あのヤロウ
あのヤロウ...。
わたしは今、今世で一番怒っている自信がある。
今も仁王立ちでアイリの前に立っている。別にアイリに怒っているわけではないんだけどね。
既に身支度は済んでいて朝食をとりに食堂へ行くだけなのだが、とても行けそうにない。
皿を投げそうだ。
そうだ、枕だ。
わたしは寝室に戻るとベッドに乗り枕をヘッドボードに投げつけた。
1つ落ちたが気にしない。
だが、すぐに飽きて今度は枕を殴りつけた。
傍使えのアイリがおろおろしている。
こんなに怒っているわたしを見るのは初めてだろうから戸惑っているのだろう。
だが、人を気に掛ける余裕が今のわたしには、ほぼない。
足で蹴らないだけマシだ。
疲れた...。
ハァハァ呼吸が荒くなったが、とりあえず、とアイリを見る。
アイリはビクッとする。
べつにアイリに何かするつもりはないわよ。
「アイリ。その、なんだっけ、名前...えーと、そうだ、ローザ!」
「は、はい!ローザです。どうしましょう」
気を付けをしているようなアイリを見て和む。こんなアイリも初めて見るわね。
アイリは、そんなアイリを見て顔の緩んだわたしに肩を下ろしている。
すまん、そんなに怖かったか。
「ローザに言っておいて。実行以外はとりあえず現状維持を心掛けてって。すぐに何とかするわ」
「わかりました。皇女様、ありがとうございます」
「あ、それから、今日の朝食は執務室に軽食を用意してくれる?」
「かしこまりました」
アイリは拾った枕をベッドに置くと部屋を出て行った。
わたしは執務室へ行くとエイダンたちに今朝の激高した話をする。
今日のガードはクリスだ。ユーリじゃなくて良かった。
「ドールスタン子爵がユーリに嘘の罪を着せようとしているわ」
「どういうことです?」
「宮城に新しく入った女の子を使ってユーリが女の子に暴行を働いた、という罪よ。あの人、昼餐会でのことを根に持ってたのね。ユーリを失脚させて、わたしにもダメージを与えよう、という魂胆よ。女性に暴行だなんて死刑になる可能性だってある。そんなユーリを任命した責任を問われたり、そもそも演武会そのものに言及してくる可能性だって考えられるでしょう?罪に問われることはないと思うけど、わたしの受けるダメージも相当よね」
「なるほど。それで険しいお顔をされていたのですね」
「あら、そんな怖い顔してた?でも、わたしが怒るのも当然でしょう?ユーリ虐待の罪を明らかにしないことにしてあげてるのに、よくもそんなことを考えたものよ」
「元々、人間性に問題のある人物でしたから見逃すようなことをしない方が周りのためでしたね」
「まぁ、そういう結果になってしまったけど、それは言っても仕方ないわ」
「ところで、それは、どこからの情報です?」
「アイリ。その新人の女の子に相談、ていうか泣きつかれたらしいわ。ある貴族にユーリを誘惑しろって言われた、て。交換条件はいいものだったみたいよ」
「交換条件を保証してくれるものなんてあったんですかねぇ」
「ないんじゃないかしら?宮城入りしたばかりの女の子なんて簡単でしょ。お金と高位貴族の夫、それも複数。平民の女の子にはいい条件だと思うわ」
「何かの罠、ということも考えられますね」
「まぁね。でも、それは可能性は低いと思ってる。その子はローザというのだけど一度はユーリを誘惑しようとしたらしいのよ。でもユーリに声をかけることはできても触れることができなくてユーリが誘いにのってきたらどうしよう、と悩み始めたんですって。作戦決行のときは悲鳴をあげてユーリに襲われた、て言うことになっていたらしいから。でも、その時にはユーリと2人きりにならないといけない。それを無理って思ったら、もう無理だったんですって」
「子爵の手の者に嘘の証言をさせれば2人きりになる必要はないと思いますが...」
「そこまで詳細なことは聞いてなかったのでしょうね。良かったわよ、あっちに出来ないけど、どうしよう、と泣きつかれなくて。じゃぁこうしよう、なんて余計な入れ知恵して作戦決行されたら大変だもの」
「わかりました、そこは裏をとりましょう。で、どうされますか?」
「こんなことを計画していたとわかったら、もう見逃すなんてできないわね。貴族裁判にかけて処罰しましょう。 ...ただ、ユーリが...」
