祇官が大勢いた。僕の目は何もかも見抜けるわけじゃないが、魂の揺れ動くのを色で見分けている。兄上の命を守り、国を守るのにも役立っているが、口で説明するのは難しい」
「嘘を見抜ける、みたいな?」
おれが問うと、リオネル殿下がすぐさまそうだ、と言った。
「簡単に言えばそうなる。だから転移が成功し、転移者が目の前に現れたら、誰が動揺するかわかると思った。驚嘆、畏怖、興奮、それ以外の感情に着目した」
リオネル曰く、嫌悪感や、憎悪と必要以上に怯えている者がいたそうだ。
「僕はある意味、それだけでもマコトの転移に意味があったと思う。敵のうち誰かひとりでも見つけられたら、手掛かりになるように目星でも付けられたら大金星だと」
「成功したわけだな。誰かが転移を妨げようとした。そして記憶を奪った」
サイゼル殿下は腕を組み、きりりとした黄色い猫のような瞳を吊り上げる。
「おれの記憶……」
「記憶という形ないものの依り代には、何か魔法のかかった箱や袋のようなものに閉じ込めるはずだ。しかし元が形ないものだ。無理が生じる」
「そう、だからマコトも、時折何かを思い出す」
リオネル殿下は、ぐっと身を乗り出して声に力が入っていた。息巻いて、まるでここ一番、というように、気合というか、熱意を感じた。
普段なら決して見せない覚悟みたいなものが、彼の瞳に宿っている。
おれは、おれはよくわからない。こんな中途半端で、自分のこともわかっていないおれはリオネル殿下の真剣さに撃たれて、胸がつまった。泣きはしないが、腹の中がしくしくと痛むような、些細な怒りと苛立ちと混ぜこぜになった気分だ。
勝手に呼ばれて、帰れないと言われて、その上そっちの事情に巻き込んで、おれからおれ自身を奪った。
今、哀しくないのはそのお陰だ。家族を思い出さない。親しい人がほとんどわからない。その人たちとの思い出がない。だから別れが哀しくない、そうであったとしても『勝手な事をしてくれてんじゃねえ』と、胸の中がむかむかする。
「マコトの記憶が鍵だ」
リオネル殿下がおれを指さす。おい、人を指さしちゃいけないって習わなかったのか。