事件です
ごきげんよう、アニス・ノア・アイスター 9歳です。
仕事してると時間の流れが早い。どこかのリーマンのようなセリフだが、まだ9歳です。
もう第二回練武会の開催の年になった。
騎士たちには緊張が走り、財務官僚たちが忙しそうに、だが、どこかそわそわした落ち着かない空気になってきている。
レスター兄様の組織した査問委員会のメンバーも忙しそうだ。既に八百長や騎士の内部情報を漏らした人間を査問にかけ処罰している。
なんだか怖そうだ。勝手にメガネを中指でくいっと上げて「他に何か言い訳があるのなら聞きましょう」とかいうインテリタイプを連想する。実際には、そんなインテリメガネはいないのだが。残念。
だが、何もしていないわたしも彼らと会うと、びくっとする。
アレか。パトカーを見ると何もしてないのに妙にドキッとするアレか。
もうすぐ病院も完成するから開院に向けた準備も佳境だ。5歳のときも5歳児のスケジュールじゃない、と思ったが、今は、それ以上だ。
アレか。わたしが今も神童とか言われていて仕事できるふうに思われているアレか。
だから神童じゃないっつーの。
優秀な人が周りにいっぱいいて、その人たちが動いてくれるからできてることなんだよ。
更に優秀な上、美しく気高く、そして、どんなものにも優しいという「天使」が二つ名みたいに言われているのも居心地が悪い。
いつ化けの皮が剥がれるか、じゃなくて、猫が外れるか...。
宮城で天使と言えば皇女、つまり、わたしのことだそうで...。
天使が怒るわっ!切実にやめてほしい。これこそ不敬だっつーの。
誰が言い出したんだ。
「アニス」
「ん?」
「何を考えているの?眉間に皺が寄ってるよ」
「レスター兄様」
向かいからレスター兄様と婚約者候補の令嬢が歩いてきた。
婚約者候補がいるというのにレスター兄様は、わたしを抱き上げた。
「...お兄様?何度でも言いますが、わたしは9歳になったのです。そろそろ抱っこはやめていただきたいのですが?」
「大丈夫。先日会った、ある伯爵は10歳の令嬢を抱っこしていた」
だから何だと言うのだ。わたしは恥ずかしい。
しかも、ここは廊下だ。人が多い。
「そんな顔をしないで。せっかく天使なんだから」
...もしや、レスター兄様、お前か?
犯人は兄様なのか...?
「とにかく下ろしてください。これから月光騎士団の激励に行くところなのです」
後ろで、おそらく可愛いと評される日本人顔に近い容姿の御令嬢が睨んでますよ?
わたしを睨んでも仕方ないだろ。それに皇女を睨むとか不敬だぞ。
わかってんのか?
「それなら、わたしも行こう」
「「え!?」」
わたしと御令嬢は同時に声をあげた。
「宮城を案内いただけるのではなかったのですか?」
「騎士の訓練場も宮城内だ。それに練武会が近い。間近で騎士の力量を確認できる機会だ、是非、ご覧になるが良かろう」
「え、でも...」
御令嬢は何か言っているが、既に兄様は方向転換して歩き始めてしまった。
わたしを抱っこしたまま...。
「兄様、良かったのですか?」
「いい機会だ」
「何がです?」
「天使は、いるだけでいいってことだよ」
さっぱりわからん。
それより、もう月光騎士団が訓練しているところに着いてしまった。
御令嬢は明らかに不機嫌そうにしている。
兄様を真ん中にして椅子に座って訓練風景を見ているが御令嬢の様子が気になる。
実は、会ったときも少し気になることがあった。
今日のガードはガイなのだが、わたしを睨みつつガイに微笑む、という難易度の高い技術を披露していたのだ。
イケメン好きのわたしが言えたことではないのだが皇太子の婚約者候補としては、いかがなものか。
ちなみに、わたしは御令嬢のようなテクは残念ながら持ち合わせていないので全員に微笑む、ということにしている。
御令嬢を横目で見てみると、もう不機嫌を隠そうともしていない、イライラと扇子を閉じたり開いたりしている。
「皇太子様、そろそろ他も案内いただけませんか?皇太子宮に美しい庭園があると聞いて楽しみにしておりましたの」
「もういいのですか?グレイス嬢は前回の練武会で賭けが当たらなかったから今度の練武会では必ず当てる、と騎士の情報誌を取り寄せて研究していると伯爵から聞いていましたが」
「まぁ、御存知でいらっしゃいましたか」
「月光は強い騎士の集まった騎士団です。参考になるかと思ってお連れしたのです」
連れてきたのは抱っこされたわたしのような気がするが、ここでツッコミはやめておこう。
「わたしのためでしたのね。それは、感謝申し上げます。それなら、やはり庭園へお連れくださいませ」
「もう美しくないものは見たくありませんか?」
「はい」
なんだと...?