「黙っていても、いずれわかりますよ」
「裁判にかけないで闇に葬ればバレないわよね」
「本気ですか?」
「...嘘です」
世界的に女性に対する暴行等の罪は重い。それは女性の減少に拍車をかける行為であるからだが、我が国でも女性に暴行した者の末路は処刑、強制労働、生涯幽閉のどれかだ。それが冤罪によるものなら酷過ぎる。
わたしとしては、とても許せるものではないし、皇族への危害とも受け取れる犯罪行為。
けれど、実の親に罪を着せられそうになっていた、なんてユーリが知ったら、どう思うだろうか。
ユーリを苦しめてばかりいるドールスタン子爵が憎い。
「ことは急いだ方がいいでしょう。ドールスタン子爵を提訴する準備を始めます」
「うん。それとユーリの傍に必ず誰かがいるように手配して」
「かしこまりました」
礼をして早速動き始めるエイダンたちを眺めながら、わたしはそっと溜息をついた。
裁判の準備は、すぐにできた。ドールスタン子爵と手下どもは既に拘束済みだ。
当然だが、陛下や兄たちも、このことを知って激怒した。
そりゃそーだよな。皇族に対する罪は重い。
...というか、わたしに対する攻撃だったためだった。
被害者は、第一にユーリだと思うのだが4人とも、まず「アニスに何しようとしてくれてんだ、ゴルァァ」から始まるのが、もう笑える。
裁判にも4人とも出席する、と言ってきかない。もう好きにしてほしい。
裁判ではドールスタン子爵のユーリへの虐待も罪に問われた。
今までのことが明るみに出てドールスタン子爵の顔色は土色と言っていいほど悪かった。
判決はドールスタン子爵は死刑、爵位は降爵され男爵位となり長男が継ぐことになった。
普通なら奪爵されるのだが、長男は11歳のときユーリを庇おうとしてドールスタン子爵に殴られたことがあったのだ。当時の使用人が証言しており、この使用人もユーリに食事を差し入れようとしたことを咎められて辞めさせられている。
ユーリにハニートラップを仕掛けようとして断念したローザは3か月の減給処分となった。
わたしは、これに非常にもやもやしている。
ユーリにハニトラですと!?これこそうらやまけしからん、てヤツだ。
わたしがやりたい。じゃなくて、そんな、いやん、なことを無理~、て嘘だろ!?お金払ってでも、わたしが実行したいっつーの(10歳がハニトラとか、どーよ、て話だが)
そんなわけで、ローザがアイリにチクッたお陰で未遂で終わったわけだが、わたしの中でローザの評価は、とても低い。
ユーリを犯罪者に仕立て上げようとしたし、だけどユーリを拒否ったムカつくヤツ。
拒否してなければユーリに迫ることになっていたわけだから、それはそれで嫌だから、拒否して良かったんだが、あの美少年のユーリを拒否って...!(堂々巡り)
いや、わたしの、そんなやましい妄想なんてどうでもよくて、ユーリの受けた傷ができるだけ浅いことを祈るし、更に、その傷ができるだけ早く癒えることも願う。
わたしにできることなら何でもしよう。
そんなユーリは、と言えば、皇族に対する反逆行為も罪にあるためか、裁判中も判決が言い渡されるときもユーリは何も言うことはなく、淡々と裁判結果を受け止めているようだった。
「ねぇ、クリス。ユーリを元気づけるようなこと何かない?」
全てが終わり、落ち着き始めたある日、お茶をしながら、その日のガードであるクリスに聞いてみた。
「そうですねぇ...、わたしなどは単純ですからパーッと飲みに行く、なんて辺りだと思うのですが、ユーリは15歳で、まだ酒、飲めませんしねぇ、すみません、わたしにはいい案が思いつきません」
我が国の飲酒は一応、16歳からとされている。
ただ、そんなに厳格なものではなく祝い酒なら少しくらいいい、と実は16歳未満でも絶対ダメというわけではない。
ユーリの酔った姿...、見てみたい。
いかんいかん、すぐに脱線しようとする、わたしの頭。すまん、どーにもできないわ。
「でも、みんなでパーッと、というのはいいかもしれないわねぇ。みんながユーリを心配してるし、応援してるし、味方なんだ、て思ってもらうのは悪くないわよね...」
チラッとエイダンに目をやる。
「かしこまりました」
さすが、できる傍仕え。




