第四十九話 風に叢雲
あの後、おれたちは子爵邸に戻ってからそれぞれ寝込んだ。
おれは記憶が一気に戻ってきた時と同じように、眠り続けていたという。おれは夢一つ見ないで、起きたら周りが心配そうな顔をしていて、ちょっと面食らったんだ。
リオネルは、水を浴びせられた上に魔力を急激に放出したので微熱を出したらしい。
トマに「もう若くはないのですから」と注意されてげんなりとしていた。
それを見てほくそ笑んでいた伯爵には「どこへ行ったかと思えば、連れ込み舟宿に何日もしけ込んでいたアスクード伯爵。あなたはとてもお元気そうですので、色々と手伝っていただきますよ」とトマの作り笑顔が炸裂した。あれを見ると寒気がするんだよな。
ちなみに連れ込み舟宿、というのは日本のラブホって事らしい。ここでは舟の方が安い上に情緒があって人気だそうだ。
あの長い一日から二日後、おれはなんだかんだ、褒めそやされている。
「マコト様すごいですね! マコト様があえて、水を厩舎の周りに撒いておかれたとは、さすが神子様ですね」
ピッケ、違うんだ。
「そのおかげで、すぐに成り済ましを追うことが出来たんですよ。さすがです。神子様は先を見通してああいった振る舞いをなさったんでしょう」
全然違う。ジャン。
おれは言った通り、ただ帰宅直後のリオネルの不意を突いて水をぶちまけたかった。
むしゃくしゃしてたからイメージトレーニングも熱が入ってたんだよ。
飼い葉桶を借りたし、厩舎のすぐそばに井戸があったんだからしょうがないだろ!
「土魔法の使い手が、地面に証拠を残すとはなんたる皮肉。マコト様にしてやられたわけですね」
トマ、お前本気で言ってるのか。それともわかってて言ってるのかどっちなんだ。
はいわたしは脳内の仮想リオネルにめがけて水をぶっかける練習をしてました。
的にね、正確に当てたいじゃん。魔法で防がれたくないじゃん。
「お手柄ですな、神子様」
元帥まで笑みを浮かべる始末だ。
もう何も言うまい、おれ。ジャンやピッケはともかく、このおっさんに真実は言えない、気がする。
というか、リオネルが熱出したのはほんの少し、わずかにおれのせいなんだから。
その返事のしづらさといったらない。だからおれはずっと食べている。
おれは一日寝ていた、あるいは気絶していたとも言えなくない。その前はリオネルを捕まえる事しか頭になくて食事は後回し。なのに、その後は事件続きで食べれなかったんだ。
そのせいか、それとも魔力が関係しているのかわからないけど、食べても食べてもまだ入る。高校生並みの胃袋だ。
起きてからはスープを中心にゆっくり食べていたが、その後の果物、パン、チーズと固形物になって今は焼きビーフンだ。このディアメ近くで採れた川海老が入っていて、麺は平たく中太ってやつだな。細いビーフンも好きだけど、これはこれで美味い。
香草は好き嫌いあるけれど、こっちの香草はクセがあまりない。良いアクセントになっているし、茎もシャキッという良い歯ざわりで、飽きが来ない。
だからおれは、食べながらみんなの賛辞を受け取っていたということになる。
ところどころ、苦笑いで返事をしたつもりではある。
「それにしても、今日はよくお召し上がりますね」
「いつもの倍は食べてますから、大人一人前ほどでしょうか」
「おれなら足りんが」
「元帥閣下は食事も独特らしいと聞き及んでいます」
にかっと白い歯を見せる元帥。あの並んだ歯を見ると、ホオジロザメとかグリズリーを連想してしまう。
「如何にも。食は身体を作る。おれは自分で用意することが多いな。自分で狩ってきた動物を捌く。それから採れたての野菜、焼き上がったパンかハヌがあれば十分だな。神子様に汁物をお出ししていたが、これも理にかなっている。身体を温める汁物はとても良い」
「はい。それはこのトマが、厨房を借りて仕込んでいたブイヨンスープでございます」
そうなんだよな、食事の支度はトマがすることが多い。
だからジャンには馬を習って、剣術も習っているけれど、追加で教えてもらって、それからトマには料理を教えてもらえるかな。
おれが独立独歩する、第一歩だ。
包丁は持てるが、こっちの世界の食材に詳しくない。便利な調味料や家電もないから、色々と勝手が違うはずだ。
「そうだ、ジャン。おれは馬に乗れるようになりたい」
ジャンは空になったビーフンの皿と、魚の煮つけの皿を取り換えてくれた。これは刻み生姜かな? 見慣れた形、嗅ぎなれた匂いだ。
小皿に炊いたハヌ、つまり米のような雑穀米が足されていた。
うんうん、やっぱりこの醤油の香りがしたら、白米がいるよなあ。
「今でもお上手ですよ」
「乗せてもらうだけで精一杯だ」
「マコト様お一人で、という意味ではないか? ジャン」
トマがデザート用に果物を剥いてくれている。至れり尽くせりだ。
ピッケが出ていったのは、もしかしたら食後のお茶かもしれない。お茶はおれだけじゃなく、ここにいる全員必要だもんな。
トマに助言されたジャンは一拍、考えを巡らせていたようだ。
「それなら…馬そりはどうでしょう」
「馬そり?」
馬そりというのは、昔みたいにロバに二輪車を引かせる荷馬車という事なのだろうか。それとも犬そりのようにスピードが出るのかな。
「はい。この辺りに馬の産地がないので、今すぐに良い馬をご用意できません。その代わり、小型の農耕馬ならおりますでしょう」
「そうか」
初心者用を考えてくれているんだな。ジャンたちが乗る軍馬は大きくて、跨るだけでも結構大変なんだよな。
あの馬たちで練習というのは、さすがに馬にも悪いよなあ。
「そうだな。軍馬の蹄鉄で頭を踏まれては助けようもない」
「うむ、おれもあまり勧められんな。神子様のお身体では、万が一馬が暴れた時に力負けして御しきれんだろう」
え、ちょっと待って。軍馬の蹄鉄? あの極太い脚を支える蹄鉄?
蹄鉄って鉄? …なんか早口言葉みたいになっちゃった。
「ああ、あの馬大きいですよねえ。僕も蹄鉄を近くで見せてもらったことがあるんですけど、西瓜くらいあったんじゃないかな」
「そうですよ、だから落馬するとぐしゃっと」
何がぐしゃっとするのかなトマさん!
帰ってきたピッケがみんなにお茶を出して回る。今日は少し暑いくらいなのでアイスティーにしてくれたようだ。
ちょうど良かったよ。なんとなく、箸がとまっちゃったから。
「ふむ、そりは良いな。何かあっても逃げやすい上に、馬の御し方も覚えられる。危険が少なくて、今後も使いやすいだろう」
「少し工夫して、走らせやすく車輪を調整しましょう。カーク殿が得意だと思います」
「そうだな。おれが連れてきた奴らも使っていいぞ」
「元帥、彼らは私の先輩にあたるので」
この世界にも、気遣いってあるんだなあ。まじまじやりとりする二人を見てしまった。
そもそもジャンは幾つなんだろう。確か、カークの方が年上? でもジャンの方が立場は上なんだっけ?
「……ピッケ、ピッケもおれに色々教えてくれ」
「え? はい! なんなりと!」
わからないことは聞いて覚えていくしかないな。
おれも、ノートに書いてみようかな。
蹄鉄にぐしゃっとされる想像を振り払って、独立独歩の自分を想像する。
やっぱりちょっと怖いんですけど。