レスター兄様らしくない言い方だ。
もやもやしていると兄様は後ろに控えていた兄様の傍仕えに声をかけた。
「グレイス嬢を輝光の宮の庭園へお連れして」
傍仕えは丁寧に腰を折り「かしこまりました」と兄様に一礼するとグレイス嬢とやらに向き直り「御案内いたします。参りましょう」と声をかけた。
「皇太子様?」
怪訝な表情で問うグレイス嬢に兄様は低く冷たい声で言った。
「美しくないものは見たくないのでしょう?それなら、わたしともここでお別れしましょう」
「わたくしは皇太子様に案内いただきたいのですわ。それに輝光の宮と仰いまして?それなら見たことありますわ。わたくしは皇太子宮の庭園と言ったでしょう」
おいおい、素が出てきてるぞ。
レスター兄様の婚約者の質、低くね?
それに今の兄様によく反論できたな、そこだけは凄いと思うよ。
「あなたを皇太子宮に御案内することはありません。もう行って。ちゃんとお見送りまで頼んだよ」
兄様の傍仕えが2人、グレイス嬢を立ち上がらせようと1人が椅子、1人が手を差し出す。
「あなた程度が、わたくしに触らないで!」
グレイス嬢は扇子で傍仕えの手を叩くと、すっと立ち上がった。
「皇太子様は容姿がお気の毒でいらっしゃるから、お父様に言われて手を差し伸べてあげましたのに、わたくしを怒らせて良いのですか?他の候補は、わたくしより全てが劣りましてよ?」
皇太子に向かって言う言葉じゃない。
それに、あんたは伯爵家、候補には侯爵家の令嬢もいたはずだ。
「わたしのことはお気になさらずとも結構。早く連れていけ、騎士たちの邪魔になる」
「まぁっ。邪魔ですって?月光の騎士が、わたくしのような貴族の令嬢をこんな間近で見ることができて光栄に思いこそすれ、邪魔だなんて、よくも言いましたわね」
うわー、典型的な貴族至上主義、唯美主義を当然とするタイプの令嬢でした。
大きな声で怒りのあまり、声も手も震えている。
「皇太子様は月光の騎士程度が良くお似合いですわ。座学と剣で得た皇太子の椅子ですものね。ただの皇子に、こんなに候補は集まりませんわ。せいぜいしがみつきなさ...」
グレイス嬢は最後まで言うことはできなかった。
わたしの堪忍袋の緒が切れたためだ。
「黙りなさいよっ!」
わたしも立ち上がり作法からいったら最悪だが、グレイス嬢を指さして言った。
「あなたみたいな性格ブスにお兄様の良さがわかるわけないわっ!お兄様も月光騎士団のみんなも、すっごく優しくて、すっごく優秀で、すっごく格好良くて、すっごく素敵なんだから!あなたにレスター兄様は勿体なさすぎるってもんよ!わかったらブス振りまいてないで、さっさと帰りなさい!」
グレイス嬢は口を開けて呆気に取られている。
これが二の句が継げないってやつか。
怒りの中でも、どこか冷静に見ている自分に驚きだ。
だが、次の瞬間、グレイス嬢がわたしに向かって扇子を振り上げた。
あ、やべ。と思った瞬間にはバシッと音がした。
だが、わたしは痛くない。
それにレスター兄様に頭を抱きしめられているような恰好だ。
兄様が叩かれたのだ。
いや違った。
兄様のガードの腕だ。
よくやった、兄様のガード。
「皇族に手を挙げるとはね。さすがに、ここまで愚かだとは思わなかったよ。陛下に連絡してくれ」
グレイス嬢は怒気が一気に去り青褪め「そんなつもりはなかった」とか「お父様を呼んで」などと言いながら兄様の傍仕えと月光の騎士たちに連れていかれた。
だが、最後まで兄様やわたしに対する謝罪の言葉は聞こえなかった。
なんていうか、ここまでくると逆に天晴れね。
「ごめんね、アニス。アニスを危険に晒すつもりはなかったのに。怖かったよね、ごめんね」
レスター兄様が腰を屈めて顔を覗き込む。
「ここに連れてくれば素を出して候補から外せるかもしれないと思ったんだ。グレイス嬢は女性陛下にふさわしいとは思えなかったからね。でも軽率だった。アニスのいるところでやることではなかった」
飼い主に怒られたデカイわんこのようになってしまった兄様の頭をヨシヨシする。
驚いている兄様に、しまったか、と思ったが、もう遅い。
「この程度、危険のうちに入りません。わたしが我慢ならなくて思わず怒鳴ってしまっただけです」
「うん、ありがとう。そこまで言ってもらえるような人間じゃないけど、嬉しかったよ」
レスター兄様ったら自分まで何を言うのだ。
イケメンの自己評価が低すぎて切なくなる。
「アニス?怒ってるの?」
知らず知らずのうちに、しかめっ面になっていたようだ。
「怒ってます!兄様は素敵な人です!兄様の自己評価は間違っています。もっと自信を持ってください。兄様はとっても優しいし、仕事もできるし、格好良いいし、頼りになるし、でも、時々あわあわして、そんな兄様は可愛...モガ」
赤くなった兄様に口を塞がれた。
でも、兄様の目は潤んでる。
わたしは、兄様の手を外すと微笑んで言った。
「わたしはレスター兄様が大好きです」
ついでにレスター兄様のほっぺに、ちゅっとした。




